名もなきワルツを踊る

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 バス停裏の桜の木を見上げる。  まだコートなしでは足りないくらい肌寒いので、花ひらくのはもう少し先だろう。  ふと、待合椅子(まちあいいす)を見やると紙袋が置いてある。忘れ物だろうか。  そっと中を覗くと数十冊のパンフレットが入っている。開くときらびやかな薔薇色のチュチュの衣装に身を包み、舞台の中心で舞う、バレリーナの姿が。   バレエ教室のもののようだ。  まるで手の届かないような幻想的な世界に「わあ」と思わず声を漏らす。  しばらくページを捲ると、定期発表会のお知らせの横にバレエ教室の連絡先が記載してある。スマホをポケットから取り出し、電話をかけてみる。 「お忘れ物かと思うのですが、星野ヶ丘(ほしのがおか)のバス停で」  電話口の女性は少々焦った様子で今から取りに行くと告げている。  ブオンとエンジン音がする方に顔を向けると、次のバスが来ていた。  パンフレットのバレリーナが踊っているのは、清美には縁もゆかりもない世界なのに、どうしてだか近づいてくる山吹色(やまぶきいろ)の田舎っぽいバスが、その世界へ連れて行ってくれるような気がした。  夫は会社の同僚と食事に出かけると言っていたので、時間はある。 「いえ。お届けしますよ」  清美は紙袋を抱えてバスに乗り込んでいた。
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