「ちはる」

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「ちはる」

「選ばれし力を持ち、この場まで来てくださった勇敢なる心も持つお方。まずは貴方のお名前を伺っても良いですか?」 横に居る男性が、書類をタヌの前、カウンターの中央に置く。 すると、固定されていた画面が動く様になった。 この手のゲームで定番の、名前の入力画面はまだ表示されていない。 だが、その代わり、カウンターの上の書類に、白い縁のあるの大きな水色の矢印が点滅していた。 ――自分でここまで歩けって事か。 足元を確認する為に下を見れば、自分の手があった。 日常で身体を動かすように、手を握っては開く。 コントローラーも持っていないというのに、身体が動くのが不思議だった。 このゲームでは専用の機器で脳の電気信号を利用する事で、実際に体験しているかのようにゲームを楽しむ事が出来るのだ。 ――まずは『この世界で動く』事に慣れれば良いんだな。 顔をあげて、まずは見え方を確認する為に自分の意志で左右を見渡せば、思っていたよりもここが広い場所である事が分かる。 ゲーム実況で何度か見たゲートで転移する事の出来るポートへと繋がる扉が見えて、そちらに踏み出そうとする。 目の前に大きな赤色の半透明の×印が現れ、透明な壁が阻むように進むことが出来なくなる。 「興味を持つお気持ちはわかりますが、まずは登録を済ませてください」 タヌの声が聞こえたので正面を見れば、眉毛を大きく下げて困ったように揺れていた。 当然だよな、と思いながらゲームの意図通りに動く。 すると書類の名前を書く欄と同じデザインのポップアップ画面が開き、ペンが画面の上に現れ、名前を書くよう求められる。 最近使っているHN自体はあるのだが、いつも他のゲームでプレイしている面々は随分前にプレイを開始していた。 間違いなく面白がられるし、始めた事を言えば検索される。 今回はどんな名前にしようか、と考えてみても浮かぶほど自分に創作性はない。 だからといって、元の名前そのままではまずい。 知尋は、先日読んだ漫画のヒロインの名前を名乗る事にした。 ペンを手に取り、すらすらとあまりきれいではない字を知尋は書いた。 ――「ちはる」 検索されても同名のプレイヤーが沢山引っかかるであろうひらがな三文字。 これなら例え名乗ったとしても、他のゲームで遊ぶ連中にもそう簡単には見つかりづらいと思ったからだった。 「書き損じはしてませんか?」 画面の上にペンを置くと、タヌがそう聞いてきた。 普通ならここで「はい」か「いいえ」を選ぶボタンが表示される。 だが、そんなものはしばらく待ってみても一向に出てこなかった。 その代わりに、画面の右下、赤色のスピーカーマークが点滅していた。 「あっ、そうか」 知尋が小さな声で呟くと、タヌが困ったように、申し訳なさそうにこういった。 「上手く聞き取れませんでした。もう一度言っていただけませんか」 ゲームの意図を理解して、息をすぅっ……と吸い込み、今度はハッキリと返事をした。 「はい」 一拍の間が空いた後、ポップアップ画面が閉じられ、タヌがにこにことしていた。 「お名前を登録しました。これからよろしくお願いしますね、『ちはる』さん」 名前の登録が完了すると、今度は左側にある鏡の前に立つように促されるが、覗き込んだ鏡の中には何も映し出されていなかった。 書類の時と同じように近づくと、ポップアップ画面が表示され、先程まで見ていた姿見が右側、左側にパーツの選択メニュー、その間に最初は素体が表示されていたおり、タヌからの指示が出る。 「ブレイズシフターは、様々な場所で活動を行う必要がある為、聖なる力で外見を変更する事が出来ます。服装はメニュー画面でいつでも変更する事ができますが、その他の部分は共用スペースではここのみ。それからギルドに所属するとご用意されるご自身専用のお部屋の鏡でしか変更できませんので、ご注意ください」 折角なら、全く違う姿でプレイをしたい。 そう知尋が考えていると、画面内下に注意事項が読みやすい大きさで表示されていた。 ≪! ゲームの性質上、ご自身の体型からかけ離れた体型でのプレイは難易度が増す場合がございます。ご了承の上、キャラメイクをお願いいたします≫ 自分自身の感覚で身体を操るのだ、当然とも言える注意事項が常に表示され続けていた。 場所が限られているが、服以外の変更は課金要素ではない事を、知尋は確認していた。 どうしても合わなければ変更すればいい、そう思い女性の素体を選んだ。 すると、急に胸が膨らんで身体が縮むような感覚に襲われた。 「う、うわ……!」 ビックリして思わず声がでる。 現実世界の知尋は、がっしりとした体形で短髪、鍛えてはいないが背も高く、今選んだのとはかけ離れた体型をしていたためだった。 