二、飛梅

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 脳が揺れて軽く頭痛がする中「ああ」と頷くと、ようやく栞は体を揺らすのをやめてくれた。視界が歪むのを瞬きでどうにかリセットしようとしたがなかなか治らない。それよりも栞がこの場所にいることが不思議でたまらなかった。 「どうして君がここに? 長野にいたんやないと」 「お父さんの仕事でまた福岡に戻ってきたの。あれ、でもなんで私が長野にいるって知ってるの?」 「えっと、父さんが君のお父さんの転勤先が長野って言っとったけん」  不意打ちの質問に一瞬言葉が詰まったが、それとなくの答えを返した。 「なるほどね」と理解したように頷く栞を見て心底ほっとした。ここで「ずっと水泳の試合で名前を検索していた」なんて口を滑らしたら、せっかくの再会が最悪なものになっていた。 「それで、もしかしたら駿君に会えるかもって期待してたんだけど、まさか同じ高校とは!」  はしゃぐ栞の姿に見惚れていた。握っている手の中が汗ばんでくる。覚えていてくれたことが嬉しくて首筋のあたりがこそばゆい。しかも栞も会いたがっていたなんて、今にも汗ばんだ拳を天高く上げたいがそこはぐっとこらえる。  栞は手を後ろで組み、少し首を傾けて微笑した。 「水泳、続けてたんだね」 「……まあな」  溜まっていた唾に嘘を絡めて飲みこむ。彼女の言葉が俺の心を音もなく刺してくる。事実としては嘘ではないが、真実ではない。別に水泳が好きで続けていたわけではない。速くなりたいとか試合に出たいなんて一度も思ったことはない。ただ、続けていれば栞に会える、その想いだけで続けていた。 「ほら、そろそろ始めるけん集まって。話はあとで」  清原に呼ばれて我に返った。相変わらず笑みを浮かべている栞は「行こう」と駿の手を取って走り始めた。 「おい、俺を置いていくな」と後ろから亮太も追いかけてくる。  夕日で柿色に染まった栞のシャツを見ながら駿は引っ張られるまま走っていた。  新しい風から背中を押されている気がした。
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