人生、ゲーム荒らし②

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「散らす?」  僕はその時点で近藤が何を言おうとしているのか皆目見当だった。僕の脳裏に近藤の好きな百合が舞い散る映像が浮かんだが、鼻先は真っ赤で、駆けまわっている姿は花粉から逃れようと孤軍奮闘しているように見えた。  雨脚は尚激しさを増し、雷鳴が轟いたのでおよそ30秒前に雷が光っていたのだ。光は音よりも早いからだ。気づけなかったのは残念だ、と僕が脳裏で嵐で百合畑がぐしゃぐしゃになり濡れ鼠になっている近藤を想像していると現実の近藤は鼻をすするのをやめ、次なる罵声を飛ばした。 「散らすって言っても、今度のは本気でシャレにならねぇことだ!お前を皆遠巻きに見捨てんのが重々わかった!お前は冗談もわからねえつまんねぇカチコチだからだよ!」  その発言は流石に許せなかった。カチコチ、のところじゃない。見捨てるというあまりに上からの態度でまるで見知った雰囲気に僕は目の奥がチカチカし、大脳の辺り(小脳でないことは確かだ)に浮遊感を感じた。 「な、なんだと!?なん、なんだ、なんて言った近藤このやろう!見捨てるだと?!なんで、違うクラスのお前にそんなことを言われないといけないんだ!」  たどたどしい言い分になったが、僕は沸騰した脳で必死に言葉の羅列を紡いだ。僕は一般的に比べれば声量が弱いが、今現在は雷鳴の数倍は張った声が出せていたと思われる。近藤は妙に甲高くなった、ヒステリックな声に参ったのか、強い怒りは消滅し、面倒気な顔を浮かべた。 「いや、急にキレすぎだろ。マジでうるせぇし。言っとくがな、俺の言ったことは何一つ間違ってねえし、第一皆お前に対してどう扱えばいいのか困ってんだよ。つーか、そんなことはどうでもいいんだよ!元々はお前が俺の大事にしているものを文字通り踏みにじったのが最悪何だろうが、ふざけんな!」  近藤はまた怒りがぶり返したのか、吐き捨てた言葉、ふざけんなを僕に浴びせた。僕はいけしゃあしゃあとした近藤に何か言ってやろうとしたが舌がもつれてしまい、くそという言葉しか罵倒が思い浮かばなかった。気が付けば周りには誰も居らず、近くのトイレから出てきた生徒がそそくさとその場を去っていった。  均衡状態に陥り、暫し睨みを聞かせあっていると騒がしさを察知した数学(簡単な方)の教師が通りすがり、僕らをなだめようとした。静かにしなさいと一言、それから比較的大人し気な僕に事情を話せと迫った。このなだめ方はあまり効果がなく、僕は口を紡ぎ、うるさくしてすみませんとお辞儀した。近藤は教師の介入によりこれ以上この場にいるのは得策ではないと判断したのか黙ったまま、ムスッと顔をしかめた。そして教師が僕に気を取られている隙に教室に戻った。  僕の謝罪に、口出すのを辞めた教師は近藤がいないことに気付き、水上も大変だなと憐憫を少々僕に浴びせた。自分の名を覚えているのかと僕は感心し、重たげなリュックサックを担いだ近藤が、ひどく幼稚に見えた。数学教師はあまり長居しないことを呼びかけ、職員室へ向かうすがらだったのを思い出し、本来の目的を果たしに立ち去った。  近藤は最後に「黒百合まではもう言ってもわかんねぇだろうからこの際、許してやる。だがな…、俺の!俺の青百合を吹き飛ばしたのは、蹴散らしたのは…!この3年間何が起きようと許しはしねぇ!」と、随分情熱強く、そして鼻息荒く熱弁した。マスクを装備しながらに、睨みを利かせた。 「ちょっとまて!なんだ黒百合って、青百合って!」僕の呼びかけ空しく、近藤は肩を怒らせ特徴のある歩き方で玄関へと向かった。言いたいことだけ言って、なんと好き勝手な奴だろう。追いすがろうか考えたが、近藤の短気な部分を配慮すると、堂々巡りになることは確実だ。  瞬間、雷鳴が轟いた。僕は近藤の傘を取っておけばよかったと悔やんだ。  近藤が走り消えた玄関前で僕は思案した。数名の生徒がまだ居残っているため、傘立てに数本ビニール傘が存在している。どれもブランド品でないことは確かだ。が、だからといってこの大雨を突破するために持ち帰ってしまうのはいかに非道な人物だと罵られても仕方がない悪行だ。  1学年の下駄箱から比較的近い位置の校門を通り過ぎ、右に曲がる。校舎を出ると狭い歩道が車道に隣接しているため、水たまりを踏み抜いた自動車が隣を通行すれば低い縁石しか盾はないので、水たまりのほとんどが体にかかる。