三、御原高校水泳部

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「い、一年五組の辻林ちゅんです」  くすりと笑う声が聞こえて顔が沸騰したように熱くなる。いかん、まだ名前を言っただけなのに二度も噛んでしまった。しかも『ちゅん』ってなんだ? そりゃ笑われるわ。 「落ち着いて。ゆっくりでいいから」  祐からの言葉で焦っていた気持ちが少し静まった。そうだ、とにかく落ち着かないと。深く深呼吸をしてから口を開く。 「辻林駿です。スイミングには通っていたんですけど、試合経験はありません。今日はよろしくお願いします」  拍手が起こり即座に座る。途端に緊張がほぐれて尋常ではない疲労感がどっと体にのしかかってきた。次の亮太に続いて男子が四人自己紹介をしていたが、自分の番が終わった気のゆるみでよく聞いていなかった。  駿が我に返ったのは栞が立ち上がった時だ。その横顔に緊張は見られず堂々と胸を張って彼女は話し出す。 「一年二組の市倉栞です。専門は背泳ぎと自由形です。親の仕事で中学まで長野県にいました。よろしくお願いします」  拍手に混ざって先輩たちからどよめきが聞こえる。当然のことだ。普通の公立高校に全国区の選手が来たのだから驚かないはずはない。  その後も女子が二人続いて一年生の自己紹介は終わった。  よくよく考えると、見学とは言っているもののまだ自己紹介しかしていない。一体今日は何をするのだろう。不思議に思っていたら祐が手を挙げて全員の注目を集める。 「よし、じゃあ今から四十分後にリレーをするから各自アップしといてね。できるだけ一年も二、三年もコース分散して交流するように。チームはあとでマネージャーに振り分けてもらうからホワイトボードを見るように。今日はこれで終わりやから全力で楽しんでね」  よっしゃー、と歓喜に溢れ、先輩や亮太たちはぞろぞろと更衣室に消えていく。そんな中、駿はただ一人呆気に取られていた。 今、リレーって言ったのか? これから? 冗談だろ。  どれだけ考えても事態は変わらない。亮太やほかの一年生が水着を持参しているところを考えると、事前に言われていたようだ。  大分焦ったが、ふとある考えを思いついた。これはある意味この場から抜け出すいい機会ではないのか。水着を持っていないのであればもちろんプールに入ることはできない。ただ見ているのも邪魔になるので今日は失礼しますとでも言って帰ればいい。  思わぬ秘策に自分で感心しながら清原とマネージャー志望の一年女子と話し合っている祐のところへ行った。 あの、と後ろから声をかけると祐は嬉しそうに振り返ってきた。 「どうしたん?」 「えっと、実は今日、佐藤の付き添いできたので水着を持ってきてないんです」 「そっかー」と祐は腕を組む。よし、いい反応だ。このまま一気に畳みかけよう。 「なので今日は――」  ここまで言って駿は今日一日の自分の運の悪さに気づいた。災難続きの今日、うまくいくはずなんてなかったのだ。 「おーい、誰か水着二枚持ってきとる人いるー?」  祐が大声で男子更衣室に呼びかけると、二年の先輩が窓から顔を覗かせた。 「僕持ってます」 「ナイス和也。そしたら今日は和也から水着借りてね」  あの、あの……。呼ぶ声は次第にしぼんでいく。隣でホワイトボードに名前を書いている清原は「よかったね、泳げて」と意味ありげな笑みを浮かべている。全然よくないんですけど……。  もうやるしかないようだ。  肩を落として渋々更衣室へ向かった。
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