ぴっちりとした上下動かしやすい運動用の簡易的な服を着た坊主頭の女性が、今の知尋だった。 「すご……ほ、ほんとに体感できるんだ?」 そういうと、鏡の横に表示されているいくつかのバーを弄って、体型を調整していくようだった。 「バスト」と書かれた横にある部分を選んで一番右まで動かせば、大きくなるのと同時に重みが肩にかかっていく。 「う、こ、これでプレイするのは流石に無理だな」 たゆん、と大きく揺れた胸の重みが耐え切れず、右側にずらしていく。 最初の素体より少し大きめにする事にした。 筋肉質かどうかを選ぶ項目もあり一度チェックを入れてみると、引き締まった身体になった。 これなら一番右にしてもそこまで大きくないのかもしれない。 この筋肉ムキムキの女性の身体でも面白いとは思ったのだが、知尋はこのゲームでは選ばない事にした。 体型の太さ、身長、足の長さ、腕の長さもバーが表示されていたが、想像していた体型に近かったため、ここはそのままにした。 次は髪型の項目を指でタップすると白髪のロングが表示され、髪が頬を撫で、腰に当たる。 それはそれで好みではあったのだが、淡い色合いの黄色の、ウェーブがかかったふわふわとしたロングへと変える。 「こ、これ、俺なんだよな……」 自分自身に少し赤面しながら、次は顔を選ぶ。 現状表示されている元気そうな釣り目ではなく、目元が少しだけ垂れた可愛い瞳に変更する。 眉毛は細め、口はぷっくりとして、鼻は高くも低くもないが、大きすぎない物を選んだ。 目の色はべっこう飴のような濃くて明るい、透き通った黄色にした。 次に「声」という項目もあったので選択して表示し、「再生」ボタンを押してみる。 再生ボタンを押すたびに、同じ声で違うボイスが再生される。 いくつかを聞いてみて、知尋は少し高めで内気な雰囲気の、透き通った女性の声を選んだ。 「これでいいのかな……わっ」 ぽつり、と呟けば自分の声がその声に切り替わっていた。 今鏡の前に立っている人物は、これで声を含めてどこからどう見ても知尋である事は分からない姿になっていた。 「……すごいなこのゲーム……」 確かに自分の口から、この声が発せられているのだが、違和感がスゴイ。 仮想空間とはいえ、全くの別人になり体験する事が出来る事を改めて実感した。 そしてここから、知尋がこっそり楽しみにしていた部分だ。 服、の項目を選べば、コーディネイトの揃えられたセット服が沢山表示されていた。 「わ~……一杯ある……」 色んな育成系アプリでキャラクターの着せ替えも楽しんでいた知尋は、自分でそれを楽しんでみたいと以前から考えていた。 全ての感覚がリアルに迫ってくるこのゲームでなら、現実では勇気がない……というよりも、知尋自身が着こなす事は出来ない、似合わないと本人が思っている服も気兼ねなく楽しむ事が出来る。 以前から一度着てみたいと思っていた、淡いピンク色メインのロリータセットを選んで身に着ける。 「!?」 すると、胸がキュッ、と上にあげられる感じがして驚く。 先程までは調整している最中の体型が分かるようにする為、ブラをしていないのに近い状態だったのが、しっかりと持ち上げられた。 慣れない感覚に息を吐き、落ちついて鏡を見ると、そこには全身にフリルとレースをふんだんにあしらったロリータ衣装を身に着けた可愛らしい人形のような自分がいた。 「わぁ……!」 可愛さには満足したのだが、果たしてこれで本当に戦えるのか、という一抹の不安が残る。 身体を軽くその場で動かしてみると、非常に軽い上に、キュッと絞られた袖の手首や肘が、曲げても服が突っ張らない。 きっちりと考えて造られている事に感動しながら知尋はこの衣装にする事にした。 「その見た目でよろしいですか?」 同じ衣装のまま鏡の前で待っているとタヌが確認をしてきたので、どもらないように気を付けてはい、と可愛くなった返事をした。 ポップアップ画面が閉じると、鏡の前には自ら選んだ姿の「ちはる」がそこに立っていた。 「それではちはるさん、まずはこのクエストをクリアしてみてください」 先程名前を書いた紙が置いてあった場所に、項目がいくつか書かれた用紙が置かれていた。 「これをクリアすれば、ブレイズシフターとして活動していく許可を与える事が出来ます、頑張ってください」 そろそろ慣れた足取りでカウンターまで向かって受け取ると、タヌと両脇の男女は笑顔で「ちはる」に一礼した。 どうやら会話は終わったらしく、カウンターから離れるとそれぞれに分かれ、仕事を始めていた。 ちはるは受け取ったばかりの紙の内容を読むことにした。
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