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本棚に追加お前が死んだ日
友人が死んだ。事故死だった。
事故で。友人が。
葬式は家族と知人がちらほら集まっただけの寂れたものだった。
知人なんて言ってもそこら辺に転がってるゴロツキが大半で、マトモな奴なんか来てなかった。
あいつの両親をあたしはこの時初めて見た。へらへら笑って揺れてるジジイとあいつだった肉塊に煙草の煙を吹きかけるババアが最前列に座っていた。
あいつのシャブ好きはあのジジイからで、ヘビースモーカーはあのババアからで、あの非常識は両親からなのだと知った。
坊さんは終始居心地悪そうにしていた。この世界であいつに向けて経を唱えた奴なんかあの坊さんくらいだろう。
それだけ小さい存在だったのだ。風が吹いたら飛んで行ってぐちゃぐちゃになって消えて、踏まれても気付かれないような、そんなちっぽけな存在だったのだ。
あいつが死んだと知った時、あたしは泣かなかった。悲しくもなかった。ああ、こういう奴の幕引きはやっぱり呆気ないなと、そう思っただけだ。あとはこんなクソ蒸し暑い日に死ぬじゃねぇよとも思った。もっと都合のいい日に死ねば多少はあたしの助けになったのだ。
都合のいい日に死ねば良かったんだと考えてから、血と汗と薬を垂れ流してぐちゃぐちゃなまま死んだあいつに都合のいい日なんてなかったのだと気付いた。あいつはいつ死んでも迷惑な肉塊だった。
馬鹿でヤク中で女好きでめちゃくちゃな奴だった。そんな奴は死んで正解なのだ。
葬式が執り行われたのもあいつが死んだみたいな蒸し暑い日だった。おまけに雨が降っていたから、雨と汗で制服がベタついて、髪の毛も整わなくて、最悪だった。
そんな奴を友人だと呼ぶあたしはもっと最悪だった。
あいつと同じくらい馬鹿で最底辺だった。結局類は友を呼ぶという諺は真実なのだ。
そういえばあいつと初めてあった日もこんな最悪な雨の日だった。
あたしの中で、雨は憂鬱でろくでもねぇ事が起きる象徴だった。
「なにしてんの」
あたしと同じくらい血塗れで痣だらけの汚いあいつは雨でベタベタなあたしに声を掛けてきた。春だったから、水溜りには桜の花びらが泥まみれでいくつも浮いていた。
「傘は?」
「あんた学生だよな。そこの高校の」
「親が心配するんじゃねェの」
今思えばあいつが「親が心配する」なんてとんだ皮肉だ。あいつには心配してくれる親はいなかった。あたしだってそうだった。
あたしの場合は共働きで仕事一筋な人間だったからだ。仕事人間が気まぐれで結婚して気まぐれにセックスしたオマケであたしが産まれた。顔も声もろくに覚えていない。机の上に置かれる料理が手作りの一品からレトルトになって、市販のパンになって、千円札になった。授業参観にも入学式にも卒業式にも体育祭にも文化祭にも来なかった。唯一来た行事は三者懇談だけだった。心配のしの字すらあいつらはあたしに抱かなかった。
「自分を棚に上げて」
あいつもあたしと同じだった。傘も持たずに、水を吸って重くなったべちゃべちゃの制服を着た男が夜の公園に佇んでいた。
街頭に照らされたあいつの顔は青と赤ばかりだった。
「俺ァ別にいーの」
「はあ」
確かあたしはそう言って、俯くついでに鞄の中を見たんだ。そうしたらあいつも覗き込んできて、「『死ね』『ブス』『キモい』『学校くんな』…あはッ、幼稚な悪口ばっかだなァ!あははは!!アホらしーー!!あははは!!」教科書に書かれた悪口を読み上げてから大声で笑ったんだ。
「あはははははははは!!!―――……はー…」
そいつはひとしきり笑ってからおもむろに煙草を取り出した。それからライターのオイルが切れていたことに気付いて、それでも雫を吸って使い物にならなくなった煙草を口に咥えた。
