最悪の魔女スズラン、そしてその父

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最悪の魔女スズラン、そしてその父

 中央大陸東北部タキア王国。その国境沿いに位置する山間の小さな村。  ココノ村という名のその集落には一軒だけ雑貨屋がある。若い夫婦が経営しており二人の間には娘が一人。  夏も半ばに差し掛かった日、父・カズラは、その一人娘に声をかける。 「スズ、今日は父さんとお出かけしないか?」 「どこに?」  ベッドに寝そべり読書中だった四歳の娘は顔を上げて問い返してきた。白い髪が窓から射し込む光を照り返し虹色に煌めく。 「北の山の上までハイキングしよう」 「どうして?」 「どうしてって……父さんと出かけるのは嫌かい?」 「そんなことはないけど……」  と、開いたままの本に目を落とす彼女。カズラは嘆息して、娘がごねた時に唱えろと妻から教えられた呪文を紡ぐ。 「お弁当はムオリスだよ。スズが来ないなら“お父さん一人で食べちゃおう”かな?」 「いく!」  娘は勢い良く立ち上がった。この子は妻の作るムオリス(オムライス)が大好きなのだ。  村から出た二人は細い山道を登っていく。最初は先に立つカズラが手を引いていたのに、やがてスズランが先行して引っ張る形になった。 「はぁ……はぁ……だ、大丈夫かいスズ? 疲れたら、だっこしてあげるよ」 「いや、あきらかにおとうさんのほうがつかれてるよ」 「たしかに。我ながら情けないなあ」 「たいしつのもんだいだから、むりしないでね?」 「うん……」  カズラは生まれつき体が弱い。幼い頃は病のせいで臥せってばかりいた。成長して病気は自然治癒したのだが、体力は相変わらず人並み以下である。だから彼の家では力仕事はもっぱら妻の仕事。 「……」 「スズ? 手がどうかしたのかい?」 「ううん、なんでもない」  何故かじっと自身の手の平を見つめていた娘。何事かを考え込んでいるように見えたが、頭を振って否定する。カズラも特に問い詰めたりはしない。この子はたまにこういうことがあるのだが、深く追求しないようにしている。  ──そうしないと、不意にどこかへ行ってしまいそうな嫌な予感がするのだ。 「それで、けっきょくどこまでいくの?」 「もう少しだよ」  自分の体力ではそう遠くまで連れて行くことはできない。父よりも余裕はあるようだが、娘もまだ四歳なのだ。  ほどなくして二人は中腹に辿り着き、大きな岩に並んで腰かけた。何の変哲も無い場所だが目的地はここである。  カズラは彼方を指差す。 「ほら、スズ。あっちに見えるのがトナリだよ。そのさらに向こうのちょっとだけ尖った塔の先端が見えている場所、わかるかい? あれがこの国の王都サタケだね」 「ほんとうにちょっとしか見えないね」 「遠いからね」  頷きつつ娘の横顔を見る。ぼんやりした表情からは感動している様子は見られなかった。失敗だったかなと鼻の頭をかく。  まだ一度もこの子を他の村や街へ連れて行ったことがない。子育てを始めて四年、旅行に出かける機会など無かったし、そうするだけの金銭的なゆとりも無い。何度かトナリの街まで仕入れに行くついでに同行させようと思ったことはあったのだが、その度に何故か別の用事ができたりして叶わなかった。まるで運命に妨害されているかのようだ。  だからせめて遠くからでも街を眺めさせてやりたいと思った。遠出は良い気晴らしにもなるだろう。この子は最近、何やら熱心に調べ物をしている。さっき読んでいたのも絵本ではなく畑仕事の指南書だった。どうやら農業について学びたいらしい。  スズランは一歳の時から流暢に言葉を喋っていた。知識と理解力も大人顔負け。老人達からは神童と呼ばれている。親としても誇らしい話。  でも、だからといって子供らしい生活を放棄して欲しいわけではない。むしろ、できる限り普通に育ってくれればと願っている。  でなければ──また嫌な未来を想像し胸が締め付けられて、ついつい疑念が口をついて出る。 「スズは、村から出ていきたいのかな?」 「!?」  驚いて振り返る彼女。その青い瞳には深い悲しみが広がっていた。  