1.あの頃は、よかった

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1.あの頃は、よかった

 商店街には、シャッターを下ろしたお店がちらほらならぶ。  私の住む町は、外を10分も歩けば、知り合いを見かけるような小さな町だけど、近頃、大きなスーパーがいくつも出来てるし、コンビニだって道をはさんで建っちゃうくらいに、増えている。  毎日、地元の中学校に通って、家に帰るだけの同じような毎日で、同じ風景が続いているのかと思っていたけれど、この町はだれも気にもとめない、ほんのちょっとずつの変化を繰り返しているんだって、私は最近気づいた。  商店街のテント張りのアーケードが終わる手前に、私たち家族の家をかねた、両親のお店は建っている。 《うえくらフラワーショップ》  丸みを帯びたピンク色の文字で書かれた看板を、表の屋根にかかげているお店が、両親の経営している花屋だ。  1階は、どこもかしこも花屋で使う道具や物であふれている。  古ぼけて、色あせた青いバケツが積み重なったまま、店内の戸口前に置いてあったり。  花を包むのに、定番と決めている白い包装紙が、2メートルはある筒に巻きつけて原紙のまま、2、3本お店の隅に立ててあったり。伝票や軍手なんかも無造作に、そこ、かしこと置いてあったり。  弟の小さなスリッパが片方だけ、ひっくり返って、店の奥に落ちていたり。  妹のリカちゃん人形が、店先の家電の後ろでひっくり返っていたり。  兄貴のダサい赤い靴下がかたっぽだけ、奥の部屋の畳の上に転がっているのが、お店からも見えちゃったり。  ただ、ひんやりと冷たいフラワーショーケースの中で、色鮮やかで、形のきれいな花や草木が、ライトに照らされている様子だけは、別世界。  いつだって、美しかった。  フラワーショップなんて店名につけてるけど、お客さんは、近所のおばあちゃんや奥さんで、法事や墓参り、病院のお見舞い、そんな日ごろのお花を買っていく。  スペシャルな日のお花じゃなくて、必要なお花を売っている。  それが、うちの両親の花屋だ。  花屋の奥には、台所、お風呂場にトイレ、和室の部屋が2つ続く。  2階にあがると部屋が3つ。  もちろん、私だけの部屋なんてない。  この家で、一番広い部屋は、1階奥の台所に続く一部屋だ。  この部屋には、壁のわきに、茶色の畳んだちゃぶ台が、取って置いたように立てかけられていて、朝・昼・晩と、私たち家族がごはんを食べる時、必ず真ん中で4つの短い脚を立てて、食卓になる。  けれど、ちゃぶ台の周りに、家族みんなが集まれば、足の踏み場はなくなった。  2階の一番日当たりのいい部屋は、お父さんと兄貴、弟の部屋。もうひと部屋は、お母さん、妹、私の部屋。  最後に、2階にある窓が一つもない部屋は物置になっていた。この物置も、家族みんながそれぞれに必要だと思う物、それでいて、ここ数年は使わないし、思い出しもしない物が、めいいっぱいつめ込こまれていた。  妹や弟は、おもちゃで遊んでちらかすし、兄貴はジュースやおかしのおまけなんかを思いつきで集めるし、花屋は雑然としてるけど、それはそれで使い勝手よく物が定位置に置かれているわけで、結局、うちにある物は、誰かの大事な物だから、持ち主が決心しないかぎり、どうしようもない。  それでも、がんばって整理整頓してきれいに使って、この状態なのだった。 とにかく、物が多すぎてどうしようもない。  店の入り口には、レジ置きの小机が置かれていて、そこで、私は宿題を始めた。  月曜日、夕方の6時過ぎ。私は、花屋の店番をしている。  この時間、両親は二手に分かれて、得意先をまわったり、得意先を増やそうと営業にまわったり、資材の仕入れに行ったりしている。  この春から、私は中学2年生になった。小学校の頃から始めたバトミントンを中学校の部活でも続けていたけど、今年の5月にやめて、放課後はお店の手伝いに専念中。  部活をやめて、2ヶ月が経とうとしていた。  私には、兄貴と妹と弟がいる。  貴之兄ちゃんは、高校3年生。1年生の時は店を手伝っていたのに、2年生になってお店を手伝わなくなった。  