あいつが煙草を吸うのは早く死ぬ為なのだと聞いた。あいつにとって煙草を吸うことは一種の自傷行為だった。俺は長生きが目的じゃねえからなァ、と煙と一緒にそう吐き出したあいつは確かに死ぬのが怖くて健康に気を遣うような人間ではなかったのだと思い出した。
あの日、あの雨の日、あたし達はあの後どうやって親しくなったのか、どうやって解散したのか忘れてしまった。きっと全部曖昧だったのだろう。だってあたしとお前なのだから。
あの日からあたし達は何となくあの時間あの公園に集まるようになった。
そこであいつは近くの高校の1つ上の先輩で、親がろくでもねぇからバイトで食いつないでいて、今付き合ってる彼女がいて、結婚したくて、学校なんかろくに行ってなくて、初恋の人が忘れられなくて、シャブは気分よくて、金がなくて、色んなところに手を出したから色んなところからリンチされて、何ていうゴミみたいなことを聞かされた。ろくでもねぇのはあいつも一緒だ。
結婚を考えている彼女はミカとかマナミとかマキとか聞くたびに違う名前だったが、それでも惚気は絶えなかったから、多分一丁前に彼女の事が好きだったんだろう。彼女の写真を見せてもらった事があるが、金髪の顔の鋭い女だった。忘れられない初恋の人も同じような雰囲気だったから、あいつのタイプはそこから始まったのだと察した。初恋の人は2つ上のバイト先の先輩で、あいつにシャブを教えたのもその女だった。で、最近そのミカとかマナミとかマキだとかの彼女に振られたらしい。シャブばっかやってて見捨てられたのだ。多分。あいつはあたしにちゃんと理由を教えてはくれなかったし、あいつ自身クスリで頭が回ってないから分かっていないのだ。
その辺りからだった。あいつがクスリを使う頻度が高くなったのは。へらへらへらへら笑い出したかと思ったら急に泣き出して、それから喉が乾いたと喚いて、また笑い出す。生傷とか痣とか注射痕とかも増える一方だった。あたしへのいじめも夏になってバリエーションが増えてきたから、あいつと同じように生傷とか痣とかが増えていった。
その頃のあいつは市販の睡眠薬とか、そんな類のものにも手を出していた。シャブ漬けの奴と公園で屯すのは周りの目が痛かったけど、家なんかよりもずっと居心地が良かった。あいつもきっとそうだった。
喉が乾いたと喚くあいつに飲料水をぶっ掛けて笑い合うのが楽しかった。滑り台とその横の砂場はあたし達の特等席だったんだ。あそこで談笑するのがあたしとお前が生きてもいい時間だった。
彼女の一件があいつの「事故死」に拍車をかけたらしかった。
うだって唸るくらい蒸し暑い夜にあいつは死んだ。
あたしが公園に着いたときには死んでいた。
滑り台で寝そべるように死んでいた。
街頭に照らされた顔は半目で、目の焦点は左右非対称で、涎を垂らしながら笑っていた。最期まであいつはあいつだった。あんな馬鹿でヤク中で女好きでめちゃくちゃな奴が綺麗なまま死ねる訳がなかった。だから、あたしは目を閉じてあげたのだ。唯一の「友人」だったから。唯一慈悲を向けてやれる立ち位置だったから。あたしだけが。
死んでから間もないのかまだあいつは温かかった。人の体温を保っていた。あいつはただ寝ているだけで、暫く待っていたら呑気に起き上がって来るんじゃないかとさえ思った。だけど、だんだん顔色が悪くなっていって、腕とか足とか、関節とかが動きにくくなって、ゴムを触ってるみたいになって、体は上下してなくて、血と汗と薬を垂れ流したまま固まり始めたあいつを見ていたらやっぱり死んだのだと知った。
