Act.5 繰り返す春

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 レンカが要塞に辿り着いた頃には崩壊の振動が収まりつつあった。  調査隊から報告を受ける。 「外壁が崩れて中の施設が見通せる状態になっています。その施設のうち、兵器の製造を行っていた第二セクションが破壊されました。これは内部から、マザーが自ら行ったものと思われます」  レンカは驚きに眼を瞠った。 「マザーが自分で壊してしまったのか?」 「はい。可動しているのは司令塔である中央管理室と動力室がある第三セクションだけです。他はすっかり沈黙しています」 「そっか……」  レンカは司令塔を見つめて一呼吸すると、制止する調査隊の面々を振り切り単身で乗り込んだ。  警戒しながら中央管理室に入ったが、静かに低く鳴動する可動音がするだけで何か仕掛けてきそうな気配は感じられなかった。  レンカは辺りを見渡すと、空中に向かって声を投げた。 「マザー。おれが見えてるんだろ? ちょっと話がしたいんだけど出てきてくれないか? それとも【ウヅキ】みたいに、どこか触ってないとだめなのかな?」 「いいえ。大丈夫です」  突如、天井から聞こえてきた。  女性の落ち着いた声音だ。 「あなたが【マザー・サラヤ】?」 「はい。あなたはカグラ村のレンカですね。ようこそ。私がマザー・サラヤ。日本国エリアを管理するグランドコンピュータです」 「レンカです。よろしく」  そう言ってレンカは金属でできた冷たい壁に触れた。握手のつもりで少し撫でてみる。  その時、一瞬で流れてきた思念にハッとして顔を上げた。 「マザー! あいつここにいるのか? フラウは!?」 「思念が残っていたのですか? ああ、そうですね。私が先ほどまで反芻していたから……。レンカ、少し下がってください。カプセルを出現させます」  レンカは素直に壁から離れた。  すると壁や床に光のラインが走り、奥底からせり上がってくる駆動音と振動が伝わってきた。  現れたカプセルの中には、レンカが出会ったアーマノイドのフラウが横たわっている。  軽く閉じられた瞼と薄く開いたままの唇は寝息がこぼれていそうで、まるで眠っているかのように見える。  そして左腕はなかった。 「あの、起こしてもらっていいですか?」  レンカがごく自然に頼んだことは叶わなかった。 「AK-151、あなたがフラウと呼ぶこの個体は、もう起きることはありません」 「え?」 「私はAK-151の意見を採り入れ、戦闘のための兵器や武器の製造を中止し、一切を破壊、抹消しました。AK-151も例外ではなく、すでに機能を停止していますが、いずれ訪れるであろうあなたに伝えたいことがあるというのでボディと記録データはまだ保存したままです。データを再生しますか?」  レンカは茫然とマザーの話を聞いていた。  そうしてカプセルを見下ろし、さっきは確かに眠っているかに見えた表情が今度は一変して能面のように硬く無表情に見えてきた。  レンカは思わずカプセルに手をついて眼を凝らした。少しでも動く気配がないかと。  しばらくして、ぽつりと呟いた。 「……おまえ、死んじゃったのか」 「レンカ、その言葉は適切ではありません。生物は可動する機能を停止したことを“死”と表すようですが、人工製造された機械物質にそうした言葉は使われません。AK-151のデータを再生しますか?」  淡々としたマザーの言い分にレンカは落胆を覚えながら、溜息とともに頷いた。 「再生して」  するとカプセルの向こう側、ちょうどレンカの目線上に立体映像が浮かび上がった。  そこに映っているのは、淡いピンク色の満開に咲き誇っている桜の樹。  その樹の下で花々を見上げている一人の男。着物の片袖を風にたなびかせているのはレンカだ。  そして聞こえてくる音は。 「おれが、いつも【ウヅキ】に歌ってる歌だ」  微笑みながら歌うレンカと、歌声に反応しているのか、ふさふさと花をつけた枝を揺らす桜。  とても穏やかで優しい時間が、そこには流れていた。  時折アップになる自分の顔にレンカは嫌そうに口を尖らせる。 「そんなにズームアップするなよ」 「AK-151がこのように記憶しているのでしょう」 「んー、なんか恥ずかしいな」  妙に居たたまれない気分で映像を見つめていたレンカの耳に、いつからか自分の歌声と重なる声が聞こえることに気づいた。  少しかすれ気味の低いが線の細い歌声。 「これ……フラウの声?」  レンカは一度カプセルの中のフラウを見下ろし、そしてまた映像を見つめる。  時々、旋律がずれる箇所があったが、メロディラインはほぼ合っている。 「ちゃんと憶えてるんだ。ああ、そりゃ夢でも歌ってたし、昨日もこいつの前で歌ったもんな。憶えてあたりまえか。