2 登山隊結成秘話

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2 登山隊結成秘話

 きっかけは根岸の一言だった。「どうも最近、退屈で死にそうなんですがね」  わたし、姉さん、根岸、二宮。彼らとの交友関係は半世紀ほど続いていたが、これは異例に長い期間だといえる。誰しも毎度同じ顔ぶれと角突き合わせてばかりいると、いくら相手が魅力あふれる人間でもうんざりしてくるものだ。  わたしを除く三人はその魅力あふれる人間であることに疑問の余地はない。それでも半世紀というのはマンネリ化を招くには十分な時間であるらしい。根岸はみんなの意見を代表して口に出したにすぎない。 「いつか誰かがそう言い出すんじゃないかと思ってたよ」姉さんは眉をひそめている。「このメンバーは嫌いじゃなかったんだけどね」 「すると、コミュニティは解散ですか」二宮は不動の姿勢をとった。「自分は断固反対であります」 「なにもそう急ぐこたない。俺はこの四人でなにかどえらい仕事をやってみたいと言ってるだけなんだから」 「どえらい仕事ね」御年15世紀歳、妙な考えに取りつかれやすいお年頃だ。「そう言うからには提案があるんだろうな」  青年は無言ではるか遠くを指さした。  すかさずかすみ姉さんが背中をどやしつけた。「もったいぶってないで吐けよ」 「〈クォンタム山〉の頂を極める。これ以上の偉業はないでしょうが」  全員の血の気がいっせいに引いた。ほかの二人がどう思ったかわたしには手に取るようにわかった。まずまちがいなく、「こいつ、正気か?」 「サー、もしご存じでないのなら不肖二宮が、いましがたなされた提案がいかに愚か――ええと、達成不能であるかを解説したいであります」 「ほう、坊主はなにを教えてくれるんだい」 「自分たちの住む〈地表〉は波動関数の自由なふるまいが許されてますね。したがって〈地表〉にとどまっている限り、量子人はあらゆる危険から無縁でいられる」 「いまの俺たちみたいにな」  最年少の軍人気取りは鷹揚にうなずいた。「おっしゃる通り。仮に根岸さんが次の瞬間、心臓発作を起こす事象があるとしましょう」 「おい坊主、その例はなんでもいいはずだぞ。あえて俺の死を持ちだすのは、お前さんの潜在意識に好ましからざる願望があるとしか思えんな」 「誓ってまったく他意はないであります」二宮はにやにや笑いながらさっと敬礼した。 「まあいいさ。続けろよ二等兵」 「たとえその可能性が99.9パーセントだったとしても、われわれの星では残りの0.1パーセントが起きるようになってます」二等兵がかすかにため息をついたのをわたしは見逃さなかった。「めでたく根岸さんは無事生き延びると」  誰も口を挟まない。彼のぶっている講釈はきょうび、胎児ですらご存じなのだ。 「ところが標高が上がるにつれ、われわれが享受しているありがたい因果律の崩壊は鳴りを潜めます。登れば登るほど事象は固定されていき、ある地点でついに波動関数がまったく発散されなくなってしまう」  われ知らず、ぶるりと身震いした。波動関数の発散しない世界。量子の加護に守られていない呪われた場所。わたしはその光景を想像してみた。量子的な重ね合わせのいっさい見られない澄んだ景色。なんとおぞましいのだろう! 「〈クォンタム山〉はこの星の最高峰(3,190メートル)で、同時に山頂はこの星でもっとも高い場所です。波動関数が完全にサボタージュ状態になるライン――いわゆる〈事象の固定点〉ですね。これがちょうど山頂の標高とイコールなのはたぶん、偶然じゃないんでしょう。父祖たちのメッセージはこうです。『罰当たりな場所に登るのはよせ』」 「甘いな坊主。登るなと警告するくらいなら、始めからそんなもの作らなきゃいい。これは連中からのメッセージなんだよ、〈事象の固定点〉に到達して見せろっていうね」 「お前は妄想狂だよ、根岸」呆れたように姉さんが割り込んだ。「ご先祖さまがどれだけ優れた技術を持ってたにせよ、まるまる1個の惑星を作るなんてまねはしなかったはずだ。条件のよさそうなのを見繕って量子的な改造を施していけない理由はないはずだぜ」 「そうですよ。かすみさんがおっしゃる通り、既存の惑星をクォンタム・フォーミングしたと考えるほうが自然です。マントル対流があれば造山運動が起きて、〈クォンタム山〉のような高峰が隆起する」二宮二等兵は自信満々に締めくくった。「したがって〈クォンタム山〉は意図的な被造物ではない。以上、証明終わり」  根岸はちらりとこっちに目くばせした。「日下部さん、あんたはどっちの説に与するんです」 「さてね。どっちでもいいんじゃないか」 「よくぞ言ってくれました!」青年は快哉を叫んだ。「どっちでもいいんですよ、〈クォンタム山〉の成り立ちなんぞはね。俺はマンネリ化を打破したいと言ってるだけなんだから」 「するとなにか、お前は足を滑らせでもしたが最後、あっさり死んじまうかもしれない山になんの目的もなく登りましょうと、こう提案してるわけなんだな」姉さんは額に手を当ててうつむいている。  破顔一笑、根岸は得意げにうなずいた。「登山とは本来、そういうスポーツでしょうが」
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