悲しくはなかった。泣きもしなかった。虚しくなっただけだった。つい昨日のこの時間までいつも通りへらへら笑ってどうでもいいクソみてぇな話をしてた相手が急にいなくなるなんて想像すらしていなかった。もうちょっとくらい先でもよかったんじゃないのかと、そう思った。居場所が無くなるのは一瞬だ。額に浮き出た汗がゆっくりと顎を伝ってあいつだった肉塊に滴り落ちた。まだ塞がりきってない傷に汗が染みて痛かった。蝉の鳴き声が煩くて煩くて、一生土の中で暮らしていろと悪態をつきたくなった。個性のある鳴き声も一緒になればただの雑音だ。あたしは暫く肉塊を見つめていた。それから、やっと110と119のどちらに電話した方がいいのだろうと思い立った。あいつの死因なんて知らない。シャブで死んだのか、それとも睡眠薬の飲み過ぎなのか、その他で死んだのか。あたしはとりあえずどちらにも電話した。そこからまた数分待って、蝉の声が掻き消されるくらい煩くて眩しい赤色とサイレンが近付いてきた。近所の家から人が出てきた。スマホを向けて笑う野次馬共が大半だった。
あいつは見せもんじゃねぇんだと愚図りたかった。
救急隊員と警察官が何か話していたのが端の方で見えた。それからあいつとあたしはどういう関係なのかと警察官に聞かれた。あいつがヤク中だったのもあったのかもしれないけど、こういう聞き込みがドラマの演出で終わらないんだと知った。あたしは友人だと答えた。友人だったと。あいつとの関係が世に言う「友人」と同じなのかは分からないけど、あたし達は「友人」だった。少なくともあたしはあいつと友人だった。
ぽつぽつと雨が降ってきた。雨は憂鬱で、ろくでもねぇ事への象徴だった。ろくでもねぇ野次馬共は雨が土砂降りになってきたから散っていった。そのままそこらへんを走ってる車にでも轢かれちまえばいい。
あいつの死は近所でそれなりに有名になった。ヤク中が死んだと。いつの間にかあいつはシャブで死んだろくでなしになっていた。だけどそんなろくでなしの死もいつの間にか他の噂で埋もれていった。葬式をして、あいつが肉塊から灰と骨になる頃にはもう忘れ去られていた。
あいつの墓石は一丁前な物が建てられたが、掃除はおろか何もされていなかった。 花なんて生けられてすらいなかった。
別に命日でも何でもなかったけど、ふとあいつを思い出して、シャブなんて墓には置けないし、あいつの吸っていた銘柄なんて知ろうともしなかったから、家に置いてあった適当な煙草を持ってあいつの墓に向かった。
墓の掃除なんてロクにしたことがなかった。
だからいつかやったみたいに飲料水を墓にぶっ掛けて側にあった束子で適当に擦った。あの時みたいにやめろよなんて言ってラリって笑うあいつの声は聞こえなかった。そりゃそうだ。これはただの石だ。石を積んだだけで、あいつじゃない。中に遺骨は入ってるけど、それはあの公園で笑ったあいつじゃない。
「なァ〜〜〜〜、あの滑り台と砂場、他のガキに盗られたよ。お前が死んだせいでさ」
居場所が無くなるのは一瞬だ。暫く近寄らないうちにどこの家かも分からないガキに滑り台と砂場を盗られてしまった。あたし達はあそこでしか生きていられないのに。「お前はもう死んだからどうでもいいかもしれないけど」それでも、あそこはあたしとお前の居場所だった。
じゅぐじゅぐと水と束子と墓石が擦れて音がする。水と束子と墓石の擦れた音の後ろで鳥のさえずりが聞こえる。空は青かった。ピンクから緑へ、緑から茶色へと変色した木の葉が墓の近くに散って落ちた。あいつとあたしの人生みたいな色だな。ふとそう思って、木の葉を拾った。それを水受けに突っ込で、これで天国でもクスリを吸ったりできるのかしらと考えてから、シャブ漬けの仏なんて天国では受け入れられないのだと思い立った。やっぱりあいつは地獄に堕ちるのだ。
「――お前のろくでもねぇ両親もまだ健在なんだ」
春だったか夏だったか、細かい時期は忘れたけど、いつの日かあいつはオイルの切れたライターを片手で弄びながら「俺が死んだらあいつらも一緒に連れてってやろーかな。俺はどーせ地獄に堕ちるから、お願いすんのはエンマサマだな」なんてうわ言を洩らしたのだ。
