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俺はバカだった。とてつもなくバカだった。信じられないくらいバカな高校生だった。出来ないことはないって本気で信じていた。
なんだか俺を気に入らないとか何とかで、ぶん殴ってきた先輩がいたので、逆にぶん殴り返した。そして次々とそんなヤツが出てきたので、その度に返り討ちにして、一番偉そうな上級生をぶん殴ってやった。そしたら、そいつらが学校の前に並んで「ちわっす、おツカれサマです!」とかやるんだから困ってしまってもうやめろ、と言った。
部活は全部入って気が向いたら出て、気が向かなかったら昼寝していた。野球部の試合ではよくホームランを打った。でも監督が煩いんであまりいかなくなった。サッカーも似たようなものだった。勉強は一切しなかったけれど、たまに面白くなって徹夜でやると学年何位とかになった。だが、それも興味がなかった。授業中はたっぷり睡眠をとった。
女には一切不自由しなかった。若い女教師と付き合ったのをはじめに、面白いように女たちは寄ってきた。いいな、と思った女に声をかければモノに出来ないことなんかなかった。先輩、同学年は無論、街の女子大生とかOLとか次々と手当たり次第だった。よく彼女の家から通学した。
しかし、何をしてもなんだか今ひとつのような気がした。なんというか空のポリバケツというか、ドーナツの輪っかの真中というか、そういう感じがしてならなかった。
ある日のことだった。放課後、何気なしに校舎をふらついていたら、美術教室の次の美術準備室、その隣にプレートのかかっていない部屋を見つけた。
ガラリと開けるとオレンジ色の静かな光の中、なにかいた。奇妙な生き物たち。とっくの昔にこの世からいなくなった偉大なヤツら。子供が憧れないことのないヤツら。恐竜たちだった。だがそれは絵だった。ただの絵に過ぎなかったが大迫力でオレに迫ってきた。首の長いヤツ、角の生えたヤツ、口に歯だらけのやたらに強いヤツ、背中に棘だらけのヤツ、空を飛ぶヤツ。
「だ……れ」小さな声がした。俺は我にかえった。恐竜の絵に見とれていて気付かなかった、世にも奇妙な女の子だった。青白くって細くて、骨と皮だけだった。目ばかりギョロギョロと光らせていた。思わず笑ってしまった。
「誰? 美術部……の人?」
なんかワンテンポ遅れたような受け答えを彼女はした。
「いんや、単なる通りすがりだ。何描いてんだ?」
「ケツァルコアトルス・ノルトロピ」
「はぁ」なんだそりゃ、と思ったが画に引き付けられた。翼を広げた恐竜がいた。全体は青みがかっていて、翼はオレンジっぽかった。まるで生きているかのようだった。しばらく無言だった。
「すごいな」
「一番……大きな翼竜」
自分のことのように得意そうだった。
「どれくらいあるんだ」
「うんと15mは……あるって。高さは6m、キリンくらい……ある」
「はあ、そりゃでけえな。本当にそんなのがいたのか」
「いるよ!」
妙に真剣な顔をする。
「こんなのどうやって飛んだんだろうな」
「考えてみて」
「うーん、木に登った……あ、そんな高い木はねえか。崖から飛び降りたんじゃねえのかな」
「うん、半分正解。たしかに最初の……翼竜はそうやって飛んでいた。でも……ケツァルコアトルスは上腕部の骨と筋肉、そして後脚も発達していた……四本の脚で空中にジャンプして飛び上がる。ロケットみたいに。そして翼を広げて飛ぶの」
「はーん、すごいんだな」
そいつは、いろいろと恐竜の話をしてくれた。
「名前、なんていうんだ」
「くろき、はくあ」
彼女はスケッチブックに「黒輝白亜」と名前を書いた。
「あ……なたの名前は」
「リュウバ」
「こういう字だ」
「新谷龍羽」と描く。子供がバカなら親もバカでDQNネームなんかをつけるから苦労するよ、全く。オレが喧嘩が強くなったのもこの名前をからかわれたせいだ。
「すごい、羽毛恐竜だ」
「ウモウ恐竜?」
「羽毛」
白亜は目を輝かせた。
「恐竜は鳥の仲間で鳥みたいに……羽毛があったの」
「ふーん」
オレは一つの画をみつけた。小さな翼を持つ目ばかり大きい痩せっぽちの小さな翼竜。
「これ、お前に似ているな」
「プテロダクス。うん、私」
白亜は静かに笑った。
オレは、なんとなく美術部に入り浸るようになった。
「恐竜っていつごろいたんだ?」
「んー、そう、ジュラ期はだいたい2億1300万年前、白亜紀は1億4400万年前、絶滅したのが6500万年前」
「そりゃ随分、昔だな」
億とか千万とか金にしたらエライ金額にならねえか?
