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Act.3 ふれあう手と
はじめて緑の大地を踏みしめる。
鋼鉄の固い床ばかりしか知らないフラウにとって、草が生えた大地は走りにくかった。でも面白いと感じた。
東の塔を出てから一気に要塞の外壁まで辿り着いたフラウは、数メートルもある壁を難なくよじ登り、さらに躊躇なく飛び越えた。
かなりの速度で落下していったがフラウの足は大地をえぐりながら見事に着地した。
そこから先に広がる、草木が生息する土や砂の床を見て、人間なら未知なる世界へ飛び込むことを少しは戸惑いもするだろうが、アーマノイドであるフラウにはデータさえあれば何も問題はなかった。
大地の感触や植物の生態、質感、匂いまでがプログラミングされているため、初めて見聞きし触れるものでも平気だった。
それに今のフラウには桜の樹がある場所へ向かうことが最優先事項となっている。
彼のことが気掛かりでならなかった。
虹色の光の中で懸命に歌い続けている彼に早く会いたかった。
そして叶うことなら。
“あの人の手に触れたい”
もう一度差し伸べてくれたなら、今度こそ重ね合わせてみたい。
フラウは夢で彼に会うたび、望みが増えていくことに気づいているだろうか。
心を持たないはずの、機械仕掛けの人間に何故、願望が芽生えるのか。
それはマザーたち管理コンピュータが人類殲滅に固執するのと同じなのかもしれなかった。
要塞から続々と人型戦闘兵器が飛び出していく中、フラウはいくらも走らないうちに足を止めてしまった。
何故なら大地が途切れていたのである。
桜の樹がある大地との境には広大な谷がぱっくりと口を開けていたのだ。下を覗き込むと木々が密集している。
フラウは上空を見上げた。
自分と同じアーマノイドが自力で飛行している姿が見える。だがフラウはその術を知らない。
ならばこの崖を降りて谷を渡るしかない。
そう判断し実行しようと身体が谷へ傾きかけた時である。突如、大気が振動した。
背後から伝わる圧迫感に振り向くと、巨大要塞の頂上から天へと無数の光が立ち昇っているのが見えた。桜の色に似たピンクの光が激しく雲を突き抜けている。
“あれは……膨大なエネルギーが集まっている”
胸騒ぎ。
そんな心情をアーマノイドが感じたのかどうか。
フラウは眼光を強めると、加速をつけて崖を滑り降りて行った。
一方、カグラ村の人々もその眼に巨大要塞から伸びるピンク色の光をしっかり捉えていた。
「神子! マザーがエネルギーを充填し始めた! メガ粒子砲が来る!」
最前線の第一小隊から連絡が入り、巨大要塞へと視線を移したレンカはその様相に顔をしかめた。
すると桜が気遣う思念を送ってくる。
“マタ来チャウネ。イツモ攻撃パターンガ同ジダカラ大砲ガキテモ防ギキレルケドサ。レンカハ身体平気?”
「大丈夫」
レンカは一言で応えると、背後の本陣へ声を張り上げた。
「迎撃やめて退避! みんなを結界内まで下がらせて!」
「了解! 全軍退避させます!」
「神子、【シールド】の強化を!」
長の言葉にレンカはしっかりと頷いた。
「ウヅキ、強度を百二十パーセントへアップ」
“了解ダゼ。……同ジパターンダケドサ、毎回レンカノ精神力ガ弱マッタ時ニ大砲ガ来ルジャナイカ。シンドイダロ? 正直ニ言エ”
桜の命令口調にレンカは思わず笑ってしまう。
それでも返事をすることなく、ただ要塞が天空に放つ光の柱を見つめて、うっとりと呟いた。
「ピンクの炎だね……きれいな色なのに」
人工の光でも美しく思ってしまう。脅威にしかならない過ぎたエネルギーの冷たい光なのに。
「あんなものばっか人間は造るだけ造って、地球を傷つけてばっかりだ。最低な生き物だけどさ。でも」
レンカは思わず唇を噛み締めた。
瞳を潤ませながら言う。
「でも人は地球を愛してる。愛してなきゃ、とっくに滅んでるはずなんだ」
しかしこのまま飽和してしまっている戦いを続けていては、いずれ人類は朽ち果てていく。
「生きなおすチャンスをください」
誰ともなく呟き、レンカは眼に決意を滲ませた。
背後に向かって、すっと片手を上げる。
するとヒューマノイドたちが大きく激しく演奏しはじめた。
早まる旋律に乗せてレンカの声が力強く、それでも切なく響いていく。
伝わる波動の変化に桜が驚いて声を上げる。
“レンカ? ドウスル気ダ!”
