Ⅰ、4月 まじわった

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Ⅰ、4月 まじわった

氷の華。 「何それ?」 「は?拓海お前、知らないのか?」  そんなに心底呆れた目で見ないで欲しい。知らないものは知らないんだよ。 目の前で溜め息でもつきそうな顔をしてる幼馴染、天達翠をじとりと見る。  微妙な沈黙。  無言で視線を交わす僕らの間を、4月特有の暖かい風が通っていく。 新学期にふさわしいぽかぽかとした陽気に思考が溶かされる。頰を撫でた風を追ってふいと外へ視線をとばすと、柔らかい桜色が視界に入り込んでくる。2階にあるこの教室は窓一面が桜で埋まっている。風にあおられてふわりと花弁が舞う。  あー、もう高校2年かぁ…実感ないなぁ……。  目の前で溜息が一つ。  正面に視線を戻すと、翠が頰杖をついてこちらを見ていた。 「な、なに?」 「すぐ別のところに意識飛ばすのやめろ。俺は慣れてるから別にいいけど、人によっちゃ失礼なやつだと思われるぞ」 「うっ」  事実だから言い返せない…。言葉に詰まった僕をみて、また翠が深々とため息をついた。そんなにため息つくと幸せが逃げちゃうんだぞ。言わないけど。だってそしたら『お前のせいだろ』ってまた馬鹿にされるからね。 「で、何の話だっけ」 「お前な……」  翠の顎が手のひらからガクッと落ちる。 「穂波瑠璃。去年からやれ美人だのなんだの騒がれてるやつだよ。今年は隣のクラスらしいな」 「あー…………」  その名前は聞き覚えがある。そういえば去年もなんかすごい美人がいるとか言ってたような。なるほど、その人が隣のクラスなのか。因みに僕の記憶にその人を見たというのは無い。見ようとしない限りあんまりしっかり見ないし、他クラスなら尚更見る機会もない。 「僕見たことないんだけど、やっぱり綺麗なの?」 「まぁ、整ってるよな」 「へえ!」  これは興味が湧いてきた。僕の幼馴染は贔屓目なしに非常に端正な容姿をしている。彼のご両親もかっこいいし美人だ。つまり、綺麗な人は見慣れてるということだ。さらに辛口で基本塩対応というオプション付。そんな翠が『整ってる』と言うのだ。一体どんな美人なのやら。 「でも、何で氷なの?」 「………お前さぁ、好きなこと以外にももう少し興味もてよ」 「だって知らなくても問題ないでしょ!で、何で?」  相変わらず呆れた目をしているが、無視だ無視。こんなのはいつもの事だからね! 「………他人に冷たいんだってよ」 「翠みたいに?」 「うるせぇ」  額目掛けて飛んでくるデコピンをさっと避ける。ちっと小さな舌打ちが聞こえてきた。幼馴染を舐めるな、先読みくらいお手の物だぞ!まぁ本当に彼が冷たいとは思っていない。ただのじゃれあいだ。  ドヤ顔をする僕の頭を一回叩いて、翠は話を再開した。  翠曰く、『美人だから女子も男子も寄ってくるけど、ひたすら無表情で追い返す』のだという。何を言っても表情を変えないらしい。褒め言葉でも、貶める言葉でも。告白にも冷たく、バッサリ切り落とすとか。何をしても冷たく揺らがず、そして整った姿形をした彼女は、そのうち『氷の華』と呼ばれるようになったらしい。  なるほど、話を聞く限り確かに冷たい。取り付く島もないとはこのことだろう。容姿も翠が言及するくらいには綺麗なのならば、『氷の華』というのはあってるように思う。  まぁ実際に見たことも話したこともないため、聞いた限りでは、だけど。  ふーん、と相槌を打っておく。それを見て翠が目を閉じてゆっくり息を吐く。話の区切りがつく時の彼の癖だ。僕の好奇心はすでにだいたい満たされたと察したのだろう。 「今日は水泳部ないんだろ。また海に寄ってくのか?」 「もちろん!」  間髪を容れず答える。この学校も僕の家も、海岸沿いにある。つまり、登下校の途中に海の近くを歩く必要がある。小さい頃から海に慣れ親しんできた僕は、高校生になった今でも海が大好きなのだ。早朝、学校帰り、休日、いつでも海へ足を運んでいる。 「本当に好きだよな、お前。間違えても泳ぎに入るなよ、今はまだ4月だからな」 「わかってるよそんなこと!馬鹿にしないでよ」 「『そんなこと』をして風邪引いたのはどこの誰だっけな」 「いつの話してるの!!」  流石にそれをやったのは小学生の時だし!高校生になってまでやらないよ!いつまでもそんなネタ引っ張らないで欲しい。 「中2の時に『水遊び』って称して水の掛け合いしてた結果、風邪引いたこと忘れてるのか」 「あっ」  そういえば、そんなことも……いやいやいや、あれは不可抗力で!最初に水かけてきたのは一緒に遊んでた子たちだし!?僕だけのせいじゃないよね!だからそんな『心底呆れた』みたいな目で見ないでくださいお願いします。 「と、ともかく平気だって!そういう翠は?今日は部活あるの?」 「ああ、今年なんか弓道部に新入生すごい来るんだよな。しかも『男子』弓道部の方なのに女子が多い。マネージャーとかそんなに取らないのにな」  確実に君の顔のせいだよね?  そう思ったのは仕方ないだろう。この幼馴染は顔がいいのに加え、実は弓道部のエースだ。この涼しげな顔で、すっと背筋を伸ばして静かに的を射る姿は、非常に絵になっている。それを思春期の女子が見てみろ。客寄せパンダになるのも仕方がないと思う。 「はー、さすがイケメン」 「そんな嫌味ったらしく言われても嬉しくねぇよ。というか、俺一人のせいな訳あるか、あんなに大量に来てんのに」  そんな訳があるから言ってるんだけどね?  翠は小さい頃から言われてたせいで自分の顔が良いことは知っているし、それによって人が集まるのもわかっている。それで我儘で面倒な人にならないのは凄いと思う。ひとえに彼の真っ直ぐさ故だろう。でも、寄って来る人たちを情け容赦なく切り捨てるのはやめよう?せめてもう少し聞いてあげて。  ともかく、人が寄って来るのは知ってる。でも、その規模の認識には間違いがある。君が思ってる以上に人のこと引き寄せてるんだよ!そしてその弊害は周りに来るのだ。特に幼馴染の僕の所には……。ため息をついた僕は悪くない。 「おい、いきなりため息とか何だ。どこにそんな要素があったんだ」 「翠、わかってないのは罪だよ……」 「はぁ?」  益々わからない、みたいな顔をしないで欲しい。いい加減把握してよ、自分の顔の影響力の強さに……。  言い合いが勃発しようとしたところで、チャイムが鳴る。良いタイミングだ。この言い争いが意味を成さないのは今までの経験上わかっている。それを遮ってくれるとは、ありがとうチャイム!  先生が扉を開ける音をBGMに、僕は慌てて自分の席へと戻ったのだった。
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