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あれから数えるのが億劫なほど何度も戻った。
すべてが奴の言うとおりになったのだから、なんと腹立たしいことだろうか。
天は俺から何度もエルを奪っていった。赤く塗れる彼を見ることには未だに慣れないのか、彼の亡骸をもう見たくないからか知らないが、冷たくなった彼を見るたびに自身の心もまた冷えるような感覚がする。君を幸せにするとあと何回誓えば、死なないのだろうか。そんな不毛な疑問を浮かべながら、俺は慣れたように奴を呼んだ。
『ハハッ今回の死に方は豪華だったねぇ!全員集合だよ!?めったにないことだ!」
奴は快活に口を開く。その喉を潰したい衝動を抑えながら、俺は苛立ちを含んだ声で奴と対峙する。
「盟約を」
『本当に君はせっかちだねぇ。もう少し話していかないか?』
「黙れ」
『ハハッ怒る君もなかなかに魅力的だ。さて、そろそろ本題に入ろうか』
「本題だと?俺はお前と話す気はないと…」
『そろそろ気づいてるんだろう?真理に』
奴は俺の言葉を遮るようにその銅像のように整った唇を持ち上げる。
『君のような優秀な人間に気づかないはずがない。…いや、3回目の盟約あたりから予想くらいはしていただろうね』
「おい、早くしろ」
『はいはい、短慮は嫌われちゃうよ?…貴殿の願いを聞かせてくれるか』
「時を戻してくれ。入学式の日に」
『承知した。貴殿の望みを叶えよう。代償はその寿命。古より続くヴェルジーの申し子よ。そなたの思うがままにすべてを変えてみよ』
奴から放たれる恐ろしいほどに眩い光にはもう慣れた。光の粒は俺の体を包み、光る。
『伝え忘れていたが、あと数回で君の寿命は尽きるよ。まあ、言われなくても君なら逆算してるか。じゃ、頑張ってね』
返事をする間もなく、時は戻っていた。
奴の言う通り俺の寿命は今回のを含めて残り二回の時渡りをした時点で尽きるだろう。
奴は決して嘘を言わない。まあそんなものを言ったところで意味もないが、その点でいうと唯一信頼できる。そして奴の言っていた真理は俺の中で確信から決定事項へと変わった。
今までその真理を否定するために時渡りを繰り返していたというのに。
「はじめまして、それは桜という名前の木だよ」
俺が声をかけると、桜の下で笑っていた彼は驚いたように此方を向いてきた。そして顔を赤く染める。
「え、えっと…」
「あぁ、怖がらせてごめんね。俺の名前はランス・ド・ヴェルジー」
「ヴェルジーって…」
「ただの公爵家さ。そんなことより君の名前はなんていうの?」
何度も紡いだ言葉は驚くほどするすると口から出てくる。それでも毎度違った反応や動きを見せてくれるエルにはいつも胸を躍らされる。時を戻すたびにエルの初めて俺の見る顔は赤くなっていく。ありえない話だが、もしかすると以前までのエルの何かが引き継がれているのだろうか。エルも抵抗しようとしてくれているのだろうか。
今まで幾度となく時渡りをしてきただけに、エルの死因は一度も同じものが行われたことはない。
それだけに対策が難しい。やはり、俺とエルは…
「ランス!もう、ランスってば!!」
「ん、ごめん。考え事をしていたんだ」
「最近よくぼーっとすること多いな。俺に手伝えることがあったら何でも言えよ」
エルは心配そうに眉を下げる。
その表情を、君のすべてを手に入れたいと言ったら君はどんな顔をするんだろうか。
「心配かけてごめん。大丈夫だよ。……エルに会わせたい人がいるんだ」
「会わせたい人?誰?」
「俺の幼なじみ兼護衛役の男で、まっすぐな人間だ」
「ふーん、なんでまたそんな人と?別に知り合う必要ないと思うけどな」
エルは不思議そうに首をかしげる。
俺の最も信頼する男、リュカ。彼とエルは一度目、つまり時渡りをしたことがない次元でしか会ったことがない。俺がふたりを会わせないように仕組んでおいたからだ。
「いいやつだよ。君とも相性がいいと思う」
「へー、俺はランスとふたりだけで十分だけど」
エルは少し顔を赤らめた。
俺は抱きしめたい衝動を抑えながら、ひどく鳴る自分の心臓を抑えた。
エルを初めて見たリュカは最初と同様の反応をした。いや、それ以上にひどかったかもしれない。彼はエルを一目見て湯気が出るほど顔を赤くし、躊躇いもなく抱きしめた。エルは急いで逃れようとするが、力を込めているのか剥がせないでいる。
「ちょ、なに!?この人、!…離れ、ろ!」
「もう少し、このままでいさせてくれないか」