ああ、別れを惜しむくらいには愛してもらえているのだなと理解し、カズラはかえって嬉しくなる。 「私は……お父さんとお母さんの本当の子じゃないから、いつかは出ていくことになると思う」 「……そっか」  今度はこっちが驚かされた。賢い娘なのは知ってたが、もうそんなことまで察しているとは。  スズランの髪は白い。けれどカズラは焦げ茶色で、妻のカタバミは栗色。瞳の色も異なる。  四年前、この子は赤子の時にココノ村に置き去りにされた。誰の仕業なのかはわかっていない。ひょっとしたらと行方の知れない幼馴染の魔女を疑ったこともあったが、彼女は黒髪だった。おそらくスズランの実母は別人だろう。 (それで農業の勉強か……)  近頃、妻のカタバミは茶葉の栽培に挑戦している。スズランはその手伝いをしたいのではないか? 本来よそ者の自分がココノ村にいられる間に、何かを残しておきたいのだと思う。  焦るなと言いたい。でも本当に別れの時はすぐそこまで迫って来ているのかもしれない。賢いこの子にはそれがわかっている。  だからカズラは別の言葉を言った。 「お母さんはね、子供を産めない体なんだ」 「え……?」 「お腹の中の赤ちゃんのためのお部屋に普通なら無いはずの壁がある。そのせいで子供ができない」 「な、なおせないの?」 「方法はあるけど、とてもお金がかかる。だから治してやれないのは、お父さんのせいだ。もっと商売が上手ければ良かったのにね……」  彼の店は経営が上手くいってない。スズランを引き取った後、老人達が頻繁に顔を見に来るようになったことで一時期よりは改善されたのだが、それでも親子三人で暮らすのがやっとだ。とても高額な治療費など払えない。 「スズがうちに来る前のお母さんはね、子供ができないことにひどく悩んでいて、とても辛そうだった」 「そんな……」 「はは、そんな顔をしなくていいよ。スズが来る前はって言っただろ?」  ──そう、この子が現れてから妻は変わった。生きる気力を取り戻し、以前にもまして精力的になった。スズランを養子として迎えて以来、彼女が笑顔を絶やした日は無い。 「だからスズには感謝してる。僕が一生かけたとしても、とても返し切れない恩だ。もし村を出て行きたいなら止めない。もちろん今すぐになんて言われたら別だけど、そういうつもりじゃないんだろ?」 「うん……その、大きくなるまではここにいる。ぜったいに」 「そうか。なら、その先でどんな道を選ぶかはスズの自由だ。そもそも止める権利なんて誰にも無い。君の人生は君のものだ。お父さんとお母さんはスズならどんな道を歩いても必ず幸せになってくれるって信じてるよ」  目を細めて頭を撫でる。娘は少し涙ぐんでいた。それを確認するカズラの視界にも涙が滲んでいる。  本来こんな話は四歳の娘とするものではないだろう。この子がこんなにも賢くなければ、もっとずっと先の未来でしていたはずだ。  でも自分達が親子でいられる時間は、あとどれだけ残っているのかわからない。だから今ここで話したことは結果的に正解だったと思う。 (スズ、君は優しい子だ。自分で思っているよりずっと。色々と遠慮させてしまっているけれど、そんな必要は無いんだよ)  この子は決して髪飾りをつけない。髪型もいじらない。こうして自分達大人が遠慮無く頭を撫でられるよう気遣っている。  ああ、可愛いな。うちの娘はいじらしい。手放したくない。けれど、さっき言った通り、この賢くて優しい娘ならどんな選択をしたって幸せを掴んでくれる。そう信じられる。  だから見守ろう。この子が、いつか自分達の手から巣立って行く日まで。  背中を見送ることになる、その瞬間まで。 「おとうさん」  スズランは頭をカズラに預けて来た。 「なんだい?」 「わたしも、結婚するならおとうさんみたいな人がいい」 「……出会えるといいね、そういう人に」 「うん」  まあ、きっともう出会っているのだが。この子がそれを自覚するのは、いつになることやら。  カズラは苦笑しつつ、我が子の肩を抱き寄せた。
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