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「和泉――!」
声がした。そう、呼ばれたから振り返った。
「和泉!」
車を降りて、部屋の前に立った時だった。
「いずみ!」
廊下は駐車場に面していて、二階の部屋の前から声のする方を見下ろした時、そこにその大男が手を振っていた。
「和泉!」
「うるさい! 何回も大声で人の名前呼ぶんじゃねえ!」
四回目の声に我に返って和泉は、その大男に向かっていつものように叫び返した。
「戻って来ましたよ――!」
そう、嬉しそうに言いながら、大男――埴生司は和泉の元へと走り寄った。
「何で、ここにいるのさ?」
全速力で駆けて来た埴生は息を整えながら、茫然と問う和泉の目を見て答える。
「和泉に逢いたかったから」
「は?」
「ガッコのさ、就職課にあったの、ここの募集が。だから受けて、そんでバイトしてたって面接で言ったら通っちゃった。らっきー」
暢気に言って埴生はブイサインなんかを和泉に見せる。
「…………」
「信じらんない?」
和泉は黙ったまま頷いた。
当然だ、信じられるわけがない。
ずっとずっと、いなくなってからずっと、ひたすらこの目の前の大男のことを考えていたのだ。
何も言わないで自分の前から姿を消したこのバカ男のことが、ずっとずっと気になって仕方なかった。
「ははは。愛の力!」
埴生は豪快に笑って、和泉を抱きしめた。
「もう、放さねーぞ、俺は」
力が、入る。
大切に、けれど弛めることなく。
今まで離れていたことを総て忘れるように、埴生は和泉を抱きしめた。
「――――っ苦しいっ!」
「あ、ごめん」
「ごめんじゃねー、このバカ! おまえ、オレを絞め殺す気かっ!」
和泉は暴れながら言う。
けれど……。
「何、何で泣いてるの? ごめん、マジで苦しかった?」
「……ち、ちが――」
「俺、すっげ、嬉しくて。ずっとずっと和泉に逢いたかったから」
ならなんで連絡しなかったんだ! と和泉は喉まででかかった声を止めた。
だって、わかったから。
埴生が自分と離れている間、物凄くいろんなことを考えてたことが、わかったから。
真剣に自分を見る目が、ふざけて軽い口調の裏に篭っている気持ちを代弁していたから。
きっと、逢うためにずっと頑張ったんだろう。
就職課に募集があった、なんて多分嘘。
この不景気な状況下で、この会社が募集をかけるのはほんの僅かな人数のみだから。
きっと、いろんなことを頑張って、それで今こうして目の前にいるんだろうから。
「ごめん、和泉。泣かないで」
「な、泣いてなんか、いねーよ、ばーか」
そう言った自分の声が、完全に涙声なのはわかっていた。
でも、ちゃんと目前に立つ大男を見つめる。
「和泉……」
「おかえり」
そしてぐい、と埴生のネクタイを引っ張ると、涙に濡れた唇を埴生のそれにぶつけた。
End
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