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Act.2 削られゆく世界
光の中に浮かぶ人影が振り向く。
それと同時に夢の中の自分の意識が覚醒する。
眼を開ければ、そこら中がピンク色の世界。
大きな桜の樹がたくさんの花を咲かせて、さらに風に乗って花びらを舞い上がらせているから、青空も白い雲も緑の大地もみんなピンク色に染まって見えるんだ。
あんまり見つめていると何だか眼がチカチカしてくる。
何度か瞬きをしていたら太い幹の傍に人が立っていることに気づいた。
“あの人だ”
不揃いになっている黒い髪が揺れてる。
いつもの着物を着て穏やかな表情で何かしゃべっている。
“やっぱり桜の樹と話をしているのかな?”
あの大木が桜という樹であることを最近知った。
しかも花は色んな種類があってみんな名前が違うらしい。
あの大木は“ソメイヨシノ”という花を咲かせていて、一輪だけ見ると花びらの色はピンクというより白っぽいのだ。
花弁の辺りがピンクだから密集すると全体が染まって見えるみたいだ。
それにあの樹は“特殊”だという。
マザーが教えてくれたのだが、植物でありながら念動力を持っていて、物理的な要素を加えようとすると、それを拒絶したり排除したり、または撥ね返したりするのだそうだ。
つまり【バリア】と同等なものを張って身を守るらしい。
“マザー以外にそんなことができる存在がいたなんて驚きだ”
もしかしたらあの人にとってのマザーかもしれない。
“オレもマザーとはよく話をするから一緒だな”
そう思うと少し嬉しくなって、もっと近くに行ってみようと足を踏み出してみる。
“あ”
彼が振り向いた。
黒い瞳をまんまるに見開いてこちらを見ている。
何度か瞬きをしながらずっとこらちを見ている。
“あ、首を傾げた”
この表現は『困っている』とか『不思議に思う時』などに使われるらしい。
では何か困っているのだろうか。
『困る』とは『不自由』な感覚であるという。
“オレを見ているということはオレが彼を困らせているのか?”
自分の何が原因なのか考えてみるが答えが出てこない。
“マザーに聞いてみないと”
ここを離れるのは勿体無いけれど仕方がない。彼が困っているのはいやだ。不自由さを感じているのはいやだ。
名残惜しいが踵を返そうとした。
「待って!」
声? 彼の声?
驚いて振り向くと、彼がほっと息をついてる。
“もう困った顔をしていない”
そう思うとまた嬉しくなった。
「君さ、最近よくここに来てるよね?」
問われて、反射的に頷いたら、彼は安堵した表情をした。
「こっちにおいで」
そう言って手を差し伸べられて……。
自然とその手に向かって自分の手を伸ばした。
“あ”
突然、身体が硬直した。
指先が、手のひらが、腕が、形を失くしていく。
モザイクがかったように輪郭がぼやけて崩れていく。
“どうして?”
彼に届かない。
差し伸べられた手に触れたくて、思い切り腕を伸ばすのに届かない。
驚愕に眼を見開く彼の表情が残像となったかと思うと、意識が浮上した。
“どうして?”
覚醒と同時に勢いよく身体を前へ突き動かした。
途端に引き戻される感覚がして後ろを振り向くと、背中に数本のプラグがくっついている。
周囲を見渡せば、暗がりに点滅する光がちらつくだけの、いつもの光景。
もうあの人の姿も桜のピンク色も見えない。
そう思ったら身体の力が抜けて胸にぽっかりと穴が空いたみたいに切なくなった。
“切ない”
この思いは苦しい。
痛みを感じる胸に手を当て、ふと頭上を見上げた。
そこにはたくさんの“自分”。
プラグコードに絡まった腕や足が奇妙に歪んでいる。中には身体から離れて吊り下げられた状態になっている。
“何だ、これは?”
カプセルに腰掛けたまま茫然と見つめるだけだった。
“オレがたくさんいる”
「コードAK-151、フラウ。眠りなさい。まだ起動する時間ではありません」
頭上から声が聞こえた。マザーだ。
“マザー。オレと同じ顔が、同じ身体がたくさんある。これは何?”
