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Act.1 繰り返す夢
はらはら舞い落ちる薄いピンク色の花びら。
どこから落ちているんだろう。
視線を上げてみて驚いた。
たくさんの花びらを抱えた大きな大きな樹があったから。
花びらがいっぱい詰まっているせいでピンク色が濃く見えるところがある。
触ったら弾力がありそうだ。跳ね返されるんじゃないかな。
あれ? 何でそんな感触を知っているんだろう。
わからないけど、そう思ってしまった。触ったことがあるのかもしれないな。
この樹はこんなたくさん花びらを抱えてるから、あふれちゃって落としてしまってるんだ。
もったいないけど、くるくる踊っているように落ちているさまは見ていて楽しい。
ピンク色が可愛いからかもしれない。
どこに落ちていく?
落ちていく先に視線を下げていったら指先が見えた。
花びらを受け止めようとしている手。
誰だろう……。
伸ばされた腕の向こうには風に揺れる黒い髪と花びらのピンク色を映す黒い瞳。
やわらかな唇から紡がれるのは歌?
楽しそう。
花びらやこの大きな樹と話をしているみたいだ。
誰かな?
肩掛けしている羽織りをどこかで見たことがある。
【カグラ村】、【龍の紋章】、【桜の守り人】。
あの大きな樹、桜を守っている【歌の神子・レンカ】という人。
何て楽しそうに、嬉しそうに歌うんだろう。
オレも聴いてみたい。
ここからじゃよく聴こえないから。
彼の傍で、桜の樹や花びらと一緒に聴きたい。
瞼が開く。
視界を遮断していた扉が上がり外の光景を映し出す。
高い天井に暗く鈍い光が明滅しているだけの、変わらない映像。
目覚めはいつも同じ。
瞼を閉じている間に頭の中に映し出される“夢”から覚めると、毎回同じ物を見る。
“夢”はいつもあたたかくて楽しくて軽やかな気分になるのに、目覚めると寂しい気持ちになる。
“寂しい”。最近覚えた言葉だ。
起きるたびに言葉が増える。抱えた感情の分、それを表す言葉が頭に浮かんでくる。
その行程は“面白い”。
次々と言葉が増えて感情が整理されるから、自分が今どんな気持ちになっていて、だからどうしたいのか行動を起こせるようになった。
考えること。動くこと。それらが連動すると、さらに感情や言葉が追加されていく。
繰り返される行程から新しいものが生まれて、どんどん頭に蓄積されると体がそれらに対応し作用する。
それが“成長”だと知った。
人型戦闘兵器・AK-151【フラウ】。
それが彼のコードネームである。
脳波が“起動したい”と願えば作動するカプセルの膜が瞬時に霧散した。
フラウは軽く息を漏らしてゆっくり身体を起こす。
左右を見渡し、いつもと変わりない光景に納得すると、腰を上げて立ち上がってみる。
自分の身体を見下ろし、見慣れたプラグスーツに少しだけ気持ちが沈んだ。
つまり“がっかり”したのだ。
“あの人みたいな着物を羽織ってみたい”
フラウの中にまた一つ欲求が生まれた。
母体のグランドマザー【サラヤ】はそれを記憶すると、まるで「いってらっしゃい」と背中を押すように、フラウの肩に手の感触を感じさせた。
するとフラウは瞬きして表情をやわらげる。
“また東の塔まで行ってみよう。あそこは夢で見るピンク色の大きな樹が見えるから”
思考が目的を掲げると、フラウは眼を輝かせてカプセルから降り立った。
軽やかに駆け出したその姿が見えなくなると、あちらこちらで光の明滅が激しくなり何かの可動音が鳴り始めた。
床に光の線が走ると、先ほどまでフラウが寝ていたカプセルの土台が浮き上がって、ゆっくり時計回りに動く。
フラウのカプセルは壁へと吸い込まれていき、反対側から同じカプセルが出現した。
そうして中央まで移動してくると、可動音が止み光の明滅が収まって静寂が戻った。
出現したカプセルの中には、さっき目覚めたフラウと同じ顔が眠っていた。
* * *
「神子よ、調子はいかがか」
大樹の丘から空を見上げていたレンカは、声を掛けられて振り向いた。
「長。うん、落ち着いてるよ。大樹の守りは健在だ」
レンカは幹に手のひらを当てて、ニッコリと微笑んだ。
そのやわらかな微笑みに齢九十歳になろうとしている村の長・イザナ老も眉尻を下げた。
「さようか。ならば良いが、そろそろマザーが進軍を開始する時期に差し掛かる。今回も無事に凌げれば良いのだがな」
表情を暗くした長に、レンカもまた憂いを浮かべる。
