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「……」
ハァ……と深々とため息を吐きながら、英が駈の手を取り自分の首へと回させる。
「駈、ほんとそういうの良くないと思う」
「えっ、俺、何か変なこと言ったか……?」
「……いや、何も!」
英は諦めたようにそう叫ぶと、よいしょ、と駈を横抱きに持ち上げた。
「お前……いつか腰悪くするぞ」
「ああ、それなら大丈夫。最近さらに鍛えてるからね」
「あれ、お前、あんまりやるとマズいんじゃなかったか? 筋肉付き過ぎちゃうとかなんとか……」
「ん、前は確かにそう思ってたけどさ……ちょっと気が変わって。もっと体力付けようかなって」
「そうなんだ……頑張ってるんだな」
素直に感心しつつも、最近、仕事の忙しさにかまけてジム通いをサボっていた駈には耳の痛い話でもあった。
俺も行かなきゃな、と続けようとした駈だったが――
「やっぱりさ、男たるもの、きちんと相手を満足させたいでしょ?」
「……満足?」
怪訝な顔をする駈に、英は一人でうんうん、と頷く。
「俺、寝落ちしちゃって、駈をそのまま放置しちゃったこと何度かあったよね? ほんと、悪かったなってすごく反省してさ」
「いや、別にそれは……お前も疲れてたんだし……」
「でも、駈……辛かっただろ?」
「……え?」
「だって、隣であんなことするぐらいだから……って、ちょ、殴らないで!」
「……ッ!!」
涙目になりながら、英の無駄に鍛えられた身体をばかすか殴る。
必死に宥めようとしてくる英を本気で睨み付けつつ――でも、悔しいがそんなふざけたやりとりのお陰で、頭を覆っていた暗い靄がすうっと晴れていく気がした。
「駈、悪かったって~」
「……」
「次からはちゃんと声、掛けるからさ!」
「そういうことじゃないっての……」
ため息をこぼしながら、駈は自分を抱いている男を見上げる。
(そうだよな……たった一年先のことだって、まるで予想なんてできなかった。だったら――)
「すぐる」
呼びかければ、すぐにその端正な顔が近付いてくる。
しかし、唇が触れ合う直前、英が二ッと白い歯を見せた。
「覚悟してよ、駈」
「えっ?」
「今度こそ本当に、何も考えられなくしてやるからな……俺のこと以外、何も」
「……」
「……だからさ、何か言ってってば……」
英は今更のように顔を真っ赤にしている。
駈はふふっと笑うと、さらにその腕をぎゅっと逞しい首へと巻きつけた。
「その約束、違えるなよ」
「駈こそ、途中で寝ないでよ?」
「……そこは『今夜は寝かさない』じゃないのか?」
「あー! そうだ、そうだった……っ!」
「ちょっ、うるさすぎるだろ……」
やかましい男に文句は言いつつ、結局、二人で笑いあう。
と、彼の首の後ろに回した右手が、自身の左手の薬指へと触れる。
飾り気のないそのプラチナの指輪は、もうすっかりそこを自分の定位置と認めたようだった。
そう……二人の『未来』は、この指輪に誓ってある。
(だったら、今は、この瞬間を――英だけをただ感じていたい)
「かける」
自らを呼ぶその甘く掠れた声に、そっとまぶたを閉じる。
今度こそ期待通りに寄越された唇に、駈は柔らかく噛みついてやった。
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