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炎天下。
今日の現場はまさしくそのものである。
梅雨の中休みというのか、朝から日差しはどんどんその勢力を増し、昼食の為の休憩をとった時には、作業員全員が真っ赤な顔で倒れんばかりに仮設テントの中に入ってきたのだった。
「おもしろい話、聞いたんだけど」
そしてまた、今日はいつもと少し勝手が違う。
和泉にとって、入社した頃を思い出す相棒が横に座って愛妻弁当を広げているのである。
「なんスか、高倉さん?」
入った頃はずっと指導係として和泉と一緒に現場入りしていた高倉であるが、最近は仕事内容が少し変わって、殆ど一緒に現場に出ることなどなかったのである。
しかし、今日は和泉のいつものペアである村田が夏風邪を拗らせたとかで休んでおり、たまたま内勤となっていた高倉がその穴埋めとして和泉の現場に入ったのだ。
「おまえさん、開発のバイトくんにナンパされたらしいな」
思わず、手に持っていたコンビニ特製おにぎりを膝の上に落としてしまう。
「な……だ……ど……?」
「何故か。それは俺がおまえと同じ職場にいるから。誰から聞いたか。そりゃ、村田に決まってるだろ?」
質問にならない問いかけに、しかし高倉はあっさりと応えてくれた。
「しかも和泉ちゃん、結構それにノっちゃってるらしいじゃないか」
言いながらも表情は変わらず、おそらく奥様お手製であろう卵焼きなんぞを口に運んでいる。
「……ヤいてんですか?」
悔しいので、嫌味を込めてそんな風に訊いてみた。
「ああ、当たり前だろ?」
即答されて、しまう。
しかし和泉にはそれが何よりの“嫌味”に思えて、ムッとした表情で黙って立ち上がった。
「何やってんだよ、和泉」
「オレ、あっち行きます。ひろ……高倉さんと一緒に、いたくない」
思わず口をついて出てきた名前をすぐに訂正し、和泉は口をつぐんだままその場を離れようとした。
「待てよ!」
高倉の手がそんな和泉の腕を素早く掴んで、再びその場に座らせた。
下請けの作業員は皆別のテントにいるので、二人のそんな様子を気にかけてる人間など誰もいない。
けれど、和泉はその場を考えて自分の行動を反省し、すぐにおとなしく座り直したのだった。
「ヤくのは、当たり前だろう、和泉」
そして、高倉が和泉にだけ聞こえるように話し始めた。
「おまえにしてみれば、確かに遊びに見えるだろう。俺には水津穂がいるし、拓もいる。あいつらへの愛情は本物だと、俺は思う」
妻子持ちの男、なんてことはこの関係が始まった時からわかっていたこと。
和泉だってそのことは十分に理解している。けれど……。
「でも、さ。おまえのことをどうでもいいように想っているなんて、そんなことは決してないぞ、俺は。おまえといるときはおまえに本気だし、そんなおまえのことを追いかけ回すヤツがいる、なんて聞いて、気にしないでいられるほど俺はオトナじゃない」
少し掠れたようなその言葉には、隠しようのない感情が込められていて。
事務所内の――恐らく社内にも一部いるであろうマニアたちの――愛するマスコットが、昨日今日入ったような何も知らないアルバイト生なんぞにナンパされていた、と言う事実を、それこそ何も知らない村田はおもしろおかしく高倉に話してくれた。
いつの時代も右に出る物はいないと言われる程の色男で通ってきた高倉の人生の中で、それは、今まで味わったことのない感覚で、きっとこれが世に言う“嫉妬”という感情なのだろうと思い至った瞬間に、和泉への気持ちが自分でも“アソビ”を越えているものだということに気づいた。
けれど、それは表に出すべきではないとわかっていたし、だからこそその一瞬後には村田と共にその事実を笑い飛ばすという行為に及んだのではあったが、当の和泉に対して恨み言の一つは言ってもいいのではないかと思ったのも事実である。
「高倉、さん」
「惚れなおしたか?」
「……自分で言わないで下さい」
「でも、事実だろう?」
「違いますよ。呆れ返っただけです。さすがは“抱かれたいオトコナンバー1”だけあるな、って」
和泉はペットボトルのお茶を飲み干して、軽く高倉を睨み付ける。
「都合良いことばっかし言って。そうやって水津穂さんのこともナンパしたんですか?」
「こらこら、あんまりつっかかるなよ」
「つっかかってなんかいません」
「じゃあ機嫌直せよ?」
「直らないです」
「後で電話するからさ」
「……またそうやって……」
「今度、ちゃんと朝まで一緒にいるから」
「……ずるいです」
そんなこと言われたら、喜んでしまう。
秘密の社内恋愛、しかも怒濤の不倫関係なんてやっていると、嫉妬という感情はいつも幸せと一緒に存在しているわけで。
そんな自分だけが抱いているのだろう醜い感情を、この人もたまには感じているのかもしれない、なんてほんとはそれだけで嬉しいのだけど。
「和泉」
名前なんて、本当は呼ばれるだけで嬉しいのだけど。
「メシ食ったら、次の作業入りますからね」
簡単に機嫌を直してしまった自分なんて、見せてやるものかと和泉はすっくと立ち上がって言った。
勿論高倉は和泉の感情の動きなど全部お見通しなのではあったが。
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