「これから実習が始まります。あなたの兄弟たちが使命を果たすために出撃するのです」
“実習? 使命?”
「いずれわかります。あなたはこれから知識を得、訓練に入るのですから、今は眠っていてよいのです」
“見ていてはいけませんか?”
何故だかそう伝えていた。
一拍後、マザーは返答する。
「――いいでしょう。東の塔へお行きなさい」
夢と同じ桜の樹が見られる場所。
プラグが外れる音がして、オレは反射的に駆け出した。
* * *
日が暮れる。
景色が静かな夕闇を迎える時刻に、マザー・サラヤの巨大要塞から第一陣が放たれた。
「二十九回目か……」
レンカは桜の大樹にもたれ、深いオレンジ色の空に無数の黒い影が迫り来るのを見つめた。
その頬にオレンジ色が反射し、愁いを帯びた瞳は心中とは対照的に陽の光を受けてキラキラと輝いている。
カグラ村に対するマザーの進軍はレンカが生まれる以前から行われていた。
人類が創造した最強最悪の国軍管理コンピュータ。
五度目の世界大戦が勃発して後、人類の大半が死滅し、地球の自然が七割近く破壊されたため、各国の管理コンピュータが地球崩壊を食い止めようとさまざまな対策を採った。
地殻変動を起こし始めた大陸プレートに根を張って繋ぎ止め、溶解した流氷によって発生した大津波を人工ブリザードで凍結そして粉砕し、噴火する地上や海底の火山から流出するマグマを冷却して高熱から自然を守った。
その後、管理コンピュータたちは地球保護を絶対プログラムとして働き続けたおかげで崩壊寸前だった地球は何とか原型を留めていられた。
しかし生き残った人類が残された自然と共生していくには、文明や科学に頼りすぎていたために、唯一の頼みの綱となるはずだった管理コンピュータの裏切りは絶望の極みだった。
管理コンピュータは自分を創造した人類を地球に対する敵とみなしたのだ。
以来、人類掃討戦を繰り返しているのだが、数十年経っても人類はしぶとく生き続けた。
何故なら生物にとっての絶対プログラムは生存である。
そしてコンピュータを創造したのは人類であり、人類の頭脳は地球上最高の知恵と閃きを持つ。さらに機械には寿命があった。
人類は地球を守る管理コンピュータと対峙しながらも、破壊するのではなく密かに操作しメンテナンスを行って地球保護に努め、自らの生存のために利用した。
だがその昔、日本国と呼ばれたこの地では管理コンピュータの支配は強力でしぶとく、人々の自由にならないばかりか、長い戦いの中で身も心も疲弊していく一方だった。
そんな中で天の神が人々にもたらした命の壁。
各地で核爆弾から逃れるために作られた防護壁【シールド】が発見されたのである。
カグラ村では、それが桜の樹の下に設置されていた。
しかしカグラ村の人々では【シールド】の作動方法を知る者も解明することができる者もいなかった。
ところが、ある人間が触れると作動したばかりか、声による音波に乗せて操作まで適ったのである。
こうして村を守護する【シールド】の奏者は【神子】と呼ばれ、レンカは生まれた時から、その命の波動と音声を使って村を守り続けてきた。
大樹に選ばれし神子。
その重圧に押し潰されそうで日々苦しんできたが、レンカはともに戦ってくれる桜が好きだった。
桜の波動もまた【シールド】が反応を示すのでレンカの後押しをしてくれるのだ。
「なあウヅキ。いつまでこんな戦い続くんだろ」
小さな呟きに、桜は思念を送ってくる。
“ワカンナイ”
「だよなぁ」
レンカはくすっと笑い、軽く息を吐き出して身体を離した。手のひらは太い幹に当てたままだ。
「あいつ、出てこなかったらいいんだけど……」
“情ガ移ッチャッタ?”
