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1:はじまりの日
本当はもう1杯コーヒーを飲みたいが、今日はもう時間がない。あと5分で家を出ないと30分に1本しかない快速電車に乗り遅れる。そしてすでに指定席を購入している東京駅発の新幹線にも乗り遅れてしまうかもしれない。
マグカップに残った一口分のコーヒー。青子は一瞬見つめたうえで「これで終わり」と言い聞かせるように、グイっと飲み干した。厚手のコートをはおり、マフラー、帽子、と手早く身づくろいしながら、脇に置いてある小さなスーツケースに目をやる。大丈夫、鍵は刺したままそこにある(失くしてない)。これを半回転させてバッグに入れたら、後は家を出るだけだ。
テーブルの向かいで夫の緑(みどり)が眠そうな顔でコーヒーを飲みつつ、青子の動作を目で追っている。
「もう一杯、コーヒー飲まないの?」
「もう時間切れ。すぐ出なきゃ。明日の夜までには戻る予定だけど、みっちゃんは明日って、帰り遅いんだっけ?」
「遅くない…予定。たぶん。木曜は夕飯、僕の番だし、何か買い物あったらLineしといて。帰りに寄ってくるわ」
「ありがと。じゃあ、行くね」
今日は青子が出張に出るが、緑は在宅勤務日なので出勤しない。コートを着ずに、スウェット姿で門まで見送りにでてきた緑はポストから新聞を抜きつつ「紙が凍ってるよ」とつぶやいた。ここ数年、温暖化の影響で霜が降りる日は減っていたのだが、今年の冬は数年ぶりの寒波らしい。12月に入って以来、早朝の気温は毎日零度を下回っている。昨年はクリスマス時期になっても、コートを着ただけで汗ばんでいたというのに。ポストも凍るように冷たいが、新聞もつかむだけで指の腹がじんとする。
門を閉めながら「じゃあね」と言おうとした青子だったが、斜め向かいの空き家の前に、見慣れぬ小型トラックが停まっていることに気づいた。隣は空き家になって以来、門には鉄のチェーンがぐるぐる巻かれ、南京錠が掛かっていたはずだ。車体の半分は敷地内にお尻から突っ込んだ形で停められていて、前方半分は道路にはみ出していた。
仮停めなら、門の前に停めるはずだ。わざわざ門を開け、車体後方を門の中に入れるとは、妙な停め方だ。何か荷物を運び入れようとしているとしか思えない。
しかし隣の家に人の気配は、ない。
「あのトラック、昨日の夜からあそこにあった? 隣の門が開いているのを見たの、久しぶりだけど」
そう緑に尋ねると、緑も首をかしげてトラックを眺めていた。
「僕が帰ってきたときは、なかった気がする。特に道路が気にならなかったから。停まってたら目に入るよね?」
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