人生、ゲーム荒らし①

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ

人生、ゲーム荒らし①

 僕は近藤の無意味な呼び出しに引っかかり、あまり真面目に授業を受けれなかった。近藤に気取られ、とっとと休憩時間は終わっていたようで、教室は消えかけの白熱灯がチカつきつつも暗い教室にはクラス一どんくさい南さんも居残っていない。  三時間目は移動教室で、ガランとした教室から必要な教材と古びたペンケースを取り出し、僕はのろのろとした動作で消し忘れられていた後ろの方の電気を消し、雰囲気だけは勇み足で、左校舎の理科室へ急いだ。途中あまり面白みのない鳥の骨を横目に見つつ、左通行を守り、階段を駆け下りた。数人が、遅れて教室に現れた僕を振り返り、残りは先生の叱咤とともに振り返った。僕はあまり目線を合わせないように、そして自分の非を認め、自分の席に配られたプリントに二階堂と書かれているのに眉をひそめた。  帰宅支度をし終え、僕は人より幾分か重いバッグを軽々と担ぎ上げた。軽々と、というのは顔の筋肉を強張らせて澄ました顔を作り、傍からそう見えるように演じているのだ。これ以上の恥は必要以上に掻きたくないし、それに僕は人より苦痛に強いことを、そして精神だけでなく肉体も強いことをそれとなく示すためだ。本音を言えば、血が固まりそうで、めちゃくちゃ食い込んで痛い。でもそれは声にも顔にも出さない。辛いことを口に出すのはかっこ悪い、ダサい、だから何十冊の教科書も軽々なのだ。  豊永組は陸上部に何人かおり、肝心の豊永はもう帰宅している。電車の時間が早い便に乗ろうとしてか、いつもいの一番に飛び出していくのだ。後の面々は接着力が剥がれ自然解消し、組でなくなり、部に変わる。その変わり身はこちらが唖然とするほどで、先ほどまでのジメジメとサディスティックで気分悪くなる話をガラリとやめ、県大会という爽やかで華やかな舞台に向けての話をし出す。そのイキイキとした声色を聞くと、本当はあんな話したくないんじゃないのかと僕は思うが、よっぽど豊永と付き合うのが楽しいらしく、朝練よりも豊永の投稿時刻で共に通学することを選んでいる。15分の距離をあの豊永と歩くなんて考えるだけでもごめんこうむりたい。豊永は利用する気もないのだ、腰巾着をぶら下げて、それが何かに引っかかって千切れても一瞥だけして踏みつけて捨てる、そんな男なのだ。だから、君たちはあんな人の揚げ足を取り、やれナンパだのもう夏休みの話しかしない、人をバカにしている男と付き合うのはやめ、爽やかな青春劇を繰り広げればいい。可愛らしいマネージャーをとりあえばいい。面倒を、この教室に持ち込まなければなんだっていい。  迎えの車が裏の駐車場に留まっているのに僕はストレス性の空気が肩に乗っかかってくるのを感じた。車の後部座席を開け、肩が脱臼する量の鞄を先に放り投げる。次に自分の体を斜めに入れ込んで、シートベルトを装着した。 「母さん、別に迎えに来なくていいって言ったろ」  ぶっきらぼうに言い、僕は所存無く鞄の持ち手を弄った。母は少し鈍感すぎる(少しですぎるはおかしいが)生来があり、僕の父が僕に虐待交じりのことを行っていたことにショック。涙ながらに普段じゃ考えられないめちゃくちゃひどい言葉を投げつけ、父は見捨てられた。母はそれから考えを改めたのか、僕を普通にきちんと育てることに固執しだした。元々おっとりしていた性格を無暗に治そうと、キビキビキャリアウーマンを目指し始めた。長女でありつつも、次男がいるので、家を継ぐ気がなければ自由に仕事をできる立場の母は、実家に腐る程金があるのにそれに手を付けず苦手な事務作業を四苦八苦している。バイト程度の扱いらしいが。  だというのに一風変わったことを平気でやり、常識はずれのお嬢様の側面は突起していて、いつもそれに僕はぶっ刺さっている。 「えー?言ったけど、でもいいじゃん。あんたも結構助かるでしょ?ほら!