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続いての議題は「悲恋における誠実さについて」だった。僕は首を傾げ〈寝取られの神〉にその意味を問う。
「止むに止まれぬ理由で別れたかつての恋人が、数年後に新しい恋人と寄り添っているのを見る、みたいな話、あるでしょ? それって悲劇足りうるけど、昔の愛情は上書きできるようなものだったってことにもなる。とすると、別れたことなんて辛いことでなかったの? っていう」
「え……昔の別れが大したものじゃなかったって見せ付けられるのも、悲劇になるんじゃないの?」
「まぁそうだね。でも、辛い別れのみで終わらせてほしいって神もいるんだ。だから議論になる」
「そうか……」
性癖って面倒だなぁ、とは言わない。土台、とっくの昔に引退したご隠居の楽しみのためにあれこれ趣向を凝らしていること自体、笑ってしまう程に面倒で馬鹿らしいことだ。
「分かりきったことでしょう?」と腕を組んで嘲るように言ったのは、チェスターコートを着た〈裏切りの神〉。有名な神ではあるが、そういえば悲恋も彼の範疇だったっけ。
「別れだの略奪だのをいつまでも引き摺って、男も女もジメジメジメジメしているばかりじゃ、話になりませんよ。どちらかがプリミティブな性愛なんかとっくに捨ててくれないとね」
それはまぁそうだろうなぁ、と僕は話し続ける彼を見ながら適当に頷く。悲恋が専門の〈寝取られの神〉を見ると、こっちは少し気に食わない様子で口を曲げていた。
「あの口ぶりだと、裏切ればそれでいいって調子だね。愛情を尊重していない」
「尊重しないと駄目なの? 愛情」
「僕はそう思ってる。悲恋はあくまで恋だよ。先ずは恋愛感情が整っていないと」
それもまぁそうかぁ、と僕はまた頷く。今更と言えば今更だけど、僕はどうも流されやすい性格らしい。議論は苦手だな。
対して〈寝取られの神〉は黙って聞いているのも性に合わないようで、一歩前に踏み出て口を開……こうとしたが、それと殆ど同じタイミングで〈離別の神〉が前に出た。あまり話した覚えはないが、同期だから見覚えはある。体格は華奢で、中々可憐だ。フリルも似合っている。
……〈寝取られの神〉にしろ〈離別の神〉にしろ、悲恋に関わると外見が整って、いい服が着れるようになるのだろうか。
「でも、純粋な恋愛感情を残したまま仲を引き裂かれて、望まない結婚を強いられる、っていうタイプもありますよね。ちょっと、ありがち過ぎますけど……」
「ですね。テンプレ過ぎる。そんな甘酸っぱいだけの恋愛劇は、ハッピーエンドの布石として使われるのみです。プラス側の神に悲劇を乗っ取られたこと、一度や二度じゃないでしょう? あなた」
反論に加えて自分の行いを指摘されて〈離別の神〉が怯んだ。意見はともかく、あれは反則だろう。
そもそも、僕達はマイナス側の神として扱われこそするが、喜劇や幸福を司るプラス側の神々と敵対している訳じゃない。ハッピーエンドだろうがバッドエンドだろうが、目的はご隠居を楽しませること。僕だって、ハッピーエンドに協力することもある……極稀にだけど。
それに、離別はそもそも前フリとして扱われやすい事象なんだ。悲劇でなくなったって、仕方がない、と思う。
「ちょっと待ってくださいよ」と声を出したのは、やはり〈寝取られの神〉。てっきり怒ってでもいるのかと思ったら、穏やかな笑みは崩していない。
「そんなテンプレじゃ終わりませんよ、勿論。希望を残しつつ、最後まで徹底的に痛めつけることで、上質の悲劇に仕上げる訳ですから。最終的な苦痛と悲しみの総量は、こちらの方が上回るでしょう? ねぇ?」
えげつないな、と改めて考えて、僕は以前に聞いた〈寝取られの神〉の実績を追想した。思えば、あれが〈離別の神〉と協同した案件なのかもしれない。
とにかく自信がない共依存気味の男女を理不尽な理由で離別させ、女性は義理の父親に寝取らせつつ、いつか恋人との再会を夢見るままにしておく。その想いは奪わない。一方、男性は女性を決して忘れないまま、虚無的に毎日を送る。やがて二人は望み通りに再開し、女性は心から嬉しく思うが、男性は恋人にさせてしまった行為から、自分が恋人の敵であると錯覚し、終いに結ばれない。どうにも甲斐のない生涯だなぁ。
これは〈寝取られ・悲恋の神〉の二人が言う、人間の純粋な恋愛感情、希望を活かした、というか生かしたままの悲劇なのだろう。工程も人間の心情も面倒過ぎると思うが、まぁこういうのもあるようだ。
やっぱり二人とも性格が悪いと思う。
〈離別の神〉はそんな性格の悪い〈寝取られの神〉の発言を聞いて、少しは納得もしたらしい。やっぱり、悲劇を構成する上では非道さが重視されがちだからか、なるべく性悪なことを言うと押し切れる傾向がある。
それから三人を中心にあれこれ話が進んで「基本的にはスムーズに裏切らせる流れでもいいが、狙える時には誠実な恋を尊重する」ということで落ち着いた。狙える時というのがどういう時なのかは、聞いていてもよく分からなかった。悲恋は専門外だ。たまに関わることはあるけれど、その時も指示通りに動くだけだし……
それはともかく、驚いたのは〈寝取られの神〉の恋愛感情に対する思考だ。もっと凄惨で乾いた価値観を持っているのかと思っていた。如何せん、分野が分野だから。
そのことを本人に伝えると、彼は苦笑してそれを否定した。
「恋愛あってこその寝取られだからね。さっきも言ったけど、やっぱり恋が整ってないといけないし、その意思を捻じ曲げるのも好きじゃないんだ。美しくなくなる」
「じゃあ、快楽堕ちは?」
僕は素朴な疑問を漏らしたつもりだったが、彼は途端に表情を歪めて、頭をかいた。そのことに触れられるのは、あまり気分が良くないようだ。
「ごめん。嫌ならいいけど……」
「あぁ、いや。そうじゃないけどね……あれは悲劇っていうより、引退済みの神の個人的な依頼でやってるものだから。一〇〇パーセントお仕事。やりたくてやったことなんて一回もないよ」
「へぇ……」
色々大変だなぁ、と思うが、そういえば僕の方にもその手の依頼は来る。僕はどちらもただの仕事としてやっているだけで、矜持も拘りもないからいいけれど、彼のような神にとっては苦痛なのだろう。
僕は拘りが弱くて良かった、なんて、間抜けなことを考えた。どうも疲れてきた。頭が回っていない気がする。
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