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何か事情があるんだろうけど込み入った話を聞くのもなって、敢えてその話題には触れない様にしてたのに。
数日後に「誰にも相談できなくて!」って涙ながらに告白されてしまったからには断るにも断れなくて。
結局ガッツリ事の経緯を聞く羽目になってしまった。
彼女の実家は地元で有名な酒造で、両親ひいては親族一同から激しく反対されながらも勘当覚悟で意地でも故郷には戻らなかった。
決められた道、決められた結婚相手、どこを向いても知り合いしかいない狭い世界からどうしても抜け出したかった、と。
こんな稀有な境遇を理解してくれる人なんていない、そう思っていたけれど。
たまたま同じ新卒の入職者にいたのが彼。
彼は通称たたみ王子。
実家は広大ない草畑を有する畳屋さんで、皇室に献上したり、大使館からわざわざオーダーが入ったりする様な、一般的には全く知られてはいないけどその筋ではかなり名の知れたおうちらしく。
お兄さんが後を継いではいるけれど、伝統工芸に近い地域産業を担う身として当たり前の様に外での就職を反対されたらしい。
彼はお兄さんの協力もあって都会の大学に進学して、そのまま帰郷せずに入職したけれど、いまだに帰って来て家業を手伝うのが当たり前だと言われ続けている。
そんな2人が意気投合して付き合い始めたのはごく自然な流れでもあった。
だけど、まさか付き合って半年で妊娠してしまうなんて。
勿論晶は彼女に正論を突き付けた。
相手にはちゃんと妊娠の事実を伝えるべき。
2人で話し合って結論を出した方が良い。
多分結論を出すなら早い方がいいと思う。
産むにしても産まないにしても、先延ばしに出来る様な問題じゃ無い筈、と。
彼女の瞳は不安に揺れていたけれど、どこか強い光も宿していて。
産むつもりです。産みたいです。
そう言った声は震えているのに何故か妙に力強かった。
母は強し、とは良く言ったものだ。
腹を決めた彼女にささやかなエールを送って、それからはひっそりと彼女を見守っていたのだけれど・・・
「吉野さん!今日はペース遅くない!?」
「いつもみたいに豪快に飲んじゃってよ!」
そう。この子、役所中に酒豪で名を馳せていて色んな課のおじさんたちから大人気。
本人もお酒大好き!って気軽におじさんたちと飲み歩いていたから。
「ダメだよ?分かってると思うけど。」
小声でひっそりと彼女に釘を指す。
彼女も小さく頷きはしたものの、妊娠している事を公表していないだけに断る手段がない。
「これとグラス変えて!早く!」
おじさんたちの一瞬の隙を突いてチェイサー用の水を汲んだグラスを彼女のそれと変えさせて、一旦は切り抜けられた!と安堵したのも束の間。
飲み仲間のおじさんは1人や2人じゃないから、次々と酒を持っておじさんたちがやって来る事態に!
日本酒は水とすり替えられたけれど、色のついた酒はそうもいない。
あれやこれや話を変えながら何とかお酌を回避し続けたけれど、とても彼女1人で対応しきれない事は明らかで。
あぁ、やばい。
今日はただ田中さんのデレた顔を拝みに来ただけだったのに。
席を立つ事すらままならなくて挨拶すら出来てない。
遠目に幸せそうな2人を見るだけで精一杯。
別にこの子に恩がある訳じゃないし。
特別に可愛がってる訳でもないし。
何なら最近はプロジェクトチーム中心で仕事での関わりだってあんまりないし。
私がこんな事する必要なんか全然ない。
だけどやっぱり知らんぷりはできんだろー!?
結局、どうしても回避出来ないお酌は晶が何やかんや理由をつけて代わりに飲む羽目に。
酔いが回り始めて、やばいな、これはマズイな、とお酒以上に水もガブガブ飲んで何とか頑張ったけれど。
いや、この二次会長すぎる!!!
普通の飲み会だったら持ち堪えられたはず。
しかし4時間の長丁場ではさすがに耐えきれなかった。
気が付けば上機嫌な晶が進んでおじさん達の相手を買って出ていて、その様子に深雪も堪らずたたみ王子に事情を話して助けを呼んだけれど時既に遅し。
「晶さん、もう帰りましょう?ね?送って行きますから!」
「だいじょーぶ!あたしきょうここにおとまりなんだー!」
「え?いや、旦那さん心配しますから!」
「ダイジョーブだって!だんなもくるからさ!」
「えぇ・・・」
晶は決して間違った事を言っている訳ではないものの、事情を知らない2人には分かる訳もない。
必死に帰ろうと説得するものの晶は大丈夫!大丈夫!を繰り返すばかり。
それどころか余興の参加者に自ら挙手して名乗り出ると、ノリノリのまま千鳥足でどこかへ連れて行かれてしまった。
「とりあえずもう一切酒は飲ませないとして。送るにしても深雪は東馬さんの家知ってる?」
「知らないよ。でもまだ今の感じなら家の住所くらいなら・・・」
「それか本当に上に部屋を取って休ませた方がいいかもしれないな。」
「確かに。じゃあ私一緒に泊まる。」
「俺も行くよ。2人じゃ深雪が休めないだろ?あんまり顔色良くないし、俺が東馬さんの介抱するから。」
「大丈夫だよ。晶さんのおかげでお酒は飲まなくて済んだし、私なら、」
「ダメだよ。大切な時期だろ?本当はこんな事に付き合わせたくないけど流石に2人で泊まる訳には行かないし。」
「こっちこそこんな事に巻き込んでごめんね。」
「何で謝るんだよ。月曜日、東馬さんには2人でお礼しなきゃな。」
「うん。」
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