今から走っても電車間に合わない」 「その次の便は10分後に来るんだよ」  のらりくらりとかわされ、要領の掴めない会話に腹を立てないようにし、僕はこっそりと溜息を吐いた。なんだか、疲れた。最近は何をしても、誰と話しても早く終わってくれとか、うるさいだまれとしか思えない。今も母が陽気にアロエヨーグルトを食べるのに夢中で遅刻しそうになったけど運転手の違反ギリギリ(完全アウト)運転に助かり、悠々と登校出来た事を話されても上っ面の返事しかできない。上っ面に返事をしないと、腹立った感情が露呈してしまいそうだ。 「何ー?あんた寝んの?もう着くよー?」 「うんうん、うんうん」  声色で腹立っていることに気づいたのかそれ以上は話しかけず、母は運転に集中しだした。どこにでもある一般的なアパートの駐車場に停車し、僕は重たい体を座席から剥がす勢いで立ち上がった。立ち上がって、外に出て、6と書かれた白線らを踏んだからか、小春日和だからか、ムカムカした気持ちは消えていた。遠くのビルの合間から白かった太陽が赤くなっていて、駐車場は全体のコントラストが深まり、影は長く伸びていた。薄っすらとオレンジがかったコンクリートに濃く黒い影はとても綺麗に重なり合っていて、良い時間だとしみじみした。人間とは不思議だ。    築数はそう古くないが、塗装が白いため劣化が目立つアパートの2階。この202が僕の家である。見た目がこじんまりとしていてパスカルカラーの雰囲気が気に入ったらしい。階は2階までなく、6部屋まである。階段は外付けで、歩幅を大きくしないと間から足がずっこぬける危険性がある。201号室のチラシまみれの郵便受けを通り抜け数歩進むとまた扉に出会う、それが我が家だ。隣との距離は数メートルしかないので騒げば横から苦情の嵐ということである。 「ただいまーっと、ほらあんたもただいまって言わないと」  玄関は狭く、両手にいっぱい荷物でも抱えていたら一旦外に荷物を置いて扉を靴で固定してからじゃないととてもじゃないが入れないくらいの狭さだ。母は口酸っぱく僕に礼儀を教え込もうとしてくるが、そうなると逆に意地が生まれてしまうのをわからないんだろうか。僕は母がこの場から消え、玄関に入るまで黙っていた。僕に命令したいなら二階堂、と言えばいい。そうすれば僕は望まずともただいまと大声出すだろう。  僕は後ろ手で閉め、わずか二部屋しかないプライベートの欠片もない部屋に体を滑らせた。「ほんと、あんたも頑固な性格しちゃって、ただいまっていうのがそんなに難しいこと?」  母が何かブツブツ言っているが、無視し、僕は唯一の個室である自分の部屋へと体を滑らす。母は台所に立ち、皿洗いのスポンジを片手に僕の姿を眺めているようだった。「あいさつができないと困るのあんただかんね。そうそう、明日はごめんけど用事あるから迎えいけないから、頑張って帰ってね」 「だから、迎えはいいんだって。明日だけじゃなくて、未来永劫」 「未来永劫ぅ?大げさよ!たかが高校の3年間くらいじゃない!でも明日はできないの、それでごめんね。何か食べたいものある?」 「ないよ、じゃ」  母には何言っても無駄、親の言い分なんて数年後には何の意味もなくなるのだから、別に今は好きに言わせてやればいい。僕は父のあの有様を知っているからか、親に強く当たり散らかすのは良くないと理解している。どんなに立派な人格者だって、豊永のようなクズな感情が存在しないわけない。親を否定することは、自分を否定することだ。僕は、父も母も嫌いだが、否定したくはない。  パラパラと週刊誌をめくる。漫画は好きだ。中学の頃、僕はその時から二階堂の呪いにかかっていたが、周りは暖かった。とある拍子で僕の呪いがばれてしまっても茶化す奴はいなかった。笑う者はいたが、侮辱とか冷やかしじゃなく、単純におもろいからと笑うわかりやすい笑いだった。中でも大笑いしすぎて先生に涙ぐむほど怒鳴られ、ちょっとごたついて殴り合った奴と、結果親友になった。  気のいい男で、無類のお笑い好きだった。