リュカは海色のその瞳でまっすぐエルを貫いた。リュカの瞳にはもう、エルしか映っていなかった。
漸くリュカの手から逃れたエルは急いで俺の後ろに隠れる。頼りにしてくれて嬉しいと、この期に及んで思ってしまう自分に苛立ちを覚える。
「エル、リュカはいいやつだ」
「ランスが言うならそうかもしれないけど、初対面で抱き着いてくるような人信用できない!」
俺は時渡りの前に、エルを落ち着かせるためといっても抱きしめたことを思い出して苦笑してしまう。
「だってさ、リュカ」
「体が勝手に動いたんだ」
エルは頬をかわいらしく膨らませながら、文句を垂れていた。
それから教会では三人で入り浸るようになった。エルは少し不服そうだ。そんな彼を見てまた、嬉しいと思ってしまう。
「エル、明日はふたりで食事をとらないか?」
「え?なんで?」
「いやか?」
「別に嫌ってわけじゃないけど、ランスがいるほうが何倍も楽しいじゃん」
エルは純粋な顔をする。その表情にリュカが寂しそうにしているように感じた。
「エル、実は明日祖父の命日でね。俺は学校に来ないんだよ」
「そうだったのか!なら最初からそう言えばいいのに」
エルが不思議そうにリュカを見るが、彼は複雑そうな顔をして目をそらした。
明日が祖父の命日だということはリュカは知っていた。最初から二人きりで昼食をとることは確定したのだが、エルの気持ちを知りたくてこのような言い方になってしまったのだろう。気持ちはよくわかる。
「そういうことだから、明日は仲良くね」
「わかってるって。…それより、大丈夫か?」
「ん?なにが?」
エルは心配そうに此方を伺ってくる。
そういえば祖父の命日までエルは生きたことがなかったから、ある意味ここまでこれたのは奇跡かもしれない。
「なんだか、…いや、なんでもないよ」
川のせせらぎが聞こえ、木々がざわつく山の中。ぽつんとひとつだけ石造りの墓がある。石には何の文字も彫られてはいないが、白の亜麻布の端切れが巻き付いていた。
祖父が亡くなって初めて迎える命日は、なんだか亡くなったことが遠い昔のように感じた。それは時渡りが原因でもあるが。
俺は墓の前で腰を下ろして、手を合わせる。
「祖父君。私にはずっと貴方が言う愛という言葉が理解できませんでした。愛よりももっと大事なものがあるだろうと信じて疑いませんでした」
秋の冷たい風が俺の頬を撫で、冷え切った手を包むように上空へと上がっていく。
「愛のために死んでいった貴方を理解できませんでした。でも、俺にも愛する人ができたのです。自分よりも、家族よりも大事な愛する人が」
俺は今まで見てきたエルの表情が頭に流れてきて、思わず頬を緩める。
「彼の笑った顔が大好きで、いつまでも見たいと思ってしまう。貴方の気持ちがようやくわかりました。俺は、貴方の死に泣けないような腐った人間だ。エルが死んだときも涙は落ちなかった。だから、時を渡り未来を変える俺を許さないでくれますか?罪を背負って生きろと言ってくれますか?」
もちろん返事はなく、ただただ秋風に揺らされる枯葉が転がる音しか聞こえない。
俺は立ち上がり、墓を後にした。もう二度と来ることはないだろう、もう二度と会えないだろう祖父に別れを告げた。
「ランス!今帰ってきたのか?」
寮に戻るころにはすっかり夜は更けており、空には星が散りばめられていた。
それなのにエルは俺の帰りに気づいて出てきてくれた。
「エル、こんな夜更けに外に出るなんて危ないだろう。体も冷えている。さ、中に入ろう」
俺はエルの肩を抱いて寮に入った。どうしても今、エルに触れていないと自分が崩れそうだった。
エルを俺の部屋に招いて、燭台に灯りをともし彼をベッドに座らせる。
「あのさ、やっぱり何かあった?」
「なにが?」
「昨日の様子も変で、心配で迎えに行こうと思ったんだけど…」
「変って?」
「なんだか今にも泣きそうな顔してるから」
エルに言われて俺は急に目頭が熱くなった。俺は誤魔化すように窓の外を見る。
「いや、なんでもないよ。エルの気のせいだ」
「そんなわけないだろ!どれだけ一緒にいたと思ってるんだ」
「たかだか半年だろう?」
「それは、そうだけど…どれだけお前を隣で見てきたと思ってるんだ、」
エルは立ち上がり、俺の背中に抱き着く。じんわりと彼の温もりが伝わってくる。
「俺は何も聞かない、何も詮索しない!だから、だから俺の前だけでは偽らないでくれ」
「…それを、君が言うんだね」
「へ…、」
