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 夕暮れも過ぎ、すっかり太陽は山の向こうへと落ちて辺りは暗くなった。とは言っても屋台の続く道は相変わらずの賑わいだ。  かき氷、りんご飴、焼きそばにジャガバター、チョコバナナ、水飴、射的にヨーヨー釣り。祭りの一通りの定番は堪能し尽くした気がする。  戦利品のヨーヨーを片手に、ついつい手癖で弾ませながら、仕上げのように購入した豚串にかぶりつく。塩と胡椒がこれでもかと効いていて美味い。  屋台のメニューって、原価とコスパ考えたら最悪な気はするのだが、どうしてこんなに食いたくなるのだろうか。  時刻は夜の七時を回った所で、歩みを進めると急に屋台の列が途切れた。  辺りに建物が少なくなり、そこから、先程謙介が説明してくれたように山道へと差し掛かったのが分かった。辺りにいる人の数もずっと減っている。 「あんまり人来ないんだな」 「穴場なんだよ」  山道を上っていく。先程まで煩いくらいの人の声に包まれていたので、なんだか寂しさまで感じる程だ。 「葵ちゃん、大丈夫?」  遅れがちになっている葵ちゃんに振り返り声をかけると、どうもその歩き方がおかしい。どうやら下駄の鼻緒が足に擦れてしまっているようだ。 「すみません、慣れてなくて」 「痛そうだな、ちょっと休憩……」  休憩しようか。そう言いかけた時、葵ちゃんの背後、道を五メートル程下った曲がり角の所に隼人の姿を見かけて俺は言葉を途切れさせる。  隼人も私服だ。  あいつもやはり祭りに来ていたのかと思いかけたが、昨日と同じくその様子がおかしい。どこか虚ろな瞳をして、ぼんやりと歩いている。 「おーい、隼人ー」  大きく手を振りながら声をかけるが、俺の声に一切反応した様子もない。隼人は角を曲がってこちらには来ず、そのまま狭い道を横切ると、道脇の叢の中へ入っていく。 「隼人がいたのか?」  俺の声を聞きつけて、少し先に行っていた謙介も戻ってきた。  隼人の背を視線で追いかけ、俺はゾッとする。叢の先に、あの白い手が水に揺蕩うように動いていた。  昨日の朝に見た女性だ。全身覆い隠すような黒のワンピースを着て、病的な程に長い黒髪を垂らしている。顔の詳細はやはり、遠くて分からない。  ただその長袖から出た白い手だけが、強く印象に残る。  俺は弾かれたように走り出していた。手にしていたヨーヨーがどこかに飛んでいった気がするが、気にする余裕もない。  何故そうしたのか、上手く説明は出来ない。  ただあの女性に感じた強烈な不審感と、隼人の人が変わったような態度を思い出すと、あのまま隼人を行かせる訳にはいかなかった。 「隼人!」  怒号するように名前を呼びながら、叢、そして山の木々の中へと隼人を追いかけていく。背後から声も聞こえて、謙介が俺を追ってきているのも分かっていた。  隼人はぼうっとしているように見えるのに、何故だか遠ざかる足が早くて、走っている俺が全く追いつけない。  辺りは闇に沈み、そして何より行く手を阻むような草の影になって、隼人の姿を度々見失う。  それでもなんとか食い下がり、壁のように立ちふさがる背の高い藪を掻き分け抜けた時、木々に囲まれた広い空間に出た。その中央には、月明かりに照らされて、ぼんやりと社のようなものが建っているのが見える。 「ここは……?」  背後で物音がして振り向くと、謙介も後をついて来れていたようだ。体についた木の葉を振り落としながら周囲を見渡している。 「分からない。隼人も見失った」 「こんな所に神社なんてあったのか……」  謙介が、スマホの照明をつけながら物珍しげに社を見上げる。その社は、使われている木材に所々苔むした様子が伺えて、相当古そうなものに見えた。  石段がついて高さを出した入り口らしき所は木の扉が閉まっている。人が入れそうな様子はあるが、建物の大きさ的に、中は六畳程もあれば十分なくらいではないだろうか。  今しがた走ってきたばかりだというのに、不思議と、先程よりも涼しく感じる。森の中なので気温が下がっているのだろうか。  不意に、ぎぎ、ぎぃ、となにかが軋むような音がした。  謙介が照明をそちらに向けると、先程閉まっていたのを見た社の扉が、僅かに開いていた。 「……大野。まずい気がする。戻ろう」  いつもよりも少し上ずった声で、謙介が囁く。 「でも、隼人はここに来たんだ。探さねぇと」  社の周囲に隼人がいないか探しはじめようとしたが、俺の視線はそのまま、扉の所に釘付けになった。  開いた古びた木の扉の隙間から、あの手が差し伸べられているところだった。  白く嫋やかな手は、そのままゆら、ゆらと宙を撫でる。  謙介の持つ、スマホの白々とした照明に照らされた扉の向こうの影に、あの女性の姿があった。スカートに隠れた足元から、視線を上げていく。  その時、俺は確信した。  例えどんなに近づいても、彼女の顔をはっきりと認識することは出来なかったに違いない。女性の顔は、まるで描いたばかりの油絵を、指でキャンバスに引き伸ばしたかのように歪み掠れていた。  彼女は、人ではない。  そう思い至ったにも関わらず、俺は何故だか手招かれるように、一歩、足を前へ踏み出していた。  ぴちゃん、ぴちゃん、と澄んだ水の音がする。彼女の足元から、染み出すように水が滴ってきていた。  扉の縁を超え、石段を這うように濡らし、その水は、まるで意思を持っているかのように俺の足元へ。 「大野っ!」  切羽詰まった謙介の叫び声が聞こえた、と思った瞬間。衝撃が走った。謙介が体当たりするように、俺を水の上から弾き飛ばして。  地面に尻もちをつき、その衝撃に一瞬気が逸れたその後。  俺は自分の目を、そして正気を疑った。  辺りはただの、昏い藪の中。  目の前にあったはずの社もなければ、あの女性も、滴ってきていた水もない。  そして、スマホの光と共に謙介の姿さえも、忽然と消えていた。
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