黒の王と白の姫

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「お父様!」  地底の常に澱んだ空気を切り裂く、凜とした声と共に、羽ばたきの音が、黒薔薇の咲き乱れる中庭に降りてくる。 「また! またよ!?」  常夜の国に場違いなほど眩しい白き翼を、たたむ暇もあらばこそ。許せぬ、という怒りを翠の瞳に宿して、少女は黒き翼の王の首に飛びついた。 「またお父様を馬鹿にされたわ! お父様はわたしを酔狂で育ててるだけだって!」  翠天の城が潰えてから幾歳月。幼かった少女はすくすくと成長した。  容易く手折れそうだった手足はしなやかに伸び、空色の髪は艶を帯びて、王族特有の美貌は地底にあっても衰える事無く、そこに艶やかな花が咲いたかのごとき輝きを放っている。  淑女の在り方を教えられる者がいなかったせいか、性格は多少険を帯びてしまった。それが証拠に、娘はぶんぶんと拳を振り回して、胸に滾る熱を撒き散らす。 「お父様はわたしを救ってくれた恩人よ! わたしは何を言われても構わない、黒き翼の民ではないから。だけど、王であるお父様を悪く言うのは、誰であっても許さない!」 『白き翼の民は黒き翼の民に滅ぼされた』  地底に来てから何度も刷り込まれた話だというのに、滅びの記憶は薄れて消えたのだろうか。白の娘は黒曜王を真の父のように、いや、それ以上の存在として慕い育った。そして、少しでも彼を貶める発言をする者に、苛烈な怒りをぶつけるのである。あの日燃え墜ちた翠天の城の色を、己が目の中で再現しながら。  養い子ながら、実に面白い娘だと思う。王はすらりと筋の通った鼻先で微かに笑い、手近にあった黒薔薇を一輪摘むと、自分より頭ひとつ分低い少女の青髪にそっと挿した。 「お父様?」 「怒りに震える姿はお前に似合わぬ。笑う顔を見せるが良い」  それは、色だけ見ればさながら日蝕のよう。だが、耳元に唇を寄せて囁けば、たちまち娘は狼狽(うろた)え、頬を朱に染める。  年頃になった娘が、最も身近な異性にどんな感情を抱くか。后妃(こうひ)を娶らぬどころか、女の一人侍らせた事無く生きてきた男でも、容易く察する事はできる。  だが、それに気づかぬ振りをして、王は長い指を少女の頬に滑らせた。体温の低い手に、娘の熱が移る。 「明日はお前が我が元に来て十五年の日だ」  その指を少女の唇に押し当てて、黒曜王は男女問わずに魅了する嫣然とした笑みを浮かべる。 「盛大な宴を催そう。お前の欲しい物を考えておけ」  静かに手を離し、王は踵を返して庭を去る。  彼は気づかない。 「欲しいものなんて、わかりきっているくせに」  少女が、最前まで父の温もりが宿っていたくちびるに手を当て、更に赤くなって呟いた言葉に。  そして、二人の時に終わりを告げる翼が、ひっそりと彼女の背後に舞い降りた事に。
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