俺はエルの顎を持ち上げてその瞼にキスを落とした。彼はくすぐったそうにしながら顔を赤らめる。
「俺はね、大好きな祖父の死に泣けないような冷たい人間だったんだ。いや、祖父だけじゃない。愛する君の死を見ても涙は零れなかった」
エルにとって俺の言っていることはまるで理解できないだろう。それよりも頭のおかしい奴なんて思われてるかもしれない。それでもエルは静かに聞いてくれた。
「俺は腐った人間なんだ。君に俺以外と愛し合ってほしくなくて、リュカとも引き合わせないようにして、俺だけを見てほしくて、、本当に卑怯な人間なんだ」
自分でも何を言っているのかわからなかった。それでも言葉は次々と零れ落ちてきた。
「エル、本当は君を誰にも渡したくない。君と俺が結ばれないのは真理だって?そんなのくそくらえだ。君のいない人生なんて耐えられないし、君がほかのだれかと結ばれるなんてもっと耐えられない、」
「俺もお前がいない未来なんていらない」
エルは俺が言うことに真正面からぶつかってくれた。
「エル、ずっと好きだった。これからも、この先も君だけが好きだ」
「俺も、何があっても何度繰り返されてもランスだけを愛してるよ。それに、君は優しい人間だ。俺を助けるために時を渡ってくれたんだろ?卑怯でも腐敗してなんかもない、君は魅力あふれる素敵な人間だ」
エルは俺を優しく抱きしめてくれた。その優しさが何よりも暖かくて、心に染み渡る。
その時、俺の頬に一筋の涙が落ちた。
「…祖父は、愛のために死んだんだ」
「愛のため?」
「あぁ、祖父にはずっと愛する人がいて、奴と祖父が結ばれることは許されないことだった」
俺の紡ぐ言葉にエルは静かに聞いてくれる。エルの腕の中ですっかり安心してしまった俺は、ずっと聞いてほしかった話をエルにゆっくり続けた。
「祖父君は奴と結ばれるために死んだんだ。その人は鬼神と呼ばれる神で、俺は奴が嫌いだった。初めて奴と会ったのは祖父君の紹介からだったが、奴は俺から祖父君をとるように彼の腰を抱いて、笑ったんだ。まるで祖父君をとられたような気がして、いや、最初から祖父君は奴のものだったんだけど、まあ、それでね。祖父君が奴と愛し合うことは許されないことで、それを知っていながらも祖父君は奴と結ばれて命を落としたんだ」
この世界の創造主である神は厳格な性質をしている。神は世界の理から外れることを許さない。だから祖父君の命を奪っていった。
「…そっか、なんだか嫌な話だね。ただ愛するもの同士が惹かれあっただけなのに、運命なんて適当な言葉で片づけられたみたいだ」
エルは悲しそうに笑う。しかし、その表情は今まで見たどんなものよりも綺麗だった。
エルは俺の欲しい言葉を無意識に、いつもくれる。俺の双眸から涙が溢れて止まらない。エルはそれを優しく服の袖で拭った。
「俺を守ってくれてありがとう、ずっとそばで見守ってくれてありがとう。俺を愛してくれてありがとう、愛させてくれてありがとう。ふたりの未来を見つけようと藻掻いてくれてありがとう」
エルは返すように俺の瞼に優しく口づけをする。
「俺もランスのおじい様と同じ気持ちだ。ランスがいれば他に何もいらないんだ。もうひとりで抱え込まないでくれ。時渡りなんてしなくていい。俺だってお前がほかの人と結ばれるのなんて嫌だ!」
エルは赤い瞳に涙を溜めて、唇を重ねた。優しく甘いキスだった。
名残惜しむように離れた唇は赤く熟れている。エルはその細い指を俺の指と絡め、ぎゅっと結んだ。
「生涯、ランスだけを愛してる」
「俺も、君だけを、」
そうして俺たちは深く互いを愛し合った。彼の白い肌と重なった今、漸くエルと繋がれた気がした。
隣で寝息を立てながら寝ている彼を見ながら、俺はどうしようもない感情が溢れてくるのを感じた。
「俺は傲慢な人間だ。君の亡骸と同じくらい、君が俺以外の誰かと共にいるところを見たくない。君が幸せにならない未来を願う俺が、幸せになんてなれるはずがなかった」
本当はとっくの昔に気づいていた。君が俺と結ばれると、君は死んでしまうと。俺たちは結ばれてはいけないのだと。
でも君には俺の隣だけで笑ってほしかったんだ。未来を変えたかったんだ。
「それでも、君に生きていてほしいと思う俺は、やっぱり傲慢だ」
代償の寿命はもう尽きてしまう。これで彼に会えるのは最後かもしれない。
さて、今度こそエルが幸せになる未来へ進もう。
君に春が訪れるように。
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