ケツァルコアトルス・ノルトロピ

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 二学期に入ると白亜は無口になっていった。少しずつ苦しそうな咳が増え、ぼうっとしている時間が増えた。  大好きな恐竜の絵も描かなくなっていった。  ただ静かになっていった。 「今日は描かないのか」 「はっきり……みえるから。もう描く必要、ないから」  最初は白亜を子供だと思っていた。  でも哀しいことに白亜は会うごとに大人になっていった。  オレなんかどんどん追い越していく。ただ年食ったっていうだけの老人じゃない、年を重ねた者だけが持つあの侵しがたい威厳を持つようになっていった。  すべてが遠い遠い昔の日へと流れていく。絶滅が近づいていた。別れの時が近づいていた。秋の葉が音もなく色付きはじめる時、白亜はもう学校にもこれなくなった。  ある日、黒いリムジンが学校の前に止まった。どこからどうみても執事という老人が降りてきた。校庭の隅でぼんやりとしていたオレに声をかけた。 「新谷龍羽様ですな」 オレは白亜の家に連れて行かれた。 バカでかい屋敷。城のようだった。正に豪華絢爛だった。だけれども既に幽霊屋敷のような感じだった。そう、幼稚園児の頃、入場券が当たって連れて行ってもらったディズニーランドのホーンテッドマンションのようだった。誰もいない屋敷。両親や姉妹はバラバラに住んでいて白亜の顔すらみにこない、完全にガン無視だった。  白亜の広い部屋には自分の描いた恐竜、特に翼竜の絵や模型、化石のレプリカがたくさん飾ってあった。ベッドの中の白亜は一回り小さくなっていた。オレは胸がつまった。何トンもの石に何千万年も押しつぶされていた化石の気持ちがわかるようだった。オレは退化した翼竜の前脚のような小さな手を握った。 「はっ……きり、もっと、見えるように……なった」  最早、この世の者ではない静かな笑みを浮かべる白亜。 「空を……飛んでみたいな。きっと龍羽……にもみえるよ。みせてあげたい……な」慈悲深い目だった。泣くのをこらえるのがやっとだった。 執事さんのリムジンに乗って学校まで帰った。 「私も手を尽くしましたが駄目です。お嬢様の病は数百万人に1人という病です。脳からはじまって全身が骨化するのです」  化石、絶滅。そんな言葉がぐるぐる回った。 「くそったれ」と叫んで椅子を蹴りつけた。 「なんとかしてやれよ。あんな大金持ちなんだから。あと、親だよ。親、なんでなんにもしねーんだよ!」 「そういう家なのです。黒輝の家は」  どんな家だ。オレがガキの頃、高熱を出したことがある。お袋は一晩中側にいたし、親父は親戚で唯一の出世頭、医者の叔父さんを深夜自転車で走って連れてきた。タクシー代もでないほど金がなかった時期だったという。ともかくも必死になってくれた。 「執事の私がいうのはルール違反ですが黒輝家ももう長くはありません。社交界では知れ渡っています。絶滅間近なのです」  オレは敗残兵のようにボタボタと家に帰った。  オレは負け犬だった。あんなに美しい、滅びいく気高い生き物をこの世にとどめる力さえない無力なガキだった。そして白亜はそれを知って俺を……哀れんだのだった。オレは生まれてはじめて涙を流した。  時計は7時を指していた。俺はピンときた。飛んでみたい、と言ったことを思い出した。俺はグライダーを作ろうと思った。  やると決めたらそれしかみないでやる。そして大声で触れ回る。オレもバカだけどきっと他にもバカがいる。それを信じてみる。オレ1人では手に余るということはさすがにバカなオレでもわかった。  声をかけたら思いの他、いろんなヤツらが手伝ってくれた  コンピューター部は一緒に設計してくれた。強度計算とかたいへんだったがやってのけた。金はカンパとバイトだ。  模型部は製作を手伝ってくれた。グライダーのヒントは白亜が教えてくれたことだった。  『翼竜はね、最初は……バランスをとるために……尻尾があった。でもだんだん退化した。そして四脚で素早く地上を歩けるようになった。地上で……安定を保てることが空への進出に……役に立つ。バランスは頭のトサカで、とるようになったの』 『飛行機を作る人たちが計算したらケツァルコアトルスは飛べない……って言ったの。でも……飛べた。骨が軽かったの。中は空洞の構造で……肺と繋がっていた。空気を送り込んでいたの。