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アーティストになる日
「えええーと、こんなの全然ダメですよね。アートとか、才能がある人がやることだし。私がアートをやるなんて、真面目にやってる人に失礼ですよね。あはは」
自分の目の前で作品ポートフォリオを熱心に見ている男性に、ハナは小声で言う。男性はハナの言葉が聞こえなかったのか、ポートフォリオを何度も往復させながら見ている。ハナは上目遣いで男性と隣に座っている親友のメイコを見比べながら男性の決断を待っていた。メイコは楽しげな様子で、アイスコーヒーのお替りを注文している。ハナを連れてきたのはメイコなのに、彼女にはまったく緊張感がない。
ついに、男性がポートフォリオを閉じて言った。
「才能があるかどうかは誰にも分からないよ。ただ、君には覚悟が足りてないと思う」
男性は伝票とグレーのコートを手に取って立ち上がる。メイコとハナもすぐに立ち上がる。その場で頭を下げるハナを置いて、メイコはレストランの入り口まで男性を送っていった。
「あーあ」
戻ってきたメイコは席に着くなりズルズルとストローから音を立ててアイスコーヒーを飲んだ。
「だから無理だって言ったのに」
「いや、まだ諦めるの早いから」
「まだやる気なの」
「最初の失敗で諦めるわけないじゃない。私は絶対、あんたをアーティストにするから。任せて!」
「だから私、アーティストなんてなりたくないし、無理だってばぁ」
ハナとメイコは高校の同級生だ。活発なメイコは美大に進み、卒業後はアート系メディアのライターをやっている。ハナは大学を卒業した後に職を転々とし、最近はゲストハウスを兼ねたカフェレストランで働いていたが、閉店をきっかけに無職になってしまった。三十歳になって目立ったスキルもないハナは再就職が難しく、家事を手伝う条件でメイコの家に居候をしている。
二人はレストランを出て駅に向かって歩き始めた。歩道橋の向こうに見える巨大なビルに、メイコの愛するアーティストのヴィヴィの巨大広告が出ていた。
「あー、ヴィヴィくん! こんなところで会えるなんてラッキー!」
メイコはすかさずスマホを出して、広告の写真を撮る。満足いくまで撮り切ると、振り返ってハナに言う。のパーマのかかった明るい茶色の髪がメイコ肩で跳ねた。
「でもハナ。次はもっと自信ありげに話してもらうからね。プロのアーティストらしく」
「無理だよぉ。私、凡人だし、そんな華ないもん」
「や、る、の! うちに居候してるんだから、仕事だと思って協力して、いいわね!」
白いフレアスカートにピンクのセーター。メイコのブランド物の鞄には、ミラーレスのカメラがいつも入っている。それに比べ、ハナは毛玉のついた白いセーターに使い古した黒のロングスカートだ。ハナの長い黒髪も、手入れが行き届いてなくて毛先がパサパサになってる。
「メイコが自分でアーティストやったほうが、うまくいく気がするよぉ」
「それは前にも言ったじゃない。私は業界で顔が知られてるから、今さらアーティストなんて言ってもすぐにバレちゃうでしょう。服装はもうちょっとなんとかするから。私たち、体型も似てるし、ハナは私の服だって着れるでしょ。次は私の服からてきとうに選んで着てくれていいからね」
メイコは薄いピンクのネイルが乗った指でハナの髪を跳ね上げる。メイコは、平凡で取り柄のないハナを新進気鋭のアーティストとして売り出そうとしているのだ。人気若手アーティストのヴィヴィに直接会いたいというだけのために。
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