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男には、女の言っていることが、少しも分からなかった。
目の前で、地面に座り込んでいる女を見ても、なんの感情も湧いてこない。この様に、可笑しな髪色をしている女は初めて見る。そういう意味では、運命とやらの悪戯の類いなのかもしれない。けれど、それが遠い昔からの定めだとして、はたして何の意味があるのか……。考えたところで、答えは出ない。
運命ねぇ……。男はそう呟き、ふと、なんとも言えぬ良い香りが、辺りに漂っていることに気がついた。香りを辿り、暗闇に目を凝らすと、先ほどまでは何も無かったはずのその場所に、数本の木が立っていた。
あんなものが、ここには在っただろうか。男が、背後に立つ木々を見ながら呟くと、女は、確かに在りましたよ。沈丁花です。と、言った。
なるほど、沈丁花だったのか。丸い樹形に倣うように、真白で小さな花たちが、手毬のように固まって枝先を染めている。芳香は、誇らしげに咲き誇る花々が、己の存在に気がついてほしいと、望んだ故なのかもしれない。
愛らしい花を愛でていると、女が徐ろに立ち上がり、時が来ましたね、と言った。
時が来たのかい?男が問うと、女はゆったりと微笑み、はい、時が来ました。沈丁花の花がひらきましたから、と言った。
不思議なことに、時が来た、と言われると、あぁ、そうだな。あの時もそうだったと、遥か遠くに置き忘れてきた記憶の欠片みたいなものが、ひとつひとつ集まってくる様な不思議な気がする。
あれは、いつのことだったかな。立ち上がった男が隣に並ぶと、女はクスリと笑って見せた。
思い出したのですか?と問われ、男は首を横に振る。
いいや。全てを思い出したと言えば嘘になる。けれど、少しだけ、ほんの少しだけ、思い出したような気がする。男は、帯の上から女の腰に触れ、もう痛くはないのか、と問うた。
女は男の手の上に自分のそれを重ね合わせ、えぇ、もう痛くはありませんよ。傷痕は残ってしまいましたが、それもまた、あなたと想えば愛おしい名残りです。
女は真白な頬を赤く染め、自らの言葉に恥じらっているようだった。ふっと視線を俯けた女の頬を両手で包み、男は潤んだ瞳を真っ直ぐ見据えた。
そうだ。あの夜も、あの夜も、女は自分のことを待ち続けていた。月だけが浮かぶ闇夜の下、ただただこの場所に座っていたのだ。
もう、かれこれ何度目なのだろう。輪廻転生。生まれ変わる度、男はこの場所へと引き寄せられる。女の頬から手を離し、そのまま己の胸に抱き寄せた。
見上げた先には、樹齢数百年余りの楢の巨木が、何時ぞやと変わらず、静かに男を見下ろしている。
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