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確かに、小田は彼女のことを、高梨は宮城とのことを、それぞれ相談してくれる。
いいアドバイスができているわけじゃないけれど、そんなことよりもたぶん、気持ちを言葉に表すだけできっとずっとすっきりしているのだろう。
それを話してもらえる自分にしても彼らとの繋がりを感じられて嬉しいし。
なのに自分は、一度もそういった話に触れたことがない。
“今は彼女なんていらない”ってそんな風に言っていつも逃げている自分は、実際にしているカンケイについて完全に隠しているわけで。
“隠し事”なんてされていい気分じゃないなんてわかりきっていることなのに。
それでも、絶対に言えないから。
高倉とのこの関係は、絶対に他人に知られるわけにはいかないから。
「何が何でも全部見せろ、なんちゅーこと、言うつもりないけど、おだちんやたかちゃんには受け止められんことでも、俺なら受け止められるっちゅーことも、あるよ」
いつもの埴生らしくない真剣な声。
和泉は黙ったまま目前にある豆腐を見つめていた。
誰にも話せない、そんな関係を続けている自分を汚いと思うし、それは清算しなければならないことはずっと昔からわかっていること。
関係を持ったその瞬間から、高倉との“別れ”は絶対的なものとして自分の中にあった。
考えてみれば自分の中で必死に否定しながらも、それでも続けてしまっているこの約三年もの月日は、誰かの不幸の上に成り立っていた関係なのである。
誰かに話すことによって、責められるべきなのかも、しれない。
「なんっつって、ね。実際和泉がどんな人間か、なんてまだ全然知らんのだけどね、俺は。なのに偉そうに言ってまうんだよなー」
急に冗談めかしたことを言って、いつもの埴生に戻る。
和泉が黙り込んだことに、自分なりに責任を感じてしまったらしく、苦笑してビールを煽った。
「だってさー俺、何べんでも言うけど、和泉のこと本気で好きになってるんよ。それだけは自分でもよーっくわかってん。で、そんな大好きな和泉のこといっぱい知りたいし、和泉のどんな汚い部分を見せられたとこで、この気持ちって変わらんと思うんだよなー、俺としては」
照れながらそんなことを言って、新しいビールを注文する。
和泉の隠された関係がどんなものであるかなど当然わかるべくもない埴生なのに、それでも何かに悩んでいるのだろう、ということだけはわかるようで、和泉が自分の考えの中に入って沈み込もうとする度に、埴生はそんな風に現実の明るみに戻す。
ふとそれに気付いた和泉は彼の顔を見上げた。
くるん、と丸い目。
子犬のように黒目がちなそれが自分に向けられた瞬間、埴生は弾かれたように身を引いた。
「……なーに、逃げてんだよ?」
「に、逃げてなんかないっスよ。ただちょっとびっくりしただけで」
「何で?」
「だって………和泉、かわいいから」
「はあ? 何言ってんのさ、おまえ。ばっかじゃねーの?」
面と向かってかわいいなんて言われてしまい、和泉はその照れからふてくされたように言って再び埴生から目を逸らし、軽く頭を掻いた。
「和泉は、かわいい、よ……まあ、ぱっと見はサルやけど」
「何だとお? サルは余計だ! おまえなんかウドの大木じゃねーか」
どうも最近みんなに“サル”呼ばわりされる。
「うど……失礼な。俺のこのガタイ見て、ため息吐かないオンナはいないんだぜ?」
「それって、空気薄いって感じて深呼吸してるだけじゃねーの?」
「……デブって言いたいのかよ?」
「でぶじゃん」
「デブじゃねーよ! ひっでーなあ。俺のこのカラダは筋肉なんだよっ! 和泉なんて片手で持ち上げられるんやからな。自分が細いだけやんか」
「言ったなー! 細いの、気にしてんのに!」
埴生の七十キロ以上はゆうにある体躯にしてみれば、確かに和泉の五十そこそこの体は細いだろう。実際標準体重に満たない和泉は誰が見ても細いのではあるが。
「気にすることないやん。俺、細いコのんが好きだし」
「細い言うな!」
和泉は完全にムクれて埴生を睨み付けたが、当の本人はにやにやと笑って目線で“かわいい、かわいい”なんて言っていて。
「……おまえなんか、嫌いだ」
「嫌いって単語が出て来る、ってのは期待していいわけだ」
「はいいいい?」
「嫌い嫌いも好きのウチ、ってね」
満面の笑み、という表情で埴生は言って、和泉の膨れっ面をしている頬にちゃっかりキスなんかして。
「は……埴生っ!! おまえ、何すんだよっ!」
真っ赤になった和泉の会心の一撃が埴生の鳩尾に見事に決まり、彼が倒れ込んだのはその僅か一瞬後であった。
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