「そうでもない。少し昔で今と変わらない」
白亜はケロッとしていた。
「私の時代だから。名前、白亜」
白亜ともう一回、紙に描く。
「ああ、そうなのか」
なんとなく納得してオレは鼻を啜った。
「オルニトレステス、ディプロドクス、ディノケイルス、セラトサウルス、セイスモサウルス……」
舌を噛むような恐竜の種類を覚えさせられた。あとなんつうか恐竜の分類とかそんなのを。「プテラノドンとか、ランフォリンクスとか、あと海のエラスモサウルスとかは……厳密に言うと恐竜じゃないの」
「へぇー」
「分類学上では違う。海生爬虫類、翼竜は翼竜目、嘴口竜亜目とか翼手竜亜目とかある」
難しそうな恐竜の本から絵本まで開いていろいろと解説してくれた。ふと白亜は呟いた。「恐竜は本当はまだ生きている」
「知っているぜ。あれか、あれだろ、ネッシーとかだろ」
「ちがくて、世界は、たくさん薄い層が連なっていて別の層ではまだ生きているから。私は見えるんだ。誰も信じないけど」
「その見たヤツを描いているのか」
白亜は初めて驚いた顔をした。「信じる?」「そうじゃなきゃ、こんなに上手く描ないよな」そう、白亜の描く恐竜は、実は恐竜の本を見て描いたとは思えないのだった。根元から違うのだ。普通、こういう本を見て描くんだろうが、白亜はそんなことはなかった。本はオレに解説するために使っているだけだった。窓の外を見る。
「今日はいないな……」部活の喧騒だけが響く。
「校庭にもいるのか」
「たまに……」
どうしても白亜の言うことは嘘だと思えなかった。空を見上げる。
「いつもいるのは翼竜。翼竜はね、まだ……生きているの。空の上の方にまだ飛んでいるの」
呟く。そして俯いた。
「私、絶滅する」
白亜は少しどころか、かなり変なヤツとして知られていた。
で、そういうのは必ずいじめの対象になる。なんかクラスで人気のある女が話をして盛り上がっているとき、窓からティタノサウルスが覘いている、とか言った。それでバカ女どもに目をつけられて画材を捨てられたりしたらしい。
モトカノの一人が御注進にきてやっと俺も気づいた。バカだな、俺が白亜を守ってやらなきゃあいけないのに。
いじめ、カッコ悪いとバカな言葉を呟いてみた。
そして白亜の教室に直行した。男ならぶん殴るだけだが、女はそうもいかない。女を殴ることはやっぱりマズイと思う。
ガラっとドアを開けて、机から教科書を落とされていた白亜の前に立ちふさがった。女はキイキイ言っているが話は聞かない。「あーあ、教室の真ん中にでっかいゴミがあるぜ」と言って、ちゃんと下を確認した上でそいつの机を全部校庭に投げてやった。
ちなみに俺は覚えていなかったがそいつは俺のモトカノの1人だった。
すごい顔をしたけどもう関係ない。白亜は学校中で一番いかれたヤツの女ということになってしまい、それ以後、何を言ってもやっても手を出されなかった。
夏休みは二人一緒にいた。
白亜はだいたい美術部で絵を描いていた。
俺はその横にそれこそ犬みたいに座っていた。恐竜の絵はどんどん増えて、美術室はジュラ紀、白亜紀のようになっていった。
ある日、本物の化石をたくさん集めた恐竜展にいった。白亜はすごくすごくよろこんだ。俺もうれしくってしかたなかった。朝早くいって閉館までいた。4回もいった。