あいつの両親はまだ健在だ。多分、あいつはろくでもなさすぎて、どうしようもなさすぎて、閻魔様にお願いする前に舌を切られてしまったんだろう。
「お前がお前の両親連れてったらちょっとは治安も良くなったかもな」
もう遅いけど。
「もっと貢献してから死ねよな」
もう遅いけど。
「……」
じゅぐじゅぐ。水と束子と墓石の擦れる音だけがする。あいつに話すネタなんてこれくらいだった。だってお前が死んだくらいで世界は変わらない。社畜は一生社畜のままだし砂のお城は雨で崩れるし誰か死んだって次がいる。あたしが死んだって世界は変わらない。あたしもお前も無価値なまま死んでいく。ヤク中とかろくでもねぇ奴にかける情けなんて神様仏様は持ってないのだ。
「アホらしい。アホらしーな。分かってるよ。分かってんだよ」
何が神様仏様だ。アホらしいな。1番信じてない奴がそんなのに縋るなんてアホらしい。あたしは神様仏様に見捨てられてこの人生なのだから、そんなものは居ないと同等だ。何ただの石綺麗に磨いてんだろう。
「あ"〜〜〜〜〜〜〜〜…うるせェな」
鳥のさえずる声が煩い。風の音が煩い。束子に擦れる墓石も要らない。遠くで聞こえるガキの声なんて論外だ。
内に掃き溜めたろくでもねぇゴミみたいな感情が放っておいたらどうなるか分からなくて、とりあえず気持ち悪くて。何か声に出して吐かないとやってられなくて、でも別に状況なんて変わるはずもなくて。
「お前、思春期真っ盛りの悩み多き学生ほっぽって先に死ぬんじゃねえよ。何であたしがこんなに悩まなくちゃいけねえんだよ」
あたしがお前に飽きるまで生きとけばあたしがこんなに悩むこともなかったし、わざわざ石を磨く必要もなかったんだ。
だけど、何かもうこうやって悩むこと自体がアホらしくて無様だった。
無様で不格好で最悪だった。季節も変わったのに、それでもまだ引きずってるのが最悪だった。
夜は案外長かった。あいつと性もない話をして、何となく別れるあの時間まで寝付けないのが嫌だった。昔暇潰しに見ていたテレビ番組を見て時間が潰れるのを待つのも嫌だった。あのテレビ番組は時を経て更に性もないものになっていた。机の上に置かれた千円札を持って、コンビニで買ったパンをあの公園で食べるのがあたしの夕食だった。一人で食べても味の無い砂を齧ってるように思えたのが嫌だった。
「ほんとにアホらしいよな」
供え物として墓に置いておいた煙草を手に取る。これを吸えばあたしも早く死ねるだろうか。
別に死にたいわけじゃない。生きたいわけでもないけど。それでもこんな虚無感とろくでもなさをぶら下げて生きていくよりも、死んで地獄に堕ちてあいつと畜生にでも生まれ変わる方が余程マシなんじゃないのかと、そう思ったのだ。
煙草を一本取り出して、あいつの見様見真似で口に咥える。ライターは無かったから何もしないまま。元来あたしは煙草を吸うような非行少女では無いのだから当たり前だ。
けして美味くはなかったし、不味くもなかった。紙のパサパサした感触が段々唾液でふやけていって、それが気色悪いと思っただけだ。
煙草が美味くて吸ってる奴なんかいるのだろうか。大抵あたしらが暇な時にはスマホをいじるような、それくらいの認識なのだろうか。暇を埋めるためだけの毒なのだろうか。いや、まァどうでもいい。あたしの肺はまだ綺麗だ。煙草に魅力も感じなかった。あたしがそれでいいなら、もうそれが正解なのだ。
雨は降らなかった。
あたしは暫くそのまま、毒にも薬にもならない暇潰しを咥えたまま、墓の前で座っていた。

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