「いくらプログラムされてるからって、こんな定期的に攻撃を受けていたら、いずれやられてしまう。けどマザーを破壊してしまったら地球の核にまで影響が出て星自体が無くなってしまうかもしれない。せめてアーマノイドの製造を止められたらいいんだけど……派遣した部隊は還って来なくなる。これ以上の犠牲は出しちゃだめだ。それに……」
俯いていたレンカはちらりと長を窺った。
言いたいことに気づいた長は小さく吐息した。
「例の青年はまた現れたのか?」
レンカは村の結界の安定を図るために桜の大樹と瞑想に浸るのだが、ここ数日の間、レンカの意識に一人の青年の意識が入り込んでくるのだ。
最初は誰にも話さずにいたのだが、青年の姿にあることが判明してしまい、悩んだ末、長にだけ打ち明けていたのだった。
「……なんで“彼”はおれの中に入ってこれるんだろ? シンクロできてしまうなんて珍しいけど、“彼”の意識だけだ。アーマノイドはみんな同じで感じる波動にあたたかさは微塵もない。だから戦える。でも……“彼”だけは違う。いつも遠くでこっちを眺めてるだけだけど、最初は人形みたいに感情を表さなかったのに今は楽しそうにしてる」
レンカは自分の胸元をつかんで苦しそうに眉間にシワを寄せた。
「感情が伝わってくるようになった。昨日なんか笑ってた。おれの歌をニコニコして聴いてるんだ」
「神子」
長が呼び掛ける。
その声に弾かれたようにしてレンカは振り向いた。
「どうして!? あいつには“心”がある! 他の兵器たちとは全然違うんだ!」
泣きそうな顔をして叫ぶレンカを長もまた苦い顔で見つめた。
「神子よ。それもまたマザーの策略かもしれんぞ。そなたの心を惑わせるために精神波動を意識下に潜入させている可能性がある。その青年はただの偶像にすぎんだろう」
「それはおれも考えた。けど、なにかか違う。上手く言えないけど、あいつの波動は作りものに見えない。いや、作りものだとしても赤ん坊と一緒でなにもない空っぽの状態から純粋に見て聴いて覚えたことだけを吸収してるのかもしれない。だったら、あいつはまだ“兵器”じゃない。戦うことを知らない、ただの人造人間ってことになる」
「だから無害であると言うのか?」
冷静に問いかけられ、レンカは言葉に詰まった。
長から顔を背けて溜息をつくと肩の力を抜いた。
「頭ではわかってるけど、ただ戦うためだけに作られていく彼らと、おれはもう戦いたくないんだ」
レンカは遠くにそびえ立つ巨大な鋼鉄の建造物を見つめた。
威圧感とともに冷たく暗く寂しい、そんな哀しい印象を抱かせる存在の中で、自然発生でないとはいえ“命”が生まれている。
人工的に植えつけられた意識や感情であっても、“個性”が生まれればそれはもう“命”だとレンカは思っていた。
人間だってさまざまな知識を蓄え感情を覚えていきながら思考し行動するのだ。
兵器として生み出されている彼らも、優しさや思いやり、命の尊さを覚えれば戦うことはなくなる。命を愛することだってできるだろう。
その可能性に導くことはできないか。
もしかして“彼”なら……。
そこまで考えた時、腕を強い力でつかまれた。
「神子。そなたが守るべきはこの星が育んできた自然と共に生きてきた我々人間なのだ。作り物に心を奪われてはならぬ。その青年の意識はプログラム次第でどうとでも変えられるのだから」
「じいちゃん……」
か細く呟いたレンカに長は表情を和らげた。
「苦しかろうな。そなたは優しいからのう。すべてに心を傾けて包み込もうとする。だから大樹どのがそなたを受け入れたわけでもあるがな。だがそなたは一人ではない。皆が共に戦っておる。一人で苦しむな」
レンカは長の優しい思いに触れて微笑んだ。
「うん。ありがと、じいちゃん」
「その青年のこと、トクサに相談してみぬか? そなたと同様に生き物と意識を交わせる者だ。いつもそなたを気遣っておるし、マザーの意図から逃れる術を見出せるやもしれぬ」
「ん、そうだね」
頷くレンカを見て、納得したように自分も頷きながら、長は大樹の丘を下りて行った。
その後ろ姿を見送ると、レンカの表情は少しばかり曇った。
「トクサか……。あいつ“彼”を見たら逆に惚れてしまうかもな」
冗談を口にしながらも、脳裏に浮かぶアーマノイドの笑顔はレンカの心を揺るがせて離れない。
知らず手を添えた桜からは慈しむ思いが慰めてくれるのだった。
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