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午前零時を少し回った頃。
突然鳴ったチャイムの音に驚いた埴生がドアを開けると、そこに立っていたのは完全に目の据わった和泉であった。
「よお、はにゅー! おいらといっしょにのもうぜーい!」
アルコールのせいなのか、目の縁を赤くした和泉はテンション高くそう言って手にしているビールを埴生に押し付けた。
「な……どうしたんスか?」
驚いている埴生を余所に、和泉は勝手知ったる他人の部屋とばかりにずかずかと自分と同じ間取りの部屋に入り込むと、和泉の後を追って来た埴生の目をじっと見つめた。
「和泉…………?」
「へっへっへー。おまえのあいするいずみクンが、夜這いにきてさしあげましたよお」
「よ……夜這いって……」
ふらふらとビールを煽りながら、埴生に近づく。
もう、どれくらい飲んでいるのだろうか。
覚束ない足取りで近づく和泉に手を差し伸べる。
「おまえ、オレのこと好きだって、言ったよな?」
見つめる、というよりは完全に睨み付けている和泉の目は、埴生をただ頷かせるのみで。
「よーし、よく言った。だったら……それならできるよな? オレのこと、好きだってんなら……オレのこと、抱いてみろよ」
和泉のそのあまりの発言に、埴生は愕然と目を見開いた。
「オレは、オトコだ。そんなオレのこと、好きだっていうなら抱いてみろよ。おまえにそれが、できるのかよ?」
埴生を睨み付けたまま、和泉はそう言ってTシャツを脱いだ。
言っている内容に反してそれはあまりにも素っ気ない脱ぎ方ではあったが、しかしその衣服の下から現れた和泉の素肌は……。
「い…和泉……」
つい数時間前に付けられた紅い跡は、浅黒いその素肌にもはっきりと残っていて、埴生は生唾を飲まずにはいられなかった。
「……弘は、オトコであるオレをいつも抱いてた。今日だって、抱いてくれた。水津穂さんのことも同じようにしてることなんてわかってたけど、でもオレといるときはオレだけを見て、オレだけを抱いてくれた」
Tシャツの次はジーパン。
ベルトを外し徐にファスナーを下ろす。
「和泉!」
埴生は慌てて和泉のその動きを止めた。
これ以上見ていられない。
完全に理性を失っている和泉がしている行動は、そのまま埴生の理性をも奪おうとしていて。
これ以上和泉のその綺麗な素肌を見せられたら、押し倒さないではいられなくなる。
「できんのかよ! オトコを抱く、なんてことがおまえにできんのかよ!」
「止めろよ、和泉」
「アソビかもしんねーけど、でも違うんだよ! 弘は、でも真剣にオレのこと大事にしてくれた。わかってんだよ、弘の気持ちなんて、全部わかってんだよ、オレは!」
涙が、止まらなかった。
高倉との関係を断ち切ったのも自分からだし、それはずっと前からしなければならなかったことだった。
だから、そんなことを後悔なんてしていないし、するつもりもない。
けれど……辛いのだ。
一人で部屋に帰って、何もかも忘れるためにビールを何本か開けて。
でも飲めば飲む程に彼との日々を鮮明に思い出してしまうのだ。
だから、ここに来た。
埴生に、八つ当たりしに来たのだ。
「和泉……」
「抱けるかよ、好きでもないオトコを。水津穂さんみたいな美人相手にしてる男がよ、こんなサルみたいなオトコのこと、好きでもないのに抱けるかよ?」
自分でも何が言いたいのかわからない。
けれど、彼との関係を埴生にとやかく言われたくなかったから。
本当はあってはいけない関係だけれど、自分にとっては必要だったのだと言いたかった。
高倉の自分への優しさが、愛情だったと思いたかった。
「俺は……今、苦しいよ、和泉」
埴生は和泉に着ていたシャツを掛けた。
「俺は、あんたのこと本気で好きだ。だから、好きなヤツがこんな格好して“抱いてくれ”なんて言ってるの、黙って見てることなんて本当はできないよ」
そうやって和泉のなめらかな肌を隠した。
自分の欲望から遠ざけるために。
「でも、俺は抱かない」
「…………」
「俺のこと見てない、俺に抱かれたいって思ってないあんたなんて、抱きたくないから」
和泉の涙に濡れた目が自分を見つめている。
それは埴生の理性をこれ以上なく擽るけれど、それでも必死の思いで押し殺していた。
「弘さんが和泉のことどれだけ愛していたか、それは俺はわからない。でも、和泉がどれだけ弘さんのこと好きだったかってのは、よく、わかったよ」
わかりたくなんてないけれど。
埴生は心の中で呟いて、和泉をそっと抱きしめた。
「だから、俺はそれを忘れさせる。和泉の中から、弘さんの想いを全部……影も形もないくらいに、忘れさせてやるよ……」
だから……お願いだから、傷付かないで。
苦しまないで。
埴生のそんな気持ちをぶつけるような固い抱擁に、興奮して酔いが回ったのも相俟って、和泉はすっかり意識を無くしていた。
ぐったりと体を自分に預けてきた和泉を埴生は軽く抱き起こすと、奥にあるベッドに横たえた。
すーすーと、寝息を立てて眠る和泉は何故か安心しきっており、埴生は苦笑しながらその安らかな寝顔を見つめる。
――高倉、弘……か。噂には聞いてるけど……
和泉が誰にも内緒で付き合ってきた、妻子持ちの色男。
社内一の美女を仕留めたオトコが、何を今更オトコなんかに手を出すのだろうか?
不思議だと思っていた事実も、この寝顔や屈託のない笑顔、無邪気にはしゃぎ回る元気の良さなどという、和泉のもっとも和泉らしい様子を見ていれば何もかもが頷ける。
――こいつにコクられたら、そりゃストレートだって簡単にオちるよなー。マジ、かわいーもん
埴生は苦笑しながら和泉の額にかかった前髪をそっと掬った。
――だいたい……この状況だって、拷問だよなー。
なんで俺、律儀にこいつ寝させたんだろ。
ヤっちゃえばよかったよー、マジで。こんな状況で眠れるわけないっつーの。
俺、ビンビンだぜ? どうしてくれんだよ、コイツ……。
横に眠る和泉は、高倉に付けられたのであろう跡がしっかりと残っている肌を、惜しげもなく露わにしていて。
しかも疲れ切ったまま安心しきった様子で埴生の腕の中にいるのである。
これを拷問といわずして、何だというのだ。
埴生はともすれば手を出してしまいそうになる下半身をやっとの思いで抑えつつ、和泉の側から離れてキッチンへと向かった。
コップに水を汲んで喉を潤すと、今夜は眠れないな、と覚悟を決めてベッドの下に寝転がったのだった。
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