花見デート

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 今が春だとは思えない。もうそろそろ4月に入るし、桜は満開だし、いま自転車を停めようとしている駐輪場にあるツバメの巣にはこれから親になる集団が戻って来てるが、寒がりな自分にとっては十分寒い。駐輪場内に二個あるカーブミラーにツバメが一羽ずつ乗っかって睨みをきかせている。そういえばさっき今年初めてのモンシロチョウを見た。  アパートの部屋。2階。先輩の部屋のチャイムを鳴らして、もう一回鳴らそうかと指をかけたタイミングでドアが開く。 「よう」  手には食べかけのチョコバーが握られている。女性のする出迎え方ではない。部屋の奥に腰ほどの高さがある苗が置いてあるが、この人は植物を愛でるようなしおらしい人じゃないはず。春の気はそんなに人をおかしくするのかという考えは心に思うまでに留めておく。 「今日は一体なんですか」 「花見」 (今咲いていれば学校の入学式やらには葉桜だろうなぁ)  川沿いに遥か先まで桜が植えられている道を歩く。なんとなく並ぶのは憚られる。 「さっき花見って言った時これからどうすると思った?」 「そりゃいまこうなることですけど」  この人の話はいつも変な玄関をくぐる。 「花見としか言ってないのにな。それほどまで日本人にとって桜は花の代表というわけだな。まぁどうせお前は最後に花をじっくり見たのは夏休みの絵日記な奴だろうし連れ出してやろうってさ」 「中学の生物のスケッチくらいはしてます……多分。だいたい先輩だって高校の時、生物部で植物に興味ないから植生は浅学って自分で言ってましたよね」 「花の宴といえば桜。花イコール桜。桜の宴は源氏物語にも出てくる」  無視された。川の向かいには300メートルくらい先まで電車の線路まで空き地が広がっている。 「昔から桜は親しまれてきたわけだな。今のように宴が行われていたり、たくさんの歌に出てきたり」 「なんというかこう満開の様子は繁栄とか栄華やらを連想させるんですかね。そういえば僕は近くで見ようと思ったら幹が毛虫でびっしりっていう嫌な思い出くらいしかないんですけど」 「京都は花洛という呼び名もある。童謡『ちょうちょ』にあるようにまさに“桜の花の栄ゆる御世"だな」  この人、僕のどうでもいい話は聞いてくれないな。あと、そんな歌詞だったっけと思ったが歌詞を思い出そうとしても”菜の花に止まれ"までしか出てこなかった。風が冷たい。歩きに連れだされるとは思ってなかったから上着を心許ないものにしてしまっていた。 「これどれくらい続くんですかね」 「もう2kmちょいは歩いただろうからあと10倍くらいこの桜回廊は続いてるぞ」  そういうことじゃないんですが。喉が渇いたから自販機に寄ったがICカードが使えないので先輩に小銭を借りた。この人は一緒に外出していると何か飲み食いしてるところを殆ど見ない。 「そんな長いんですかこれ」 「全国トップクラスの長さなんだが地元を知らんやつだな」 「そんな話どこでも聞きませんよ」 「お前が、毎日、使ってる、駅の看板に、書いてある!」  やたら強調されて言われた。はぁ、とため息になりかけの返事を返すと先輩がわざとらしく咳払いをして講義は続く。そろそろピンクの川は見飽きた。 「えー、それで話の続きだが桜の語源は知ってるか? サ・ク・ラの文字列。わかんないなら当てろ。はいごー、よん」  サクラ!? サクラ、サク…… どうしても答えて欲しいのか3からやたら伸びる。 「あれしか思いつかないんですけど、サクラだからその、さ、咲く……花が…………」  先輩はあぁ〜と大袈裟にうなづいてからおもむろに顔の前で両手で三角を作る。 「そういう説もあるな。他にも木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)が由来というのもあるし、サ・クラと区切って『サ』は山や稲の神を表してて『クラ』は磐座(いわくら)の座と一緒で神のいるところってことだとか。これはどうかな、田植えの皐月の前に咲くからというがあまり桜と稲関連付ける他の話は聞かないしな」 「桜は神の依り所ってことですか。僕は桜の神木を実際に見たことはないんですけどここら辺には無さそうですね」  ちょっと待ったと制されて指で『ついてこい』の動きをするこの道を外れたら住宅街だが、どこにいくのですかと聞くと…… 「見せたいものがこっちにある」  さっきと変わらず先輩は僕のほんの少し前を歩く。変わったことは、僕には道がわからない。こちらに一瞥もくれることなく話し続ける。 「桜は特別に神と結びつけられて考えられてきたわけだな福をもたらしてくれるものとして、だが逆に何か悲しいというか不吉なイメージもないか?」  