姫宮姫子のお悩み相談所2

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ホームズ  「犬はいいわよ」  姫宮姫子は、相談所で胸を張って言った。  「あいつらは、序列ってものを知ってるからね。誰がご主人で、偉いのか。ちゃんと分かってるからいいのよ」  その話を、小夜と薫は紅茶を飲みながら聞いていた。  「そんなもんかねぇ。あたいは小動物、苦手だな」  身長一八〇センチほどの薫がカップを持つ。カップが妙に小さく見える。いつもどおり、プロテイン入りの紅茶である。  「あんた、ゴリラのくせに、獣が苦手なの?」  「熊とかだったら、倒せる自信はあるんだけどよ。小さい獣は、どうにもこうにも、苦手だな」  「あ、戦う前提なんだね……」  小夜が苦笑いしながら、紅茶をすする。小夜は薫よりも三〇センチ近く小さい。並んで座ると、より小さく見える。  小夜よりも一回り小さい姫子が、小さな体を目一杯反らせる。座った姿勢の薫のほうが大きい。対面式のソファに腰掛けて、暇な午後を過ごしている三人。  ここは、姫宮大附属姫宮高校の一室。「姫宮姫子のお悩み相談所」である。大抵の日は依頼がなくて暇を持て余しているが、今日も三人はご多分に漏れず、暇な午後を過ごしていた。  「小夜。あんたはペット、飼ってないの?」  「うちはお世話ができないから、飼ってないかなぁ」  「いつか飼うなら、犬がいいわよ」  「うんうん。犬もいいね。動物は好きなんだけどね。時間とお金に余裕があったら、飼ってみたいなぁ」  姫子は自分専用の豪華な椅子に座ると、優雅に紅茶をすすった。  「最初は、小型犬がいいわね。飼いやすいからね」  「あたいは大型犬がいいな。対・獣の訓練になるからな」  「あんたは一旦、戦うことから離れなさいよね」  「猫とか、インコとかも、憧れるけどね」  三人が雑談していると、相談所の入り口を、とんとん、と叩く音がした。  「さて、今日の依頼人が来たわね。どんな依頼かしら?」  姫子が立ち上がり、相談所の扉を開くと、一匹のウェルシュ・コーギーが鎮座していた。  * * *  「とうとう、犬が自分から依頼に来たのかと思って、驚いたわ」  姫子は相談所の豪華な椅子に座って、依頼人のほうを見ながら言った。  「どうもすみませんね。うちの犬、好奇心旺盛なもんで」  依頼人は、初老くらいの男性だった。人当たりの良さそうな、温厚な顔をしている。飼い犬らしいウェルシュ・コーギーも、飼い犬に似ているのか、吠えることもなく男性の横に座って、姫子を見つめている。  依頼人の男は話し始める。  「私はこの高校の近所の山田といいます。なんでもここの学校のお嬢様が、お悩みを聞いてくださるって新聞で読みましてね。ご迷惑かと思ってお尋ねしたのですけれども」  「えぇ。あたしが、その新聞に載っている、姫宮姫子よ。お悩みを聞こうじゃないの」  姫子は、ちらっちらっ、と薫のほうを見ながら言った。  山田はそんな姫子の様子に気づかずに続けた。  「実は、お悩みってのは他でもない、こいつのことなんですけどね」  山田はウェルシュ・コーギーのほうを見た。  「こいつは、名前を『ホームズ』っていいます。賢いやつでね。十年以上一緒に暮らしているんですが……。実は、明日から三日間、仕事でどうしても家を離れなきゃいけなくて。それで、面倒をみてもらえないかと思いましてね」  「ふうん。ペットホテルとか、知り合いの家とかじゃ、いけないの?」  「いやぁ、それが、ペットホテルに連れていくと、なぜか、ものすごく嫌がるんですよ。うちの近所で面倒を見てもらえるような人もいませんでしたし……なんせ気難しいやつでね。それに、おかしな話なんですが、私の出張が決まった翌日に、姫宮さんの載った新聞をくわえて、私のところにもってきたんですよ。まぁ、そっちは単なる偶然でしょうけどね。そういうわけで、申し訳ないんですが、お願いできませんかね」  姫子は、ホームズを見た。愛らしいつぶらな瞳で、ホームズが姫子を見つめ返している。  