プロローグ

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 問題は今日のホームルームで起こった。  今日は二学期の初日、つまり始業式だった。だから授業はなく、全校集会とホームルームのみで昼過ぎには下校の予定だった。私のみならず、生徒全員がまだ夏休み気分だ。 「はい、それじゃあ後ろの人から前に宿題を渡して」  担任の勝村先生が不規則にカールしている髪を煩わしそうにくしゃくしゃと掻きながら騒がしい教室を押さえつけるように人一倍大きな声を発する。 先生が頭を掻くのはいつもの癖だ。勝村先生は国語の先生で、私の所属している水泳部の顧問でもある。親よりも長い間ともに過ごしている大人だ。 「おい、辻村」 何かが肩に触れる感触が伝わって後ろを振り返ると坊主頭の男子生徒が眉間にしわを寄せていた。 「あ、ごめん」  慌てて彼の手に握られているノート類を受け取った。長期休みの課題ということもあり、後ろの二人から渡されたものは思いのほか重量を感じた。 「えっと、英語に数学のプリントと……」  後ろの男子に倣って私も持参した宿題を山の上に積んでいく。 「あれ? おかしいな」  私は鞄を机に置いて中を隅々まで確認した。どこを見ても中身は空だ。背中に冷たい汗がすっと流れていることに気づいた。 「夏希ちゃんまだ?」 「ああ、ごめん」  私は反射的に積んだ宿題の山を前の女の子に渡す。その山はベルトコンベアのようにどんどん前に流れていく。  遠くへ行ってしまう宿題たちを見て私は肩を落とす。昨日の夜あれほど確認したはずなのに。言い訳をするなら今朝だって再度確かめた。それなにどうして。 「やっちゃった……」  私は力なく椅子から立ち上がって教卓へ向かう。まるで交番に自首する犯人のように。一歩歩くごとに自分の不甲斐なさと、この後起こりうる事態が私の両足に足かせをつけていく。  それでもどうにか教卓の前まで来た。 「どうした、辻村」 先生はこちらを見ずに先に届いている宿題のチェックをしている。どうせ私の言うことを分かっているのにあえて聞いてくる。先生も酷なことをする人だ。 「読書感想文を忘れました」 「そうか。なら、明日必ず持って来いよ」  先生は相変わらず淡々と宿題に目を通している。私は心の中で大きくため息をつく。明日、私が用意できるはずがない。 「読書をすること自体忘れました」  その言葉に先生の眉毛がピクリと動いた。そして、ようやく顔を上げて私と目を合わせた。部活の時に怒られる時と同じ鋭く光った眼だ。 「書いていないのか?」 「はい」 「読んでもないのか?」 「はい……」  私たちの間に冷たい沈黙が流れた。先生は一瞬固まったが、再び頭をポリポリと掻いてまた視線を下に落とした。 「下校時間になったら教室に残ってなさい」  それだけ言って先生はまた宿題のチェックに戻った。  怒られるのなら一度で済ましてほしいのにと思いながらもその言葉は口の手前で何とか止めた。これ以上先生の怒りを買うのは御免だ。 「はい」と返事をして私は自分の席へ戻る。周りのクラスメイトは普段のように会話のお花が満開のようで、私たちのやり取りなど知る由もなかった。  私は着席して今度こそ大きなため息を体から吐き出した。魂まで出ていくほどぐったりとしたため息だった。
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