10人が本棚に入れています
本棚に追加
次の週、いつものバスに乗ってバレエ教室に向かう。セイラ先生はこの前と同じく、レッスンの合間の休憩時間、外のベンチに座り、春の陽に包まれている。
「こんにちは」
現れた清美の姿に一瞬確かめるように目を細めてから、
「こんにちは」
そう返す先生に
「セイラ先生。私、やめるのを、やめました。
今日も、ビシバシ、宜しくお願いします」
元気よく清美が挨拶をすると、セイラ先生はふっと微笑む。
そうして桜の木を眺める。
「桜、今年はやけに早いんですよ。もうちょっとゆっくり咲いてくれていたらいいんですけどね。桜って花ひらくまでは、まだかまだか、って感じじゃないですか。でもその時が一番尊くて、美しい時期なんじゃないでしょうか。
咲いてから、お花見でわいわい、みんなが愛でる時よりも、暗い散歩道で、街頭に照らされた蕾を、夜空の中に一人見上げた時。
花ひらくその瞬間が、一番美しいと思うんです」
「花ひらく瞬間、ですか」
清美もセイラ先生の視線を追い、桜の木を見上げる。
「そうです」
セイラ先生はそう言って立ち上がる。
目が合い、先生と微笑み合う。
「さ、清美さん、始まりますよ」
ちょっと遅いかもしれないけれど、まだ花ひらくだろうか。
今この瞬間から、私は私を、始めることができるだろうか――。
清美は、スタジオの扉を開く。
熱のこもった空気がぶわっと顔を覆い、春の午後に舞った。
《了》
最初のコメントを投稿しよう!