「姫、受けるよね?」  小夜がにっこり笑う。  姫子は立ち上がり、拳を握ると、いつものように叫んだ。  「あったり前でしょ! この一件、きっちり片付けるわよ!」    * * *  必要な餌やトイレの話などをして、山田はぺこぺこ頭を下げて、相談所を出ていった。三日間、相談所につないでおいて、休み時間に餌や水などをこまめに世話して、お悩み相談の時間に、散歩することにした。  ホームズはその間、一切吠えることもなく、座って舌を出していた。  山田が帰った後、姫子はホームズの側に行って、座ってホームズに言った。  「まずはこいつに、この相談所の序列、ってものを教えなくちゃね。ほれ、お手」  ホームズは無反応だった。舌を出して、へっへっ、と言いながら、別の方向を見ている。  「可愛いね~」  小夜がホームズに近づくと、ホームズはしっぽを振りながら、小夜に飛びついて頬を舐めた。  「きゃっ、くすぐった~い」  小夜が思わずホームズを抱きかかえる。  無視された姫子は、少し、いらっとしながら胸を張って強がった。  「ま、まぁ、獣には、あたしの高貴さは伝わらないようね。ほら、小夜、こっちに貸しなさいよ」  姫子は、半ば強引に、小夜からホームズをひったくり、抱きかかえた。ホームズはおとなしくしている。  「ほらね。やっぱり獣でも、ちょっと時間をかければ、序列が分かるのよ」  姫子はホームズを抱きかかえたまま、薫に近づいていった。  「ほれ、ほれ、可愛いでしょ。撫でてみなさいよ」  「バカ、姫嬢、それ以上こっちに来ねぇでくれ! 小動物は苦手だって言っただろう」  「ふっふっふ、いいじゃないの。ほ~ら、こんなにおとなしくて可愛いわよ」  じりじりと姫子がホームズを薫に近づけると、ホームズは体を捻って、姫子の手をがぶりと噛んだ。  「ぎにゃー!」  そのままホームズは姫子から離れると、しっぽを振りながら小夜の足にすり寄った。  「もう、姫ったら。調子に乗らないの」  「こ、このワンコロ……どっちが上か、はっきりさせないと気が済まないわ」  噛まれた手をさすりながら、姫子がじりじりとホームズに近寄る。  ホームズはしばらく小夜の足に自分の体を擦り付けてじゃれていたが、姫子が近づいてきているのを察知すると、「ウー」と低く喉を鳴らし始めた。  「何よ、あたしじゃ気に入らないっていうの?」  「姫、そんなにむきにならなくても」  ホームズはしばらく姫子を睨みつけると、初めて「ワン!」と大きな声で鳴いた。  そして、そのまま相談所を飛び出していった。  「あ、ちょっと!」  姫子が声を上げるが、ホームズは学校の廊下を素早く駆け抜けていく。  「もう、何なのよ! 小夜、追いかけるわよ!」    * * *    ホームズは高校の敷地を飛び出して、近くの商店街のほうへと駆けていく。  姫子と小夜と薫は、走ってホームズを追う。普段から鍛えている薫は、老いを感じさせないホームズの走りに粘り強くついていくが、姫子と小夜はだんだんと走るスピードが落ちていく。  「はぁ、はぁ、ちょ、ちょっと、待ちなさいよ……!」  姫子が立ち止まり、息を切らせる。  「姫嬢、早くしないと見失っちまうぜ」  まったく息の切れていない薫が、平然と言う。  「ゴ、ゴリラと一緒にしないでよね。こっちは繊細にできてるのよ……」  「ど、どこに向かってるんだろう?」  小夜も、はぁはぁと息を切らせている。  「二人とも、鍛え方が足りてねぇなぁ。あの犬、二つ目の角を曲がっていったぜ。あの先は商店街の大通りだ。ここは、手分けして探そうぜ」  「あ、あんたが、し、仕切るんじゃないわよ……」  へいへい、と言いながら、薫はのしのしと商店街へと消えていった。    * * *  「まったく。犬とゴリラを、この人混みの中から探せっていうの?」  姫子は腕を組んで、小夜と一緒に商店街の入り口に立っていた。商店街は、大勢の人で賑わっていた。学生服のグループや、犬の散歩をしている市民、道を急ぐ若いサラリーマン。  