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あるできごと。
「ねぇねぇ、一緒に帰ろうよ」
授業が終わり帰り支度をしていると美咲が私の机の前に立ちはだかった。小学五年生の春。私は幼馴染の美咲と同じクラスになってしまい暗澹たる気持ちで新学期を迎えていた。
「うん、いいよ」
渋々頷き机の中を片付けていると美咲が嬉しそうに言う。
「よっちゃんの名前ってさぁ、やっぱり渋くていいよね。自己紹介した時目立つじゃん。いいなぁ。きっと今日の自己紹介でみんなに名前覚えてもらえたよ」
「ああ、どうせ私の名前はシワシワですよ、はいはい」
また始まった、と思いつつそう返す。私の名前は昭和の香り漂う名前。そんな名前をシワシワネームというらしい。
「やだぁ、シワシワネームなんかじゃないよぉ。いい名前じゃん」
なんでこんなヤツと同じクラスになっちゃったんだろ、と私は自分の運の無さを恨んだ。
「もういいよ、その話は」
むっとしてそう答えたものの実は自分の名前は嫌いではない。それどころか結構気に入っている。大好きなお婆ちゃんが付けてくれた名前だから。
「なんでよぉ。よっちゃんはかわいいしお家はお金持ちだし。いいなぁ」
被せるようにして話し続ける美咲。もううんざりだ。
「だからさぁ、私は可愛くなんかないし家もお金持ちなんかじゃないじゃん。それにお金持ちっていうなら美咲ちゃん家の方がお金持ちでしょ? 嘘ばっかり言わないでよね」
「そうかなぁ。でもよっちゃん私よりかわいいじゃん」
そう言ってじっとりとした目つきで私を見下ろす。美咲が何と言ってほしいのか、もちろん私にはわかっていた。
――美咲ちゃんの方が可愛いよ。
でも、意地でもそんなこと言うもんか。自分がかわいいとは思わないが美咲がかわいいとはもっと思えない。私は嘘が嫌いだ。嘘なんかついたら閻魔様に舌を抜かれて死んでしまう。小さい頃からお婆ちゃんにそう言われてきた。
「はいはい、そんなことばっかり言ってるなら私もう帰るよ」
そう言って美咲にくるりと背を向け教室を後にする。後ろから美咲のキーキー声が聞こえてきた。
「なによ、よっちゃんのバカ! せっかく褒めてあげたんじゃない!」
「嘘つきの褒め言葉なんてちっとも嬉しくない。美咲の嘘つき! 閻魔様に舌抜かれちゃえ!」
振り向いてそう言い返す私を見て美咲は一瞬驚きの表情を浮かべる。いつも適当に聞き流している私が言い返すなんて思いもよらなかったのだろう。だがすぐにいつもの調子に戻り思いっきり舌をつきだした。
「なによそれ、悪口まで婆臭いの! 今時閻魔様なんて言う子いないわよ。あーあ、お婆ちゃんに育てられるとそんなんになっちゃうんだ、かーわいそー」
うちは両親が共働きで私の面倒は主にお婆ちゃんがみてくれている。美咲はそれを知っていていつもからかってくるのだ。大好きなお婆ちゃんを貶され思わずカッとなる。
「ばっかみたい。美咲なんか死んじゃえ! 閻魔様に舌抜かれて死んじゃえ!」
それが美咲との最後の会話になった。翌朝、美咲の母親は娘の部屋であり得ない光景を目にする。美咲は舌を抜かれて死んでいた。何者かが侵入した形跡も争った跡もない。事件は迷宮入りとなった。
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