コロナ渦中の闘病日記 -12,入院・隔離-

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コロナ渦中の闘病日記 -12,入院・隔離-

2人で昨日私が説明を受けた救急外来の診察室で感染性心内膜炎と、今後の治療について説明を受けていた。 「通院で治療は出来ないですか?」 パートナーの絞り出した悲痛な質問に、私も思わず頷いた。 「1日何回も点滴を行いますので、その分足 を運んで頂くことになります。入院して集 中した治療をお勧めします。何かあったと きにこちらで早急に対応が出来ますので安 心ですよ。なので、治療を目的とした入院 を して頂き、その後については検査の結果 と経過次第で、治療を変えていく可能性が あります」 そう答えたのは、昨日診察をしてくれた女医・A医師だった。(仮) コロナに対する医療センターの対策は厳しい。院内に入る前に必ずPCR検査を受け、陰性が確認されて初めて入ることが出来る。入院患者は勿論、付き添いの身内もである。しかも、付き添いは1名までしか認められていない。 病状の説明を終えてもパートナーから離れようとしない私に看護助手が荷物を持つよう促した。 マスクが涙で湿って気持ちが悪い。 眼鏡に涙の水滴が付着してパートナーの顔が見えずらい。 「5分だけ時間を下さい」 泣きながら私は看護助手とA医師を見た。 渋い表情を看護助手は浮かべ、A医師は軽く頷いた。 「5分なら。話が終わりましたらお連れ様に は入院の手続きの説明をしますので、入院 受付に案内します」 そう告げると、席を外した。 感染性心内膜炎は最低4週間~6週間の抗生剤の投与が点滴により行われる。菌の生命力が強い為、内科的な治療で菌を潰していくのだ。 私の心臓の弁に張り付いている菌の塊は手術の基準となる1cmを越えており、既に塊の欠片が血液に運ばれて脳に飛んでいた。欠片の周辺に血の塊である血栓がくっついていると血管を潰し、脳に酸素が運ばれなくなり脳梗塞を引き起こしかねない。 A医師は、菌の塊が1cm未満なら抗生剤の投与で済むかもしれないが、心臓のエコー検査で明らかに手術の基準を越えているのが確認された為、外科手術をする可能性もあると説明をした。 様々な検査と平行して、一刻も早い抗生剤の投与が必要だった。 開胸手術という胸をメスで裂き、心臓を開ける手術をするかもしれない。 入院の覚悟は決めたが、病状を知れば知るほど、手術に対する恐怖が増し、身体から力が抜けていく。 厄介な菌が身体の中で繁殖していたから高熱を出していた訳だが、発見が遅かった。熱を出せばコロナを疑われ、PCR検査さえ受けられず、他の医療機関に診て貰えなかった。 その結果、死と隣り合わせになるほど菌が増殖したのだ。 本来適切な治療を受けるべき人が医療機関から受け入れを断れ、自宅で死亡したり、病状が悪化したニュースを思い出した。 私もコロナによる二次、三次の被害の巻き添えをくらったのだ。 しかも、コロナのせいでパートナーとの面会も、友人と面会することも出来ない。 日常とは完全に隔離され、非日常の空間に暫く泊まることになる。しかも、そもそも治るかどうかさえ分からない。先に述べた通り脳をはじめ、臓器に巣を作って菌が更に繁殖し全身を侵していくのが感染性心内膜炎だからだ。 パートナーにしがみつき私はとうとう泣き叫んだ。 「初めての入院だよ?手術って何?私、何か 悪いことしたかな?何で?何で?虐待にも 耐えて一生懸命に生きてきたのに、これ以 上辛い思いをするなんて、嫌だ」 泣き叫ぶ私に掛ける言葉もなく、パートナーは黙って私の肩に手を置いた。 こんなに大泣きしたのは子どもの時以来である。泣きすぎて涙が枯渇すると本気で思った。 「お時間です」 A医師が迎えにきた。 パートナーの目にはうっすら涙が浮かんでいる。 看護師は私の荷物を抱えると、病棟に案内すると私に告げた。 「病室に行ったら連絡するから。必ず連絡す るから」 パートナーと固く手を握って離した。 足早に歩いていく看護師の後を小走りで着いていく。呆気ない別れに一抹の不安を感じた。 エレベーターに乗り、循環器内科の病棟に向かった。心配そうに看護師が私を見ている。 「皆でサポートしますから、大丈夫ですよ」 気にかけて掛けてくれた言葉に反応することもなく、私は項垂れた。 医師、看護師、看護助手などが常駐するスタッフステーションの目の前にある循環器内科の個室に案内された。再度PCR検査を行い(救急外来では鼻から、今回は唾液検査)、陰性が確認されるまで個室にいるのだ。また大部屋の空き状況による為2~3日は隔離となる。隔離の間は部屋の外に一歩も出られない。 入室してすぐにレンタルパジャマに着替えた。 ベッドに横たわるように指示されたが、昨晩から首から肩に掛けての痛みがひどくなり横たわることさえ困難だった。 幸いベッドが上下に稼働したため、先にベッドに足を投げ出て背もたれに寄りかかり、ベッドはゆっくり後ろに下がった。 「採血と終わったら点滴を繋ぎますね。ちょ っとチクッとします」 たかが血液検査と思うなかれ。 菌の増殖だけでなく、体内のあらゆる臓器の活動を数値化して調べるのに重要な検査なのだ。(何処まで数値化するかは検査の目的により異なる) 針が嫌で大の大人でも嫌がり、時には叫ぶ(特に男性。女性は比較的大人しいという)患者もいるそうだが、我慢して血を抜かれた方が身のためだ。 あっという間に点滴が繋がれ、抗生剤の投与が始まった。左手の薬指にはパルスオキシンメータと呼ばれる血液中の酸素濃度を測る機器が挟まれ、心電図(持ち運びが出来るコンパクトサイズ。パジャマについているポケットの中に今でも本体をいれている)を装着した。 ドラマで見たようなザ・病人の姿になり私は唖然とした。 点滴は痛くないが、管が邪魔で違和感があった。 血圧と体温も計測され、暫くするとPCR検査が行われた。 「鼻からじゃないんですね」 鼻の奥に細い棒のようなものを入れられる覚悟をしていたので、拍子抜けだった。 「お若い方は唾液検査になります。ご年配の 方は唾液が検査に必要な量まで出せないん ですよ」 …そうなんだ。 鼻は痛いから、これからやるなら絶対に唾液検査がいいな。 個室は5~6畳くらいの広さで、ベッド、ソファ-、トイレ、洗面所、テレビ、備え付けのクローゼットなどがある。シャワー室は室外にあるため大部屋に移り、医師の許可が無いと入れない。 看護師が一旦引いていくとパートナーにラインをした。 ダウンジャケットが退院する頃には不要になるので看護師に渡すから持ち帰ってくれと送ると、入院手続きが終わったから入院の案内(パンフレット)を引き換えに渡すと返信がきた。 パートナーに会えないんだな。 コロナのせいだ。 怒りと虚しさでダウンジャケットを畳む手が止まった。 私、何をしているんだろう。 そうこうしているうちにお昼になり、病院食が運ばれた。食欲は相変わらずないままで、テイッシュを握りしめ唇を噛んだ。 午後から検査があったはず。 少しは食べないと動けなくなってしまう…。 2012年3月2日。 人生初の入院生活がいよいよ幕を開けた。
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