毛虫が湧くとか華やかすぎて僕みたいなどうせ陰鬱な人間には眩しすぎとか、とは本心では思ったが真剣に答えておく。自動車の通りが少なくなってきた。 「確かに散る様子は儚いですね。夜桜なんて美しさに畏怖すら思い起こしちゃいそうです」  自分で適当に言っておいてこの言葉はこの人に重なる節があるなと感じた。それに桜といえば有名な〜と言いかけたところで手のひらを向けられ制止させられる。多分、“それ"だから、と。 「舞い散る様子に死や終わりを連想した者もいたようだ。枝垂れ桜なんか当にそんな雰囲気だし。普賢象桜というのは花が房ごと落ちるんだがそれを斬首に見立てて囚人に仏心を起こさせるために枝を見せたとか。で、桜と死といえば!」  ターンして僕に人差し指を向ける。 「桜の木の下には死体が埋まっている。ですね? でもこれ一体何が由来なんでしょう?」 「梶井基次郎」 「え?」 「小説だよ。『櫻の樹の下には』1900年代の前半の方かな。語り手が満開の桜に不安や憂鬱を覚えて、それは桜の木の下には屍体が埋まっていてその汁を吸ってるからだと想像する」 「ちゃんとした出処があるんですね」 「それで俺はひとつ、いやふたつ思いついちゃったわけなんだよ」  先輩の脚が速くなったような、目的地が近いのかもしれない。そして、この人はまた何かやらかしたんだなと。でも、僕がこの人に惹かれる理由がそれだ。 「で、どうせもうそれは済んだ話だと」 「ああ、もうやった。桜の苗木を買ったんだよ。めちゃくちゃ高かったんだからな。それを死人が出た廃墟、ホテル跡に持っていって”本人"の前に植えてな直接言ってやったんだよ『お前は桜の木の下に埋まってるんだ』ってな」  無意識に唾をごくりと飲み込む。 「それで、どうなったんですか……!」 「いやつまらんかった。『そうか、そうだったか』とだけ言って消えちゃったからもったいないし苗持ち帰ってきた。あれどうすっかな」  気の抜ける応えが返ってくる。呆れる話には欠かない人だ。 「じゃあ僕に見せたいものって」 「ふたつ目だよ。ほらここ」  本当に到着したのか疑う場所だった。住宅街の中にある小さな公園だ。遊具のようなものはあまり無く、鉄棒と滑り台に何を表してるかもわからない黒い石のオブジェが数個と、あとベンチ。人も少なく見た感じ2個のベンチに大人の男がひとりずつ座ってるだけ、ひとりはハトに餌をやりながらカラスだけ追い払っている。他には…… 「あ、桜」  割と太く枝も大きく広がっている桜が一本だけあり満開だった。それに気づくと同時に体が脚の指先まで一瞬固まる感覚。はっきりしてるようなぼんやりとしているような、これは。 「どう見える? 集中してみてくれ」  桜の木の下、街灯とゴミ箱の横に小さい影。蜃気楼のようなあやふやさをしていて男女もわからなければ小さいのに子供だとか反対に大人だとかもわからない。が、以前の姿があって薄れたという存在ではないと僕の第六感は訴えている。存在感だけは濃いのだ。そして何より“それ"よりもこの桜から感じる圧力。まるで酷く怒鳴られ睨まれてる最中のような悪寒、これ以上この桜を見ていたくない! 「こいつがふたつ目の成果だ」  この人は楽しそうだが、まさか! この人ならやりかねない。 「死体でも手に入れて埋めたんですか!?」 はっはっは!と可愛くない笑い方をされる。 「いくら俺でも手に入らないって、まずバレずに達成できないわここじゃ」  じゃああれは、元から居たには不自然だ。 「ひとつ目の逆をやったんだよ、あいつに何度も何度も教えてやったんだ。『お前の下には死体が埋まってる』ってな。あれこれからどう育ってくと思う? ふふっ、夏休みの観察日記みたいだな」  先輩の笑みにもまた恐怖させられる。ハトが一斉に飛び立っていった。満開の桜の花弁は白地を血で染めたように見えた。 「じゃあまた来るからな。この辺店多いから何か食べていこうぜって、お前今金持ってないんだったな。一週間以内に返してくれるなら払うけど」  その言葉に相当な生返事をした気がする。この寒気は上着では拭えないだろう。いつか先輩から植物にも感情があるとする研究があるいう話を聞いた。馬鹿馬鹿しいと思う。でも、僕はあの桜を見て受け取った僕自身の思いを ──桜が、泣いている。  としか表せないと疑うことはない。  駐輪場に戻ってきた。全く血も涙もない人だ。忙しなくツバメが出入りしている。ツバメは南に旅立っても同じ巣に同じ個体が帰ってくるんだっけか。春は出会いと別れの季節か。あんなに寒い思いをしたのに不思議な気分だが、また来年くらいなら先輩とあの桜の花見に行ってもいいかな。  
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