録音してるようなもんだよな」  まったく違う声質だが、音によっては混じったり溶け合ったりと心地よく耳に響いた。 「一緒に歌いたいって思ってたの、叶ったな」  眼を細めて映像を見つめたままのレンカの唇は少し震えていた。  やがて歌が終わると、映像は切り替わり画面にフラウの上半身が映し出された。 『オレの声、マザーがオレの思念を音声として外に聞こえるように記録してくれてるらしいんだけど、この声ちゃんと聞こえてるかな? 聞こえてると思って話すね』 「ちゃんと聞こえてるよ。なんだか不思議な気分だけど。思念で聞いてた時と同じように聞こえるんだな。なんでだろ……」  レンカの呟きは問いかけではないと判断したのかマザーからの返答はなく、フラウの声が流れ続けた。 『マザーと話して、人間との戦闘はなくなることになった。オレが思考するプログラムを持った意味はレンカと接触したことによって、人間の考えを知り、それに対してオレがどんな答えを出すのか。これまでの長い戦いの中でマザーは一度プログラムを洗いなおす必要性を感じていたらしい。計画通りに人類の滅亡を図ろうとしても人間はコンピュータでは予測不可能な行動を起こすから、その度に計画は狂い、プログラムを修正するという繰り返しばかりになる。それがもう何十年と続いているから地球にとって人類は本当に必要ない存在なのか、マザーは疑問を持つようになってしまったんだ。だからオレを人間と接触させた。そしてオレはレンカと出会って答えを出したんだ』 「なんて?」  まるで本当に会話をしているみたいに、映像のフラウはゆっくりと間を置いて話している。 『レンカと一緒に地球を守りたい』  その言葉にレンカは思わず息を呑んだ。 『そうマザーに伝えた』 「そしたら?」 『マザーはオレの意見に賛同してくれた。兵器の製造をやめて、もう人間と戦わないって。マザーは地球環境保全のために機能するコンピュータとして、これからは働き続ける。もうレンカや桜が危険な目に遭うことはない』 「…………」 『でも、そうすると、オレは兵器として作られたわけだから当然、機能停止、破壊されることになる。一緒に地球を守りたいって思ったけど、それは叶わなくなった。仕方ないけど、残念だな』  フラウの少し伏せた眼が悲しげに思えて、レンカは映像から視線を逸らせた。  その瞳には涙が溜まっている。 『オレは、兵器として生まれたけど、一度も戦わずにレンカと出会って、一晩だけど一緒に過ごして、話ができてよかったと思ってる。こんな経験したアーマノイドはオレが世界初だろうね。どうせなら、さらに人間と一緒に地球を守った第一号になりたかったけれど』  はにかむフラウの表情は晴れやかだ。  もうアーマノイドではない。人間そのものの豊かな感情を表現している。  ふいに、フラウが映像の中から手を差し伸べてきた。  レンカが気づいて視線を上げると、溜まっていた涙が一粒、カプセルの上にこぼれ落ちた。 『ありがとう、レンカ』  そこで映像は停止した。  輝かんばかりの笑顔で右手を差し出しているフラウがいる。  レンカは詰まりそうになる声を振り絞ってマザーを呼んだ。 「マザー。こいつをおれにください」 「それはできません。例外なく破壊しなければ意味がないのです」 「大丈夫。再生するわけじゃない。おれ、こいつの左腕を持ってるんです。それをちゃんと元に戻してから、こいつが好きだった桜と一緒に葬ってやりたい。もう【シールド】も必要ないからな。【ウヅキ】だって機能停止になるんでしょ?」 「そうなります」  レンカは唇を噛み締めて泣き喚きたくなるのを必死でこらえた。  大きく息を吐くと、仁王立ちになり毅然と顔を上げる。 「マザー、二人が大地に還るのを一緒に見守ってくれ」  少しの沈黙に、眼を閉じて思考するマザーの顔が見えたように思った。 「わかりました。あなたにAK-151を託します」  レンカはフラウの母親の声を聞いた気がした。  季節はまた春を迎えようとする頃。  【シールド】の頭上に根を張っていた桜の古木は、【シールド】の機能停止と完全封鎖のせいで【ウヅキ】と呼ばれていた思念もまた完全に消えてしまった。  それでもレンカは毎日桜に会いに行く。  何故なら、桜の下に【ウヅキ】とフラウが眠っているからだ。  今日も、ゆるやかな風に吹かれて古木を訪れた。 「いい天気だなぁ。風が気持ちいい」  古木の傍に立ち、眼下を見渡せば、緑を失った谷が岩肌を剥き出しにしたまま風にさらされている。  その向こう側には森林の再生のために植樹を行っている区画と、人間のための産業プラントが建設されつつあった。  そして【マザー・サラヤ】の要塞は管制塔として真っ白な様相になっていた。 「眺めが変わっちゃったなぁ」  残念そうに呟いていてもレンカの表情は和んでいた。
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