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 町の図書館の天井は吹き抜けになっていて、小さなステンドグラスが壁の高い所に飾られている。  町唯一の図書館はそこそこの広さがあった。一階は絵本や一般的な書籍の本棚があり、吹き抜けになっている二階へ行くとより専門的な書籍が並んでいる。  昔は絵本を借りによく来たけど、最近ではすっかり足が遠のいていた。私が小さい時にも古いなと感じていた建物のまま、まるで時が止まっているみたい。  校門の所で先輩と待ち合わせて、私達は予定通り図書館へ来ていた。七瀬くんに声をかけられて教室を出た時には、周りの皆からすごく注目されていた気がする。  明日になったら質問攻めにされるような気がするけど、明日のことは明日考えよう。 「それで、ここで何をするんだ?」  二階の一角にある自習スペースの机に鞄を下ろしながら先輩が問いかける。 「八年前の新聞を一年分持ってきてください」 「了解」  七瀬くんが要望すると、何故、とも問いかけずに先輩が動き始める。先輩が後輩の言うことを聞いている様子に違和感は覚えるが、二人の関係性はこういうものらしい。  一緒に椅子に腰掛けたところで、私の方が我慢出来ずに聞いてしまう。 「八年前の新聞をどうするの?」 「貴方が見た男の顔が載っていないか確認して、真名を調べるのです。真名が分かれば、後はおれが対処出来ます」 「えっ。あの人って普通の人なの? あと、真名って?」 「元は、人でした。ここでは本名と捉えても問題ないでしょう。何か事件を起こしていたら実名報道されているでしょうから」 「幽霊っていうこと?」 「そう呼んだほうが分かりやすいのでしたら」  遠回しな言い方だけど、きっと肯定されたってことなんだろう。そうか、やっぱりあれは幽霊だったのか。  覗くものとか、この世ならざるものとか言われてもピンと来なかったけど、幽霊と言われるとしっくりくるものがある。  そこまで話した所で、先輩が大きな金具で固定された新聞の束を抱えて戻ってきた。 「持ってきたぞ、八年前の新聞、朝刊一年分。とりあえず全国紙だけ」 「結構です」  その中の一部を、七瀬くんが私へ手渡してくる。これから確認しろということなのだろう。 「でも何で八年前なの?」  それを受け取りながらも、浮かんでくる疑問をぶつける。七瀬くんは少し面倒くさそうに軽く眉を上げたが、それでも答えてくれた。 「穂香は覗くものが笑っていた、と言っていました。この世ならざるものが感情を持ち続けられる期間は、この世を離れてそう長い間ではないのです。大抵十年以内には感情は失われてしまう。であるならば十年以内、後は経験からくる勘です」 「でも新聞に載るのって、大きい事件の被害者か加害者くらいだろ。そいつが普通に死んだ奴だったら見つからないんじゃないか」  今度は七瀬くんの隣に腰を下ろした先輩が問いかける。 「スケは、覗きをしようと思いますか」 「は……? いや、しないだろ」 「はい。他人の生活を覗き見て、その本人に成り代わってやろうなんて、例え非業な死を遂げたとしても普通しないのですよ。この世に生きていた時でさえ、邪悪な人物であったことが予測できます」  七瀬くんはそう言い切ると、新聞をもう一部、先輩に押し付けた。 「四十代くらいの男が犯人の顔写真が掲載されていたら穂香に見せてください。穂香も早く確認なさい。一時間で見つけますよ」  こうして、三人がかりで八年前の新聞を虱潰しに探していく作業が始まった。  一年分だけと言っても、新聞は休刊日を除いて毎日発刊されているのだから三百部以上ある訳で。それを隅から隅まで、犯人の顔写真がないか調べていくというのはなかなか骨の折れる作業だ。  自分でも新聞の頁をめくり、それと同時に七瀬くんと先輩からも見せられる写真を見て、昨日見た記憶の男の顔と照らし合わせる。  作業が始まって四十分。やはりそんな人物、見つからないのではと思いかけたその時。 「穂香ちゃん、こいつは?」  先輩が差し出してきた紙面。その一角に丸く掲載されていた顔写真を見た瞬間、ゾクッと鳥肌が立つような悪寒が走る。  私を見ていた、あのぎょろりとした目と一緒だ。昨日見かけた不気味な顔と全く同じ人物が、八年前の新聞に載っている。  そんな私の変化を、七瀬くんも先輩も感じ取ったようだ。 「こいつ?」  確信を得て頷くと、先輩が改めて記事の内容を読み上げていく。  ――少女連続誘拐の容疑者自殺。少女連続誘拐の容疑で警察が合田勤(四二)の自宅へ逮捕に向かった所、合田容疑者は包丁で首部を刺して自殺を図り、運び込まれた病院で死亡が確認された。自宅の中に置かれた複数の大型犬用の檻の中から、三人の被害者の遺体が発見される。合田容疑者の自宅は近隣住民からの、子供の叫び声がするとの通報により判明した。被害者の遺体からは複数の暴行の跡が……。 「読んでるだけで胸くそ悪い……」  先輩は途中で言葉を途切れさせると、新聞をそのまま七瀬くんに手渡した。七瀬くんはまたその紙面に視線を落としながら、小さく合田勤と呟く。 「これが本名だとしても、本当に真名かどうか、確信はあるのか?」  先輩の問いかけに、七瀬くんが頷く。 「真名は、それを口にした時にそのものへ引かれるような重力を持っていて、おれはそれを感じられます。これは、このものの真名で間違いありません」  質問に答えるその端正な顔には何の表情も浮かんでいなかったが、記事を映す漆黒の瞳には、何か神秘的な光が灯っているように感じられた。
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