番外編 パパくらげ誕生!?

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一心不乱にこれからやるべき事をリストアップしていたら、自宅マンションに到着していた事にすら気が付いていなかった。 一番肝心な事を忘れてた。 晶に何て切り出そうか? 単刀直入に妊娠したのか?って聞けたら楽だけど、そう言う訳には行かないし。 先ずは今日どこ行ってたの?みたいな切り口で行くしかないか。 いざ自宅を目の前にすると心臓が飛び出そうなくらいにバクバクしだして、手のひらにはじっとり汗。 生放送だって、大きな仕事の前だってこんなに緊張した事はない。 手のひらの汗を拭って、何度か深呼吸して、よし!と小さく気合いを入れて自宅の鍵を開けた。 「ただいまー!」 努めていつも通りに。 そう意識したつもりだったけど大丈夫だっただろうか? ドキドキを隠せないままリビングに入るとそこに晶の姿はない。 「晶?どこ?晶?」 寝室を覗きに行こうとして通りかかった洗面所。 その扉越しに、僅かな水音に気が付いた。 「晶?風呂?」 シャワーの音で晶はこちらには気が付いていない。 いつもだったら喜び勇んでさっさと自分も風呂に入ってしまうけれど。 今日はまだ心の整理も出来ていないし、多分裸の晶を見たらお腹から目が逸せない様な気がしてそっと洗面所を後にした。 あー!もう!どうしよう!? こんなに緊張すんのマジで初めてだからどうしていいのかわからない。 逃げる様にマッスル部屋に駆け込んで、とりあえず落ち着く為に懸垂機にぶら下がって。 ひたすら体を上下させながら必死に考えを巡らせる。 俺がしょっちゅう位置情報を確認してるのは晶だって分かってるだろうし、もうここは素直に水天宮で何してた?って聞いてしまおう! 銀座の病院にいた事も! 何だか事情聴取みたいになるのはもう仕方なくないか? あ、待てよ?澤村くんが言ってた話。 本当なら買ったお守りと腹帯がどこかにあるんじゃないのか? 腹帯は母ちゃんが持ってるかもしれないけど、お守りは流石に本人が持ってるよな? はたと気が付いて、急いで晶の鞄を探る。 こんなところ見られたら最悪だから今のうちに! 入念に探して、お守りだから財布の中かも?なんて晶の財布を開けて見れば。 お守りの代わりに見つけた動かぬ証拠。 あの銀座のレディースクリニックの診察券にはきっちりと"トウマ アキ"と印刷されていた。 財布をしまって、鞄を元に戻して。 足音が響かない様にもう一度マッスル部屋へ。 琥太郎はベンチプレスのシートに腰掛けると最大限にニヤつく顔を両手で隠して蹲った。 めちゃくちゃ叫びたい!!! やったー!!!って叫んで飛び上がりたい! 俺、ついにパパになるって事だよな? 晶がママになるって事だよな? 俺たちの赤ちゃんがいるって事だよな!? やばい。マジで叫びたい! 疼く体を何とかしようと再び懸垂機に飛びついて、いつもの倍以上の速さで懸垂を繰り返す。 あぁ!マジでやばい。 こんなに嬉しいと思わなかった! 一気に襲って来た喜びに懸垂しながら悶えまくって。 鏡に映る自分はありえないくらいだらしない顔をしているけど仕方ない。 冷静でなんかいられない。 男の子かな?女の子かな? 俺は出来ればやっぱり女の子がいいな。 仕事の時間以外はずっと側にいてあげたい。 初めて笑いかける相手は勿論俺であって欲しいし、初めて話す言葉がパパだったら、俺嬉しくて倒れるかもしれない。 毎日毎日パパだよ!って言い続けよう。 一番最初にパパって言葉が口から出る様に。 俺が仕事でいない間に歩き出したらどうしよう!? いや、その前に寝返り? やばい。全部の初めてを見たい! 育休って取れないのかな? 先輩で取ってる人は・・・いないか。 でも芸能界って考えたらいるよな? 出来ない事はない? 完全に育休は無理としても、しばらく振りは振付師さんに頼んで、打ち合わせはリモートですれば今よりは家に居られるだろうし。 そんな事を考えながら、ふと目に止まったのはクローゼット。 何が見えた訳でもない。 だけど何かに惹きつけられて。 気が付けば懸垂機から飛び降りてその扉に手を掛けていた。 「あっ!」 そうか。 そうだ。 晶は何か隠す時にはいつもここに入れるじゃないか。 クリスマスプレゼントもそうだった。 震える手でそっと持ち上げた紙袋。 そこには澤村くんが言っていた、例の腹帯。 それだけじゃない。 プレママとか初めての妊娠・出産とか、大きなお腹のモデルさんが表紙を飾る雑誌が数冊。 そして名前だけは聞いたことがある赤ちゃん用品専門店の試供品のセット。 小さなオムツや何かのクリーム、粉ミルクや洗剤の試供品に混じって入っていたそれ。 透明ビニールの包装の上からそっと撫でただけで涙が溢れそうになって慌てて瞬きを繰り返した。 それは想像を遥かに超えた。 小さな、本当に小さな。 真っ白な肌着。 着物みたいに合わせがあって紐で結んで着せるらしい。 「こんなに小さいのか。」 琥太郎の大きな手なら覆い尽くせてしまう程に小さな肌着をもう一度だけそっと撫でて丁寧に袋にしまう。 そして徐に雑誌を取り出した時、パサリと何かが落ちた音がした。 それは何かパンフレットの様なもの。 開いて見れば、それは赤ちゃん専門店の会員証申込書の控えだった。 書かれた住所も名前も生年月日も電話番号も。 紛れもなく晶のもの。 レディースクリニックの診察券を見た時に確信はしていたけれど、これでもう間違いはないだろう。 さっき診察券を見つけた時にはただただ嬉しくて。 悶えて、喜びを爆発させて。 だけど今は。 喜びの大きさと同じくらいにその責任の重みを感じて、あんなにニヤけていたのが嘘みたいな真剣な面持ち。 自分の命より大切なものがまた一つ増えた。 1つでさえ責任重大で、慎重に、慎重に守って来たつもりだったけど。 もう1つ増えたこの大切なものは、俺1人の力じゃ守りきれないから。 晶と2人、力を合わせて。 大事に、大事に守って行かなくちゃいけない。 いつか、自分の足で立って。 いつか、自分の力だけで翔ける日まで。 キリキリと胃が痛むくらいに責任重大だけど、あったかくて柔らかな何とも言えない感動と幸福感が大きくて、大き過ぎて。 キリリと引き締めた表情筋は徐々に緩く解けて行った。 何とも言えない穏やかな笑みを浮かべて琥太郎は、床に座り込んでそっとその雑誌を開く。 そこには。 まるで未知の世界が広がっていた。
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