「メガ粒子のエネルギーを跳ね返してみる。あの大砲だけでも潰す」
“ナンダッテ!? 無茶ダヨ!!”
いつもは【シールド】の電磁波と相殺することで消滅させていたのだ。
【シールド】を保たせるだけでも相当な気力を有するのに、跳ね返すとなると、さらに強度を高めてメガ粒子砲よりも膨大なエネルギーを引き出さなければならない。
戦闘が開始されてからすでに一時間は経っている。
レンカの気力と体力に限界がきていてもおかしくない。
【シールド】にどんどんエネルギーが溜まっていくのを感じた桜が慌てた思念を投げかけてくる。
“ワワワワワワッ、集マッテクル、脹ランデクル! デカイヨ、破裂スルヨ、怖イヨ~!”
混乱している桜をレンカは優しい声で宥めた。
「大丈夫だ。破裂なんてしない。飛んでくるボールをバットで打ち返すようなものなんだから。まあどっちも半端ないデカさだけどな」
笑みさえ浮かべた余裕の表情に、桜は逆に不安げな空気を漂わせる。
しかしレンカの意思は揺るがない。
【シールド】は視覚的には虹色の膜として見える。その虹色が次第に色味を増していき大気を震わせ始めた。
後方では桜の大樹とレンカを見守る村の人々がいる。
その中に長の隣でレンカの背中をまっすぐに見つめている青年がいた。
赤茶けた髪を短く刈り込み、レンカと同じく着物を片方はだけさせて纏ってる彼がトクサである。
色素の薄い瞳はいつもその背を見守ることしかできないでいた。
その時である。
突然レンカが歌うのをやめた。
「あれは……。まさか、あいつ! なんであんなところに!?」
“今度ハナンダ、レンカ?”
「夢で会った、あいつがいるんだ! あそこじゃ跳ね返したエネルギーの巻き添えになってしまう!」
言うなりレンカはその場を放って駆け出してしまった。
いきなりの行動に桜はパニックを起こして喚いた。
“オイ! レンカ! マサカ、助ケニ行クノカ!? ソンナコトヲシタラ、オマエモ巻キ込マレルゾ!”
「おれのことはいいから、【ウヅキ】、ちゃんと【シールド】保たせろよ! 跳ね返した後、エネルギーダウンするから守りに徹しろってトクサらに伝えて!」
レンカはバギーに飛び乗ると、急発進させて谷へと向かった。
“バカ! アンナ奴にカマッテル場合ジャナイダロ! マザーノ罠ダッタラ、ドウスルンダ!”
