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「オレ、ナンパされちまったよー」
愚痴をこぼす相手はいつものメンバー。
あまりのことに混乱した和泉は小田、高梨、宮城に召集をかけ、その日の夜いつもの居酒屋に集まったのである。
「へえ、誰に?」
にっこり笑顔で応えるのは小田である。
自他共に認める人見知りの和泉が「ナンパ」なんてされて、一体どんな状況だったのか想像するだにおもしろくて。
「はにゅー」
「は?」
「はにゅーつかさっての。藤田さんとこのバイトくん」
言って和泉が差し出したのは昼間にもらった、携帯ナンバー入りの名刺である。
バイトの身の上で名刺があること自体が不思議なのだが、どうやら藤田は社外的な仕事にも彼を使っているらしく、入って早々に名刺もメールアドレスもきちんと一人の社員として用意したようである。
「……はにゅう、ねえ。またおもしろい名前で」
「しかも来週あたり、寮に引っ越してくるらしい。四階の島田さんが出た後に」
「やっぱり和泉、かわいいんだよね。男の人にナンパされる、なんてさ」
「たかちゃんがそれ、言うかなー」
「言うよ。だって、前から思ってたもん。僕のことかわいいって言う人、絶対和泉を知らないんだろうなって」
「はいー?」
「絶対僕よか和泉のほうがかわいいってば!」
「んなことねーよ! たかちゃんのがかわいい」
「和泉!」
「おまえだ!」
「はいはいはいはい、そこ、低レベルな争い、しない」
小田が止めに入ってようやく二人は静かになる。
しかしお互い「かわいい」という形容詞に不快感を覚えているせいか、この話になるとよくこんな争いになる。
ちなみに宮城に言わせれば「瑞樹の方がかわいいに決まっている」わけなのだが。
「しかしまー、物好きな。たかちゃんにしろ、和泉にしろ、完全にオトコじゃねーか。たかちゃんはともかく、和泉なんてほら、野生のサルに近いぜ? 一体どこがいいんだか」
「さ、サルだとおお?」
「おまけにすぐキれるし」
「う……」
そんな二人のやりとりを見て腹を抱えていた宮城が、ドアの方に目をやって笑いを止める。
「お、なんだよ、みんなここでいつも飲んでんのかよ?」
やあやあやあ、とざわめく店内の騒音をものともしない声を、平然とかけながらやってきたのは非常に珍しい人物、開発部期待のホープである藤田隆弘であった。
しかも、その後ろにいるのは件の人物、埴生司である。
「おう、久しぶり、ふじたっち」
宮城が応えるけれど、動きを完全に止めてしまったのは和泉である。
まさに昼間自分をナンパしてくれた当の本人の登場に、ほんの少し入っていたアルコールも総て飛んでしまったのであった。
「あ、こいつこの間から俺の手伝いで入ってるバイト」
地声の大きさに少々問題があるのだが、本人は至って平然と隣に立った埴生を宮城たちに紹介してくれる。
「埴生、司です。以後お見知り置きを」
「おっまえ、どこの人間だよ?」
藤田に突っ込まれながらも、埴生は四人に笑顔を見せ、まるでそうすることが当然であるかのように和泉の隣の席に座った。
「和泉さん」
「…………」
「今日はかなりラッキーだな。藤田さんがたまには息抜きって言って早く終わらせてくれたことも、ついでにたまには飲みに行くか、なんてここに誘ってくれたことも。それより何より、昼間に和泉さんとお知り合いになれたことが、まあ一番なんですけどね」
和泉をじっと見ながらつるつると喋る。
そして運ばれてきたジョッキを和泉のそれに合わせて、乾杯、などと笑っていて。
「お、早速口説いてるよ、コイツ」
呆れ返って何も言えないでいる和泉の横で、小田が代わりに口を挟んだ。
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