そいつとよくこの週刊誌を割り勘で買って、回し読みしていた。分け前は半々だと卒業式の日にほとんど僕に譲ってきた。別の県に引っ越すからでかい荷物は持っていけなかったかららしかったが、僕は涙ぐんでしまった。何度も読み返したからボロボロになっているが、捨てることはできない。2年間分(友人になったのは2年に上がってからだった)の週刊誌はかなりの冊数だ。本棚の上部を占領し、衣装ケースに残りを無造作に突っ込んでしまっている。5月中にはなんとかしたい。  この週刊誌たちは友情の証ともいえるし、捲れば楽しかった記憶が鮮明に浮かんでくる。週刊誌は流石にもう買わないが、中学を卒業してからも気に入っていた作者陣のコミックは買い続けている。発行スペースは早くなくていい、僕はゆっくり読むタイプだし。  思い出に浸り、スマホが光ったんで時刻を確かめるともう7時だ。しょうがなく勉強机(これは愛称で、実際は向き合っている振り机)の上に置いた鞄から持ち帰った教科書を取り出し、配られたプリントをする。大体が終わり、英語の授業の予習と数学の先の問題を事前に解いておく。高校1年の問題はまだそこまで難しくないから、今のうちに差をつけておくためだ。2年になって理解していなかったことが露呈するのはまずい。生真面目な部分は父に似たので、自分を高めることは苦痛ではない、傷みに耐えることも、得意だ。 「部屋の電気つけないと目が悪くなるし、良くないことだらけ。あんたは何処かじめっとした性分ね。晩御飯だって何度言っても聞きゃしないんだから」  じっと苛立った視線を投げているのに気付いているくせに僕をなじる。母はひどい言葉を軽く投げてくる。父のことでたかが外れたんだろう。 「じゃあラインしてくれっていったじゃないか。部屋には勝手に入るなって、それぐらいはマジに聞いてていてほしかった」  語尾を強くし、声が荒がりそうなのを我慢し、僕は母を非難した。年頃の男子の部屋に土足で入るとか頭がおかしいだろ。晩御飯もいらないから、もうさっさと消えろよ、ほんと全然何にも僕のことわかってないな、あぁくそ。 「うーん、ラインて苦手っ。顔を合わせる距離にいるんだから、話した方が早いし、楽しい。高校に上がってからいつも腹立っているけど、どうしたの?大丈夫?学校でいじめとか「すぐそういう発想になんのやめてくれよ。なんか、いじめってすぐ大人は言うけど、それって今の時代当たり前だろ、ちょっとわかりづらいけど、SNSとか隠れ蓑には適任じゃん。はぶりとか気に入らんない奴がいれば拒絶するのは人として当然のことだし、僕は肯定しないけど、いじめがあるのは仕方ない、自然の摂理とか、そういうことだと思ってる。だって、弱みがある奴は誰だって弱みに触れてみたくなるだろ、ってか、いじめられたりとかあるわけない。まだ1カ月しか経ってないし、みんなまだどこかよそよそしいよ、僕も誰と仲良くなろうかってしどろもどろしてるけど、それはみんなおんなじ。もういいだろ、この話」  自分で何言っているのかわからなかったが、いじめという言葉に反応して言葉が溢れて止まらなくなくなくなった。僕はいじめられていない。せせこましい人間にいじられてしまっているだけだ。母は訝しげだったが深追いせず、「あ、そう。じゃ、晩御飯食べよっか」と、軽く流した。僕は別に母に救いを求めているわけじゃなかったが、そのあっさりとした態度に僕に関心はないことがわかり、胸が痛くなった。別にいじめられてはいないが、母は僕の異常がわかってもこんなに無関心なのだ。なんてひどい親だろう、くそ。  僕は胸いっぱいになってしまい、おかわりもしなかったが、母は僕の異変に気付かず、ごちそうさまっていいなさいと、半ば嫌がらせで僕に言ってきた。モゴモゴと口を動かすふりをして、僕はいっぱいの胸を抱えて自室に引き籠った。週刊誌を、眺めた。    
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!