しかし桜がどれだけ叫んでも振り返らず、その背中はどんどん小さくなる。
レンカの行動を見て、訝しんだトクサたちが口々に問い質しにくる中、桜はただただ疲れた溜息をついた。
【シールド】の強度は限界値に達しつつあるし、巨大要塞はもう発射態勢に入っている。レンカを止めることは不可能だ。
“……ソレニシテモ、ヨク見ツケタナァ。恋ハ、盲目ッテカ? ナーンテ、冗談言ッテル場合ジャナイゾッ! レンカー、生キテ帰ッテコイヨー”
レンカに届けとばかりに桜の思念が飛び立った。
その後、一瞬にして大気が硬直し、生けるものすべてが息を殺した時、巨大エネルギーが放射された。
エネルギーが大きく脹らんでいくのを、フラウもその熱量を数値で把握していた。
“臨界点に達した。そろそろ来るな”
フラウは谷に密集している木々を枝から枝へと渡りながら進んでいたのだが、メガ粒子砲の衝撃に備えるため地面へ降り立った。
“このへんでいいか”
さらりと地面を撫でた後、軽く腕を振り上げたかと思うと、勢いよく拳を叩きつけた。
凄まじい轟音と激しい地響きとを引き起こし、土煙を盛大に浴びながらも無表情のまま視界が晴れるのを待った。
地面には直径二メートルの大穴が開いていた。
そこへ入り込もうとして足を踏み出したが、ふと頭に疑問が浮かんだ。
“あの人たちは、マザーのメガ粒子砲を受けても大丈夫なのだろうか”
もし耐えることができなかったら?
フラウは思わず顔をしかめた。
徐々に身体や顔の表情で感情を表すようになってきている。
この変化はあらかじめプログラミングされたものなのかどうかフラウには知る由もないが、マザーの意志が桜と彼を脅かしていることに納得できないでいる様子から、感情を生み出し自由意思持つことが可能になっているのは確かだった。
フラウが上を見上げて、急ぎ桜の元へ向かうべきか思案していると、耳に機械の稼動音が聞こえてきた。
“四輪駆動のエンジン音だ。こちらに向かってくる”
フラウの聴覚や視力は人間には遠く及ばないくらい精巧で優れている。
当然、運転者の顔が認識できた。
“あの人だ!”
どうしてこんなところに彼がいるのかなんて考える前に、フラウの身体はバギーへと向かっていた。
しかし、いくらも走らないうちに怒声が放たれた。
「ばかやろう! 早くその穴に潜れッ!!」
驚いて動きを止めたフラウに向かって、猛スピードで突っ込んできたバギーからレンカが飛び出した。
自分へ伸ばされた両手と鮮明に急速に近づいてくる彼の顔をフラウは凝視するばかりだった。
そして衝撃とともに訪れた着物の感触と彼の重みと匂いに圧倒され、自分の身体が後ろへ傾くのを意識していながら阻止することを忘れたのである。
アーマノイドが『茫然』としてしまったのだ。
レンカに頭を抱え込まれるようにして、フラウは自分が作った穴へと落ちた。
同時に大気が唸りを上げて震撼した。
巨大要塞からメガ粒子砲が発射されたのである。
「来たっ。これが【シールド】にぶち当たったら要塞に跳ね返る。その時にエネルギーが拡散されるかもしれない! ここも危ないかもしれないってのに、おまえ、なんでこんなところにいるんだよ!?」
叫びながらしがみついているレンカの肩に、フラウはそっと触れようとした。
だが、エネルギーが桜の【シールド】に当たった衝撃で大地が激しく揺れて、周囲の木々が耐えきれずに薙ぎ倒されていき、二人がうずくまっている穴に落ちてくる。
フラウは咄嗟にレンカと身体を入れ替え、防御態勢に入った。
驚くレンカの前で、四つんばいになったフラウは何と背中から鋼鉄の防護壁を出したのである。
まるで鳥が翼を広げて身体全体を覆っているかのようだ。
「おまえ……」
レンカは言葉を失い、ただフラウを凝視するばかりだった。
そこへレンカの背中を突き上げるように激しい衝撃が起こった。
「やばいッ」
跳ね返されたエネルギーが二人の頭上を通過しているのだ。
鼓膜がおかしくなるかと思うほどの轟音が響く中、凄まじい地響きに身体が引き裂かれそうなぐらい揺さぶられたレンカはたまらず声を上げてうずくまった。
フラウは自分の上に木々や土砂がなだれ込み、体勢を崩しながらもレンカの上から離れないでいた。
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