3年生になったら、帰りまで遅くなって、一緒に晩ごはんも食べなくなった。  中学生の時は、サッカーをやりたがっていたけど、部活には入らず、花屋を手伝っていた。  だから、貴之兄ちゃんが(高校でもサッカー部に入らない)と言ったとき、私は貴之兄ちゃんの責任感に敬服した。  だけど、今や、貴之兄ちゃんの帰ってくる時間は、夜の12時過ぎ。    けど、翌朝になると、高校には遅刻しない時間に決まって起きてくる。    そして、制服を着て、何事もないようなそぶりで、高校に行く。  帰りに何をしているのか、両親にも言わないし、私にだって、言わない。  何を考えてるのか、さっぱり分からない。  来年の春には、高校卒業だよ。  なのに、この先どうするつもりなんだろう?  まさか、おくれてきた反抗期?  そんなことってある?  妹の佳奈は、桜ヶ丘小学校の6年生。   佳奈は、運動が大の苦手で、部活にも興味がなかった。  ほんの少し前までは、お母さんが花屋の店番をしていたから、学校が終わったら、まっすぐ家に帰って、お店の手伝いをしていた。    佳奈はお母さんが大好きで、(お母さんのそばにいれるから、手伝いも楽しいんだ)って、にこにこしていた。  外回りが増えて、お母さんがお店にいられなくなるようになって、佳奈は元気がなくなった。  佳奈には、学校のある放課後は、自由に過ごさせることにした。  お母さんがいなくて、お手伝いばかりじゃ、かわいそうだ。  それに、いくらなんでも小学生に一人きりで店番をまかせられない。  佳奈は、小さな頃から花屋の手伝いをしてきたせいか、物事に慎重、意思も強い。  佳奈は、将来フラワー関係の仕事をしたいから、自分で勉強する時間もほしいらしい。  頑張り屋の佳奈には、自分の好きなことをする時間が必要だ。  根をつめすぎて、貴之兄ちゃんみたいにでもなったら、大変。 「店番は、お姉ちゃんにまかせなさい」     私は、胸を張った。 「お姉ちゃんは、花屋の修業が足りないよ。本当に、だいじょうぶ?」   佳奈は、丸いかわいい目で私を見て、うったえた。 「私が、バトミントンばっかりしてきたと思ってるんでしょう。あのね、あんたは覚えてないかもだけど、あんたが幼稚園とか小学校の小さい時なんかはね、私がお店を手伝ってたんだよ。心配無用なの」 「でも、花屋の経験じゃ、とっくにお姉ちゃんをおいこしてるんだよ、わたし。常連さんも、私からお花を買いたい人がいるんだから。私みたいに、ブーケ作ったりできないでしょう‼」 「うん。わかった。じゃあ、ブーケは予約制だな」 「・・・・・・それなら、いいよ」  佳奈は、ほっぺたをふくらませたまま、うなずいた。  姉貴風をふかしても、佳奈は口が達者で、時々小憎らしい。  しかも、私と違ってかわいい顔で生まれてきているときたもんだ。  今日は、松林の大屋敷に住んでいる同級生で幼なじみの理子ちゃん(ここら辺の大地主の孫)と、遊ぶと言って、出かけていった。  この理子ちゃんという子もかわいい顔をしている。  美少女同士のお友達。私には、叶わぬ世界。  弟の譲は、桜ヶ丘小学校の5年生。  あいつは・・・・・・そこいらへんでサッカーでもしているに違いない。  放課後は、学童保育に行ってた時もあるけれど、今は、近所のやんちゃな子たちとつるんでサッカーしてる。  マイペースなやつだから、どんな時だって、好きなことをしている。  意外とかわいいところもあるし、世わたりも上手いんじゃないかな。  うちの家族じゃ、一番のちびだけど、一番きもがすわってるかもね。    お調子もんだし、心配してない。  最近、家の中は、ピリピリしている。  みんながみんな口数が少なくて、話さなくなった。  話さなくなったっていうより、話すタイミングがない。  毎日、家族みんなでそろって、朝ごはんも、晩ごはんも食べていたのは、いつの頃だったろう。  貴之兄ちゃんがそろわなくなったあたりだから、まだ1年もたたない?  その頃から、ここまで、あっという間に花屋の売り上げが落ち込んだ。  景気って、言うの?  (不景気のせいだ)って、お父さんは言った。  お父さんもお母さんも仕事づけで、毎日不規則。  二人とも、私たちが寝た後、貴之兄ちゃんが帰ってきた後、夜遅くに帰って くる。  朝は、二人とも、私たちが寝ている間に起きて、花の仕入れに行ってる。  私たちが、学校に行った後、お店に帰ってきて、開店準備して、二人はお店を開けるんだ。  私は、学校から帰ってきたら店番。  お父さんとお母さんは、外回りに出かける。  私は、店じまいをしたら、晩ごはんを作って、明日の朝ごはんの準備をする。  佳奈と譲にごはんあげて、お風呂に入れて、宿題みてやって、一緒に寝る。  お昼のお弁当は、お母さんが作る。  (せめて、1食は作りたい)って、お母さんは言った。    寝るひまもないんじゃないかな。本当に、心配。  去年の入学式が遠く感じる。私は、地元の桜ヶ丘中学校に入学した。    それでも、張り出されたクラス表を見るときは、緊張した。他の学区から来ている子も多いけど、同じ小学校に通った顔見知りだってたくさんいる。  仲のいい子もいれば、いやな子だっている。  私はラッキーなことに、幼なじみの咲妃(さき)や仲のいい子、前から話してみたかった子達ばかりのクラスになった。  部活は、バトミントン部に入部したのがきっかけで、他の学区の子達とも仲良くなった。  私は、そんなスタートを切って、5月に入ったら、すっかり中学生活に慣れてしまった。 (あの頃は、よかったなぁ)  わたしは、ため息をついた。    今日は、まだ、お客さんが一人もこない。  夕方になると、仕事帰りに寄っていく人なんかもいるんだけど、月曜日だからかな。  お客さんが来ないと、かえって店番は疲れた。  私は、いつのまにか学校の色んな出来事を思い出して、気持ちが沈んでいった。    シャープペンを持つ手は、自然と止まった。  私は、ひとまず宿題をやめた。  店の中を見て回る。  学校から帰ってきて、すぐに雑用(花用の手さげ袋を補充したり、ラッピング用のリボンにはさみをあててくるくるに巻いて、飾り用のリボンをストックしたり、傷んだ花をぬいたり、少なくなった種類の花をブーケ用に集めて、空いたバケツを洗ったり)は済ませたから、今のところ、手はあいていた。  店の中は、コンクリートに囲まれてひんやりしている。  バケツに入った色とりどろの花を見ていると、心はいやされた。  ジギタリスは、ゴマノハグサ科でラッパのような花がトウモロコシの実のように茎についていて、存在感のある花だ。  センニチコウは株に植えた状態で売っているけれど、切り花にしてもなかなか色あせない。  (仏前花に)と、買っていくお客さんがいる。  この薄い紫色のとがった花びらを5つ持つのは、キキョウ。  秋の七花草のひとつだけど、早いものは、6月ぐらいから咲き始める。  そして、チューリップ、ゆり、バラ、かすみ草、ガーベラ、ひまわりなんかの定番が並ぶ。  お父さんのこだわりの明るすぎない照明も雰囲気がでている。  店の出口近くには、貴之兄ちゃんが作ったディスプレイ用のウッドデッキがあって、お母さんの選んだ鉢植えのハーブが並んでいる。  花屋はどこでも同じように花を売っているように見えるけど、店内にしてもお花のチョイスにしても、お店の人の性格が出てる。  お父さんは、この花屋をおじいちゃんとおばあちゃんから受け継いだ。  うちのお父さんは、無口な方だと思うけど、うえくらフラワーショップのこととなると、口数が増えた。  「うちの花屋は、どこにでもあるような花屋だけどな。おれは、ここに花を買いに来てくれた人達のことは、なんとなくみんな覚えているんだよ。どんな時に、どんな花がほしかったか、どんな花が喜んでもらえたのか。どんな些細なことでもいいんだ。お客さんがうちの店の花で、幸せになってくれたら。そういったものを積み重ねて、この店をやっていきたいんだ」  そう言って、お父さんは誇らしげに笑う。  私は、この《うえくらフラワーショップ》が大好きだ。
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