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第2章/花タクシー現る
ある蒸し暑い夜に
奥山フミオ(仮名)/ 37歳 会社員(バツ一独身)
あれは、真夏のえらく蒸す夜だった。
私鉄の人身事故で終電が運行できないということで、駅のロータリーにはバスでのピストン輸送を待つ長蛇の列ができて…。
当然、タクシー乗り場も気が遠くなるような順番待ちの絵柄がドンと目に入ってきたが…。
オレはタクシーの列に着いた。
この日は、棚卸しの期限ってことで、担当課の長である私は終電覚悟の深夜残業志願でこの時間となった訳だが、会社からは帰りのタクシー代が支給されることになっていた。
で…、どうせ待つんなら、乗った後は座席にゆったり座れるタクシーってことですんなり決めたのだ。
***
とは言っても、バスの方は何だかんだ言っても大量に人を飲み込んで、列の消化が目に見えてタクシー組より数倍早いという状況だった。
なので、タクシー組はみないらだちとため息で、蒸し暑い夜が更にもやもやと熱を帯びてきた感じがした。
そんな折…。
駅ロータリーの反対側で、見た目、明らかに白タクが人を乗せているタクシーレールが、この”緊急時”に急ごしらえされた…。
オレの目にはそう映った。
列の前の方でも、”この際、違法だろうが白タクいくか?”とか、まあ、皆そう見ていたな。
ところが…、となる。
***
その白タク乗り場らしき急造タクシーゾーンへ、”正規タクシー”の列から抜けて真っ先に”白行き”したカップルが、何やらタクシーの外から交渉だかやり取りをしてて、その挙句、白タクには乗らず、”正規”の列に戻ってきたのだ。
したら…、列に並ぶ自分より年配のハゲたおやじが、その”出戻り”カップルに声をかけて…。
「あんたら、何で乗んなかったの?あっちのタクシーに…」
それに対して、男の方が答えた。
「ダメですよ!あれ、タクシーじゃないです」
「はあ?」
「なんか、飲み屋の女の送迎車で、一緒に自宅へ乗せてきますって…。でも、あくまでタクシーだって言い張るんです。花タクシーだとかって‥」
「…」
”花タクシー”
その時聞いた、禍々しさの中にもどこか異郷感を漂わせたその響き…。
それは今でもこの耳に残っている…。
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