抱擁

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「おいおいおいおい。放せよ、埴生」  店を出て路地をいくつか曲がると、似たような居酒屋に有無を言わせず和泉を引っ張り込み、空いている二人掛けのテーブルに付いた。 「あ、生二つ。あとは適当につまみ、よろしく」  どうやら常連らしく、店の大将にそれだけ言うと、自分を睨み付ける目に漸く視線を向けた。 「夫婦喧嘩は犬も食わないんスよ、和泉さん」 「そういう問題じゃないだろ」 「そういう問題なんスよ、あれは。だって和泉さん、りょうさんに対してなんか疚しい気持ちでも持ってるって?」  冗談じゃない! と、和泉は慌てて首を振った。 「やろ? りょうさんだって、たかちゃんしか見てないんだから、あれはただの痴話喧嘩。適当に話して、スキンシップの一つもすりゃ、すっかり仲直りしてるよ、あの二人は」 「でも、さ」 「でも、何?」  答えに詰まる。  確かに、それはそうだけど、でもあんな妙な誤解を生み出してしまった自分にもなんだか責任があるように思えてしまうし。 「たかちゃん、さ。少し不安だったんだよ。この間からりょうさんあっちの会社での飲みが多いし、自分は仕事忙しくてそれどころやないし。そんな時に和泉ってゆー、かわいいかわいいコと一緒に飲んでるトコなんて見ちゃったからさ、バクハツしてしもーたわけだ」  そこまで言うと、折良く運ばれてきたジョッキを和泉のそれに軽くぶつけ、軽く煽った。 「和泉も、飲みなよ。まだ大して飲んでなかったろ?」 「……なんで、知ってるわけ?」  高梨も、宮城も、自分の方がずっと親しいと思っていた。  けれど、そんな高梨の不安なんて和泉は全然知らなかったし、気づいてもやれなかった。なのに……。 「俺はね、和泉情報を必死で収集してるわけ。で、どうやったらそれが一番手っ取り早いかってーと、和泉の一番親しいおだちんやたかちゃんと親しくなるっつーことかな、って考えてさ。ここんとこ、二人と一緒にメシ食ったりしてたん、俺」  社員寮には一応“食事”がある。  月曜日から木曜日だけであるが、希望者は朝のうちに名簿に印をしておけば、割と手頃な金額で夕食が食堂に用意されているのである。  で、何故和泉がそれを利用していないか、というと。  ただ単に和泉の好き嫌いの激しさから、である。  これはもうどうしようもないくらいで、和泉の偏食はまるで幼稚園児のように激しく、寮で出される純和風家庭料理は殆ど「嫌い」の一言に尽きてしまうのだ。  なので、和泉は殆ど毎日のようにコンビニ弁当や、外食にするため、夕食を食堂で採ったことなどない。  ちなみに朝食は寮生総てに用意されているが、これは和泉がいつも朝早くに現場に行くため、時間が全く合わないので、めったに口にすることがない。  通常勤務の人間は恐らくまだ熟睡中であるところの五時半時頃には既に出勤体制をとっている和泉であるため、これはどうしようもないことである。 「オレだけ知らなかったんだ」 「何? ショックなわけ?」 「当たり前だろ。なんか、オレだけハズされてるみたいだし」 「和泉は自分からハズれてるんやないか」  少しだけ、真剣な目で和泉を見る。 「なんで?」 「みんな言ってた。和泉は何も教えてくれないって。なんか、和泉は誰も知らないうちにいなくなってたりして、で、気が付いたら戻ってて。誰とデートとかってのも聞いたことないし、そもそもそういう相手がいるのかどうかも、みんな知らないって」  それは……だって、言えないから。  言えるはずがないから。 「別にさ、何でも喋ればええってもんじゃないし、別に黙ってたからってどってことないけど、でも俺に訊かれて何も答えられん自分たちのこと、少し寂しがってたよ」  埴生にそんな風に言われ、和泉は目を逸らして俯いた。
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