歩道は3人程度がギリギリ、のち1人は縁石を行かないといけないレベルの狭さなので、右に限界まで寄ったとして、あまり意味がない。誰かと登下校を共にしていれば車道側に自然と追いやり犠牲にすることができるが。  もちろん、僕に登下校を約束した人間などいない。駅までは歩きで大体15分、走れば8分程度だ。その8分でどれだけ濡らさず走り抜けれるか興味はあったが、それ以上に今日はもう面倒なことを引き受けたくなかった。制服はこの一着以外の予備がどこにあるか探すのが面倒だし、タオルでいちいち拭き取るのも非常にだるい。濡れっぱなしで電車内を震えながら過ごすのも立ち上がって残る跡もなんか気持ち悪い。極力濡れるのを避けたい。きっと傘を忘れたことに対して母からのお言葉を頂くことになるだろうし。  その時、何気なく眺めていた下駄箱入れで、豊永が帰っていないことに気付いた。泥が踵にも付いている軽量を売りにしているスニーカーが、鎮座している。どうやら慌ただしく飛び出したのは帰宅するためでなく、僕が万が一早く来ててもいいように倉庫へと足を進めていたかららしい。上履き、ということはそのままで体育館へ行ける外廊下を使ったに違いない。   雨はこの数十分の間で騒がしさを増したが、雲には徐々に切れ目が表れていた。どんくさい色合いの隙間から橙色がちらつき、周りが薄汚いおかげか、神秘的な雰囲気をものぞかせていた。  僕は時間つぶしを兼ねて、豊永が待ち潜んでいると思われる倉庫を覗き見くらいしてやろうと思い至った。  豊永が座り込んでいるかもしれないが、恐らく立ちっぱなしで待ち続けている姿は少し滑稽に思える。嘲笑の扱いから嘲笑されるのは非常に愉快だろう。少なくとも滑稽な姿を見ればうさも晴らせるというものだ。   上履きを脱ぎ、左足を黒色をメインに、青の線の入ったスタイリッシュなスニーカーに詰める。先の尖った石ころが入っていたらしく、若干の痛みを感じるが体育館までの道なりなので我慢することにした。荷物はすぐ済む用事だと高を括り、足元に放り投げたままにして置き、念のためスマホだけはズボンの尻ポケットに仕舞った。  体育館へ正面玄関から向かえば、当然屋根がない屋外のため若干雨を受けなくてはならない。  トタン屋根で守られた廊下は上履きでないと歩けず、入り口も正反対の場所に存在するので多少の雨風は我慢しなければならない。足元の、雨を吸い妙に湿気たコンクリートを踏みしめると底から水を吸収している気がする。とはいえ数十メートル程の短い距離なので内まではどこも侵入されない。体育館に入る前に屋根の下で肩の雨粒を払い落とす。ズボンの裾が濡れた感触があったが、タオルもないためとりあえずそのままで開けっ放しの扉を通り抜ける。  熱量のある多数の部活の声が近づくにつれ大きくなっていく。特にバレー部の声が響いており、ステージ上では野球部が筋トレを行っていた。  スライド式の体育館内の扉は人ひとりが通れる程度の隙間が開いており、こっそりと左目をその隙間に押し当てた。体育館倉庫は奥のステージ付近にあった。中にはマットや授業用のバレーボール、授業用の採点表などが所狭しに並んでいる。しかし今は当然閉まっており、そしてその手前には誰も立っても、座ってもいなかった。時折バレー部が遠く打ち上げたボールを拾うためその付近に近寄るが、自主的に留まっているものは、誰もいなかった。  豊永は待ち潜んでなぞいなかった。僕は凝視していた隙間を思い切って音を立てないよう注意しながら扉を動かした。  侵入に気付き訝し気に眺める者もいたが構わず倉庫へ足元の白テープに沿って進む。端を出来るだけ進むという考慮をしつつ、僕は今尚誰も見向きもしない体育館倉庫へ足を速めた。体育会系の汗ばった掛け声が聞こえるたびに速度を速めた。  ピッチリとしめられてはいるが別に鍵は掛かっていない。しかし、緊張しているからだろうか、まるで鉄でできていて、かなりの重みを帯びているように思える。 「いやいや…、豊永の何がそんなに怖いんだ、あんなの父さんに掛かれば2秒でズタボロだろう」  僕はわざと自分のトラ・ウマをひっかき、それ以上の恐怖はそうないと自分を落ち着かせた。効果は多少はあり、変わりに打たれ続け出来た右腕内側のあざ付近が痒くなった。  意を決して僕は扉に手をかけ、ゆっくりと、ゆっくりと精神的なことで重たく感じる扉を、開いた。
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