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42 エピローグ
兄さん、今日は彼岸花の絨毯がとても綺麗ですね。秋晴れも手伝って丁度良い塩梅の墓参り日和になりました。今日はたくさん報告をしに参りました。
まず、父ですが、滞りなく百箇日を終えました。あんな父ですが、でもやはり私にとってはたった一人の父親です。
二つ目ですが、私は正式に朝日奈家の跡を継ぎます。母さんから、育ての母良子ですね、先日「お前には苦労をかけるが、支えるから頑張っていこう」と言葉をもらいました。
三つ目ですが、会社のほうは入社以来ずっと会長と社長を支え続けてきてくれた生え抜きの島村常務が社長を務めます。来週、取締役会で決まります。株主も歓迎するでしょう。私は営業本部に異動して修行することになりました。本部長の岡村さんは経済界に広く顔の効く方なので、その指導のもと、いわば帝王学を直々に学んでいくといったところです。
四つ目ですが、蓼科の叔父さん、急に老けこみました。兄さんのことが余程堪えたみたいです。私の近くに移り住んではいかがでしょうと打診しましたが、紀子の二十七回忌と耕太の百箇日はここですると固辞なさいました。お墓があるのはここ蓼科ですからね。東京からちょくちょく出向いて叔父さんの様子を見守ろうと思います。どうやら私は叔父さんに悪くは思われていないみたいで、最後は笑顔を見せてくれました。
兄さん、どうしてますか。重蔵お祖父ちゃんと紀子さんの三人で楽しい日々を過ごしていますか。兄さんにとっては父でも私にとっては祖父なので、いまだにお祖父ちゃんとしか言えませんし、紀子さんのこともまだまだ母とは言えません。自然に言えるようになるには時間がかかりそうです。
私は今回の出来事で、こう思うんです。兄さんは本田徳子から餓鬼と呼ばれましたが、私には餓鬼になりきれなかった童子のように思えています。何故かって?私の目は節穴ではありませんよ。兄さんが異動で東京に来た時、私は兄さんの穏やかで人を和ませる雰囲気をとても心地良く感じていたからです。兄さんは私の話を自分ごとのように聞いてくれましたし、その都度、適切な合いの手を入れてくれたし、普通の人とだったら感情的になってしまうようなことも、兄さんと話していると独特の雰囲気が醸し出す空気で私の心を落ち着かせてくれましたからね。
あ、そうそう、もう一つ、報告がありました。寺岡さんが「あの方がこうちゃんだったと気づいたのが遅すぎましたわ、それはもう、びっくり仰天ですわ」って漏らしていました。だからこう言っておきました。「兄さんは寺岡さんに感謝していましたよ。紀子さんが亡くなった時、兄さんのことを気にしてちょくちょく様子を見に行ってくれてたこととか、蓼科へ行く時に立ち会ってくれたことを。寺岡さんの優しさに触れて兄さんもそれが救いだったと思います」ってね。そうしたら、寺岡さん、「いやあ、それはもう、そう言ってくださるなんて、それはもう」ってすごく恐縮していました。来週にした兄さんの百箇日は寺岡さん、来て下さるそうです。「社長のことがありますので大変複雑な立場ではありますが」と前置きしていましたが。
月に一度は、ここへ来ます。そして、話し相手になってください。兄さんは死んでも私の心の中にずっと生き続けていますから。いつでも会話ができます。私がこう言ったら兄さんはきっとこう言うだろうなって感じでね。でも示唆は無しでお願いしますね。じゃあ、また。
(完)
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