「こんなことなら、紐でつないでおけばよかったわ」  「た、確かに。いきなり逃げ出すなんて、驚いたね。どうやって探そうか?」  小夜の問いかけに、姫子は、う~ん、と唸り声を上げる。  「どっちも獣だからね。獣の考えることは分かんないわ」  「ホームズちゃん、もしかしたら、お腹空いてたのかなぁ?」  「餌の匂いを嗅ぎつけて、走り出したっていう可能性もあるかもね」  「飼い主の山田さんと離れて、寂しくて山田さんを探しに行った、とか?」  「ううむ。それもあり得るわねぇ。どうしたものかしら」  「とりあえず、左右の路地を手分けして見て回るのはどうかなぁ?」  「そうしましょうか。どうせゴリラはまっすぐ進んでるだろうしね。小夜、あんたまでどっかに行くんじゃないわよ。時々声を掛け合って、地道に探しましょう」  姫子と小夜は、商店街を慎重に歩き始めた。  * * *  「小夜、そっちはどう?」  姫子が、商店街の道の反対側にいる小夜に声を掛ける。  「うーん、いないなぁ。姫のほうはどう?」  小夜が返答する。 「こっちにもいないわ。まったく、どこに行ったのかしら」  その時、遠くのほうから「ワン!」という鳴き声が聞こえた。姫子と小夜は顔を見合わせる。 「姫、今の、ホームズちゃんの鳴き声じゃない?」 「商店街の奥からだわ。急ぎましょう」  二人が急いで鳴き声のしたほうに向かうと、人混みのど真ん中でしっぽを振りながら鎮座しているホームズがいた。側には、メモ用紙を見ながらおろおろしている老人がいた。 「見つけたわ。こんなところにいたのね。さ、高校に帰るわよ」 「ワン!」  ホームズは、姫子の呼び掛けを無視して、老人に一声吠えた。  その様子を見て、小夜が姫子に言う。 「待って。ホームズちゃん、あのおばあちゃんに吠えてるみたいよ」  小夜がそっと、ホームズと老人に近づいて声を掛ける。  「すみません、おばあさん」  老人は自分に吠えてきたホームズから、小夜に視線を移した。  「この犬、私たちの犬なんです。急に走り出したかと思ったらこんなところにいて、……おばあさん、何かお困りごとですか?」  「あぁ、いきなり犬が側に来て、吠えたからびっくりしたよ。実は、道に迷ってしまってねぇ」  小夜が、ホームズをそっと抱きかかえる。  姫子は、おばあさんの話を聞くと、胸を張って言った。  「なぁんだ、おばあちゃん、お困りごとなの? それなら、この姫宮姫子にお任せよ。どこに行きたいのかしら」  老人はいくばくか安心した様子で、少し笑顔を見せた。  「この近くに、『アンジェ』っていうケーキ屋さんがあると思うんだけれど、そこに行きたくてねぇ。孫の誕生日ケーキを買いに行こうと思って、道を調べてきたんだけれど、どこか分からなくなっちゃって」  姫子と小夜は顔を見合わせた。『アンジェ』と言えば、姫高生御用達(ごようたし)のスイーツ専門店である。  「そのお店なら、私たちが案内しますよ」  小夜がにっこりと、老人に微笑む。  「おばあちゃん、あたしたちに着いてくるといいわ」  「本当かい、助かるよ。ありがとうね」  三人は商店街を歩き始めた。  ホームズは、小夜の腕の中で、機嫌良くしっぽを振っていた。    * * *  アンジェに到着した老人は、無事にケーキを買って、二人にお礼を言って帰っていった。ついでに姫子たちはクレープを買って、食べながら学校へと戻っていった。  「犬も捕まえたし、おばあちゃんも助けたし。今回は、あたしの勝ちね」  「まぁまぁ。でも、ゴリちゃんにも、ホームズちゃん見つけたよって連絡しないとね」  小夜がポケットからスマートフォンを取り出そうとすると、今までおとなしく小夜に抱かれていたホームズが、「ワン!」と鳴いて、再び勢いよく走り出した。  「あ、ちょっと!」  姫子の声を無視して、ホームズは一心不乱に走る。  「もう! また勝手に! 今度はどこに行くのよ」  二人は商店街の中を、再びホームズを追いかけて、走り出した。  ホームズは、近くのゲームセンターの中に、吸い込まれるように入っていった。  * * *  ゲームセンターの中は、ものすごい騒音だった。たくさんのゲームの筐体が色鮮やかに明滅し、色々な音が混ざり合って耳に飛び込んでくる。昼間からゲームセンターに入り浸る若者たちや、カップルの姿もある。  「ホームズちゃん、どこに行ったんだろう」  騒音の中を、姫子と小夜はホームズを探して、うろうろと進む。  口の周りにホイップクリームをつけた姫子が言う。  「そう遠くには行ってないはずよ。このゲームセンター、ここしか入り口がないし」  「姫、口の周りにクリームがついてるよ」  小夜がテイッシュペーパーを姫子に渡す。「ありがと」と言って、姫子は口の周りをぬぐった。  その時、奥の方から「ワン!」という鳴き声が聞こえた。ホームズの声だ。  「姫!」  「えぇ、行きましょう」  姫子たちが声のしたほうに向かうと、おろおろと動揺している二人の女子生徒がいた。女子生徒だと分かったのは、制服を着ていたからだ。  「どうしよう、どうしよう」  二人の女子生徒は、きょろきょろ辺りを見回しながら、困ったように声をあげている。  ホームズはその二人に向かって、もう一度「ワン!」と吠えた。 「どうしたのかしら?」  姫子が二人の女子生徒に声を掛ける。 「あ、えっと、その、私たち、ここでゲームをしてたんだけど、気がついたら財布がなくなってて……」 「大変! 店員さんにも言って、一緒に探してもらいましょう」  小夜が声をあげる。  とりあえずホームズを捕まえて、店員を呼びに行こうとすると、ホームズは小夜の腕からするりと抜けて、筐体の間に頭を突っ込んだ。 「ちょっと、ワンコロ、何してるのよ、おとなしくしてなさいよ」  姫子が近づいてホームズの首輪を掴んで引きずりだそうとする。ガリガリと床に爪を立てて、ホームズが抵抗する。 「もう、何なのよ」  すると、突然ホームズは体を捻って、筐体の間から出てきた。力を込めて引っ張っていた姫子は、急にホームズがこちらを向いたので、勢い余って尻もちをついた。 「痛っ!」 「姫、大丈夫?」  小夜が姫子に近づく。ホームズのほうを見ると、しっぽを振りながら、口にピンク色の財布をくわえていた。 「あ! それ、私の財布です!」  女子生徒が驚いて声をあげる。  ホームズはしっぽを振りながら、女子生徒に財布を差し出した。「良かったぁ」と安心する女子生徒。 「ありがとうございました! いつの間にかどこかにいっちゃってたので、もしかしたら盗まれたのかと思って」 「見つかって良かったですね」  小夜がにっこり微笑む。  尻もちをついた姫子が立ち上がりながら言う。 「もう、人騒がせね。次からは気をつけるのよ」  女子生徒二人は、姫子たちに頭を下げながら、ゲームセンターから出ていった。  再び小夜に抱かれたホームズは、へっへっ、と舌を出していた。 * * *  姫子たちはゲームセンターから出て、再び高校に向かって歩き始めた。ホームズはおとなしく小夜に抱かれている。 「もう、おかしな犬ね」  姫子は若干疲れた様子である。 「早く相談所に戻って、紅茶でも飲みましょ。疲れちゃったわ」 「そうだね。ばたばたしちゃって忘れてたけど、ゴリちゃんにも連絡しなくちゃ」 「小夜、また逃げられないように、今度はあたしが抱くわ」  小夜はうなずいて、姫子にホームズを渡した。そして、ポケットからスマートフォンを取り出す。 「おとなしくしてなさいよ」  姫子が抱きかかえたホームズを見つめると、ホームズはつぶらな瞳で、じっと姫子を見つめ返した。 「まったく、人騒がせな犬なんだから」  すると、ホームズは「ウー」と低い声で唸り始めた。 「こ、今度は何よ」  ホームズは、体を捻って姫子の腕の中から抜け出した。  そして、今度は路地裏に向かって、勢いよく走り出した。 「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ!」 「あっ、ホームズちゃん!」  メールを途中まで打っていた小夜も、思わず声をあげる。  二人は、ホームズを追いかけて、路地裏へと入っていった。 * * *  路地裏は表通りとは違って、ほとんど人気(ひとけ)がなかった。  ホームズは路地裏を縫うように、次々と角を曲がって走り続けた。  今度は見失うまいと、姫子たちも必死に走って、ホームズを追いかける。  この先行き止まり、という角まで来て、ホームズはぴたっと走るのをやめた。そして、「ウー」と低い声で唸っている。 「か、観念したわね、さぁ、帰るわよ」  息のあがった姫子が、ホームズを抱きかかえようとすると、ホームズは唸りながら、角の先を睨みつけた。 「ひ、姫、もしかして、この先に何かあるんじゃない?」  同じく息のあがった小夜が言う。  二人は顔を見合わせて、そっと角の奥の行き止まりを覗き込んだ。  そこには、三人の男がいた。正確に言うならば、二人の体格のいい男が、やせた男に絡んでいるように見えた。 「お兄さん、ボクたちに、お金をちょ~っと貸してくれると嬉しいんだけどなぁ」 「痛い目にあわないうちに、出しといたほうがいいと思うぜ。へへへ」 「や、やめてください……」  今にも痩せた男は乱暴されそうである。突然の事態に、姫子と小夜はパニックになった。 「どうしよう、姫、これって、恐喝ってやつだよね」 「そ、そうみたいね。とんでもないところに遭遇しちゃったわ。とりあえず、衛たちを呼んで……」  姫子がポケットから、執事を呼び出すリモコンを取り出そうとすると、突然ホームズが角を飛び出して、男たちのほうへ突進していった。 「あ、バカ!」  姫子は驚いて、リモコンを落としてしまう。 「ホームズちゃん!」小夜が声をあげる。  ホームズはまっすぐ男たちのところへ走っていくと、「ワン!」と吠えた。 「あんだぁ? この犬」  男たちは、突然犬が現れて、少し驚いた様子だった。  次の瞬間、ホームズは片方の男の腕に思い切り噛み付いた。 「うわっ、痛ぇ!」 「こ、この犬、何しやがる!」  もう片方の男が、太い腕を振り上げる。 「ま、間に合わないわ!」  姫子たちは、思わず声をあげて、飛び出していく。 「やっと見つけたぜ」  突然の声の闖入に、男たちはまた驚く。ホームズは、男の腕からぱっと離れると、声のしたほうに急いで走っていった。  そこに立っていたのは、体格のいい男たちよりも二周りも大きい薫だった。 「商店街を、五周もしちまったぜ。ま、普段のトレーニングに比べたら、楽勝だがな」 「な、なんだおめぇは!」  薫はのしのしと男たちに近づいていく。 「や、やろうってのか!」  男たちは精一杯、虚勢を張る。  薫は二人の男の襟を、それぞれぐいっと掴むと、壁に向かって投げ飛ばした。「ぎゃっ」と声をあげて、男たちは目を回して気絶した。 「おいおい、もう終わりかい。図体(ずうたい)だけだな。良かったな、あんた」  薫は痩せた男に言った。痩せた男は、何度も頭を下げて、逃げるように去っていった。 「ゴリラ!」 「おう。姫嬢に、小夜ちゃん。間一髪、ってところか?」  ホームズはしっぽを振りながら、小夜の胸に飛び込んできた。 * * *  三日後の午後、相談所。  約束通り、山田はホームズを迎えに来ると、丁重にお礼を言って、帰っていった。  帰り際、ホームズは姫子たちのほうを見ると、「ワン」と小さく吠えた。  山田たちが帰ったあと、姫子は紅茶を飲みながら言った。 「やれやれ。今回はくたびれたわね。商店街中を走り回った気がするわ」 「不思議な犬だったね」小夜が言う。  紅茶にプロテインをざーっと入れながら、薫が言う。 「あのワン公、困ってる人のところへ走っていったんじゃねぇか? あたいたちに知らせるために」  姫子が鼻を鳴らす。 「そんなわけないじゃない。偶然よ、偶然」  本当に偶然だったのかなぁ。小夜は窓の外の茜空を見ながら、不思議な老犬のことを考えていた。小夜は、何となく、またいつかホームズに会えそうな気がしていた。  どこかで、「ワン!」と犬の鳴き声が聞こえた気がした。
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