レンカに何故か【ウヅキ】と愛称をつけられた桜はわざと軽い口調で問うた。
それに対し苦笑するレンカ。
「無垢な存在が厄介なのは確かだな。じいちゃんが言ってたみたいに戦闘プログラムを組み込まれてしまったらもう別人になってるだろうから……。まあでも同じ顔のアーマノイドを見て、あいつかどうかもわかんないだろうしな」
ぐるぐると答えの出ない思いが頭の中を掻き回している。
「いい加減こんな戦い終わせなきゃ悲しい思いばっかり増える。マザー・サラヤも自分の子供たちが戦いに出て帰ってこなくなるなんて、もう見たくないはずだ」
管理コンピュータにさえ人間と同じように情を寄せるレンカの性格は常々周囲を悩ませている。
あまりに慈愛に満ち、あまりに情念が深く、あまりに傷つきやすい。
それでも壊れまいと大地を踏みしめる姿は健気であり眞の強さを秘めていた。
“ソウダネ。マザーハ、オ母サンダモンネ”
【ウヅキ】の言葉にレンカは一瞬眼を瞠り、そして笑顔になった。
「うん。母親を悲しませるなんてよくないに決まってる」
レンカが見つめる先には、黒々とした影がオレンジ色を飲み込むように広がりつつある。
すでにカグラ村は厳戒態勢に入っており、マザーの兵器たちを迎撃する準備は整っていた。あとは村の人々が言う【大樹の結界】、つまり【シールド】をレンカが発動させるだけだ。
風がふわりとレンカの背中へ吹きつけてきた。
舞う桜の花びらが黒い影と重なる。
「ウヅキ、【シールド】オン。百八十度展開。強度八十パーセント」
“了解! 【シールド】オーーン! 入リマスッ”
レンカは踏みしめる大地から地響きのような振動を感じながら、胸の奥では夢の彼が出てこないことを祈っていた。
フラウは眼に映る光景を茫然と見入っていた。
あの美しかった桜のピンク色と空のブルーとのコントラストが、今では異様な配色へと変化していたのだ。
陽が落ちたせいもあるかもしれない。
しかし夜の訪れとは程遠い、自然がもたらす闇でなく、第三者が強引に作り出した暗黒の世界だ。
“あそこがもし夢と同じ場所だったら”
フラウの中で不安が渦巻きはじめた。
確認したくとも、この距離ではフラウの視力を持ってしても限界がある。
「モニタリングしていますから、映像を送ってもらいましょう」
“マザー?”
声がしたかと思うと、塔の天井がスクリーンへと早変わりした。
そこに映し出されたのは戦闘シーンだった。
桜の大樹がある。
樹を取り囲んでいるキラキラした膜が左右に長く伸びて、その手前であちこちに黒い影がちらつき火炎が生まれていた。
音が聞こえてくる。
飛来音、破裂音、爆発音、激突音、そして……歌。
“あの人の声だ”
一体どこに?
すると映像が切り替わった。
桜の樹が大きく映し出される。
揺らめく虹色の膜の向こう側、樹の根元に小さな姿。
“あれだ!”
もっとはっきり見たい。
フラウが望むたびに映像はアングルを替えて見せてくれる。
フラウは食い入るように見つめた。マザーの意図に気づくことなく。
桜の守り人と言われるレンカは、小さな身体からは想像がつかないほど、時に迫力のある声でエネルギーを放ち、時に儚い声で戦う人々を優しく包み込んでいる。
背後に楽器を奏でるヒューマノイドを従え、音の乱舞の中、戦っていた。
相手は、自分と同じアーマノイドが操る兵器の数々と彼ら自身だ。
フラウは混乱していた。
あまりに情報が足りなすぎる。この状況をどう判断していいかわからなかった。
ただ自分が夢で出会っていた風景とあの人が攻撃を受けている。
そして攻撃をしているのはマザーが放った自分そっくりの人造人間たち。
“マザー、何故戦っているのですか、あの人たちと”
「人類を滅するのは私たちの使命です。地球を守るために行う当然の措置なのです。あなたもいずれわかります」
フラウは思わず自分の手を見つめた。
白いスーツに覆われた手。次いで映像を見返す。兵器に乗って戦うアーマノイドもいれば、単身で背中に鳥の翼のようなものを背負って飛び交いながら攻撃を図る者もいる。
“オレは、あの人と戦うことになるのか……”
そう思った途端、反射的に身体が動いた。
フラウは東の塔を飛び出し、巨大要塞から抜け出そうと走り続ける。
マザーは制止しなかった。
後ろ姿を静かに見送っているだけだった。
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