展覧会の説明をしている博士と白亜はしゃべっていた。オレの悪い頭だと難しいことをしゃべる人間はとりあえず全部博士だった。あんまりすごい質問ばかりするのでに博士たちは驚いていた。今度、大学に遊びにきなさい、なんて言われていて、やっぱり白亜はすごい、とオレまで鼻高々だった。
「お前、恐竜を掘りに行けば」
「うん」
「よーし、じゃ、来年はアメリカに行こう。カンザスってところに翼竜が出るんだろ」
バイトして金貯めてアメリカにいけばいい。オレはバカなので何でも簡単に考える。
「白亜、あの人みたいな恐竜の博士になれよ。お前ならなれるさ」
「きっと……駄目だよ。絶滅するから」
オレたちは免許とりたてのバイクで風をきって走った。白亜はバイクに小さく翼竜の絵を描いてくれた。あまり飛べない小さな翼竜、白亜そっくりの翼竜の絵だった。バイクで二人、地面を翔んだ。海の見える岬にいった。
「ほら、龍羽、今日はたくさん翼竜が……いる。 あと、プレシオサウルスも。あそこにアーケロンがいるよ」
オレは白亜と一緒にいるだけで本当にうれしくてしかたなかった。せっかく招かれたんだから、ってことで大学にもいって博士たちと話をした。みんな白亜に舌を巻いた。
泊り込んで大学の恐竜を研究する学生と美術部と一緒に小学校の壁に大きな恐竜の壁画を描いた。
白亜がまるで隊長のようにあれこれ指図していた。
みな、ニコニコしながら白亜の考えた画を思い切り描いた。
白亜紀の画。まさに白亜の画だった。ばかでかい画。二学期にガキ共は目をむくだろう。
「君、うちの大学に是非いらっしゃい。なんなら君の学校に推薦するよう言ってあげるから」
博士たちは白亜を気に入ったようだった。
でも、白亜は小さく首を振って「絶滅」と呟くのだった。
オレはそんな白亜は見たくなかった。それからまた色々なところに出かけた。山にも森にもいった。「あ、アンタークトサウルス」ものすごいでかい小山のような恐竜が目の前を通ったという。目をぱちくりさせていた。
あんまり熱い日は図書館でディスカバリーチャンネルとかの恐竜のDVDをたくさん観た。オレも子供の頃見たジュラシックパークを観た。
「恐竜、飼いたいか?」
「飼わない。飼いたくない。もし、龍羽が恐竜……見つけても、そのままにしておいてあげて」
「わあった。そうするよ」
本当に楽しい毎日だった。
白亜との時間が一番大事になった。女どもはどうでもよくなった。白亜に夢中だった。でも、白亜がオレの彼女だったとはいえない。抱くことはおろか、キスさえしなかった。そんなバカなことをしようものなら、あっという間に白亜は消えてしまうだろう。でもいえるのはオレが生まれた初めて本当に出会った友達だということだった。もちろん、オレにだってバカ騒ぎしたり、話をしたりする程度の友達、友達と呼べるならば……はいた。だけど、白亜は格というか次元が違った。同じ世界に二人だけでいるような気がした。
夏休みの最後の日。いつものように美術室で画を描いていた白亜は急に倒れた。オレにどうしようもならないことがあるって、はじめて知った。
そして知りたくも無いあの言葉の意味も。白亜が呟く絶滅の意味を。
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