それで軽いから飛べた。地球を半周……できるくらい、どこまでも』 そう、地上での安定が重要、肉抜きして軽量化するだとか、そういういろいろなヒントがあった。  文化祭の実行委員は泊り込みを見てみぬふりしてくれた。  生徒会長……モトカノの1人で一番頭のいいヤツは裏山から校庭に飛ぶことを黙認してくれた。けっこう美人だったんだな、お前、と言うと、あなたはついに真剣になったようね、かけがえの無い誰かに、と一言だけ悲しそうに言った。  ついにグライダーは完成した。  オレは何の得にもならない、それどころか教師に睨まれ、内申にひびき、その他もろもろの厄介やら損を省みず手伝ってくれた最高のバカどもに心から感謝した。  文化祭の日、オレは執事さんに頼んで白亜を連れてきてもらった。もうまともに立つことさえできなくなっていた。目だけが澄んだ本当に澄み切ったガラス玉のようになってこの世じゃない世界を見ていた。別の時代を。白亜を赤ん坊のようにオレの背中にくくりつける。 完成したバカでかいグライダーは、飛ぶのを待っていた。ちょっとショボイが紛れもないケツァルコアトルスだった。 一緒に作ったヤツらが見守る中、グライダーは急勾配を駆け下る。すさまじい速度だった。本当に計ればそんなことはないんだろうが、バイクでぶっ飛ばした時より早く感じられた。やばい、このままだとぶつかる。地球から落ちる。 そのとき、何か別の種類の空気に支えられるように浮いた。そのまま空気に乗って空へと舞い上がる。 「やった飛んだぞ! 見てるか、おい、白亜!」  最後の力で、二人で飛ぶ。 「白亜!」 「リュウ……羽……下」 「え……」  オレは目を見張った。見えるはず街や校庭は見えなかった。そう、眼下にはフカフカの苔のような黄緑色の草地が広がっていた。遠くには赤茶けたチョコレートのような山岳が聳えている。青緑色の大きな河がうねっている。  草地にはアパトサウルスの群がいた。側でアンキロサウスが草を食んでいる。マイアサウラが円陣を組んで子育てをしていて、それを狙って草むらにヴェロキラプトルが潜んでいた。河ではトリケラトプスが水を飲んでいた。  白亜の画の中にきてしまった。いや、これが白亜が見ていた本物の白亜紀なのだ。  陽が翳る。 オレは空を仰いだ。ケツァルコアトルスが太陽を背に飛んでいた。全てを翼の下に。遥か地上を睥睨しつつ、悠然と。高く、ただ高く。青みがかった薄い緋色の空を。 「龍羽に……も見えた?」 「ああ、ああ、オレにも見えたよ!」  心の底から笑った。白亜の笑い声と重なる。  白亜紀の空は甘い少し気の抜けた炭酸のような香がした。柔らかい絹のような空気。ここなら白亜は絶滅しない。何時までだって何処までだって好きなだけ飛べる。  二人で白亜紀の空を翔んだ。  不意にグライダーはドンと地上に降りた。  土埃が立つ。  その途端風景はつまらない校庭に変わっていた。  オレは白亜を下ろして抱きかかえた。白亜の目が笑っていた。 「あ、りがとう……龍羽、私と……見てくれて」  唇を動かさずに白亜は確かにそういった。グライダーの飛行がうまくいった、ということだけに興奮している学校の連中の声の方が幻のように聞こえた。  最初の雪が降った時、黒いリムジンから執事さんが降りてきてオレは全てを悟った。いわなくてもわかる。 「お嬢様は天使でいらっしゃいました。この地上に生きているべき方ではなかったのです」 「ちがうね、翼竜だったんだよ」 「ああ、そうでした、おっしゃるとおりです」  執事さんは笑った。いい笑顔だな、いい年寄りだな、とオレは思った。  そう、アイツは白亜紀の空に還っていったのだった。  そして俺は誓った。  この世で最も早く高く飛ぶ生き物になると。7000万年前の白亜にまた会いに行くと。    青の世界。地球の表面を滑り、飛ぶ。見とれつつ計器を確認、クロスチェックする。  まあ、バカだった。死ななきゃなおらんとはいうが、でも少しだけバカが直った気がする。今、オレが駆っているのはあの小さなグライダーでもバイクでもなく、F15J戦闘機だった。  なんでも楽々できると甘く見ていたガキの頃と違って、戦闘機のパイロットになるにゃ、ちっとは苦労したし、さすがに何も考えないで飛び回っているわけにはいかず、オレにも嫁と子供と子供たちが育つこの島を守っていくというそれなりに殊勝な心がけをして生きている。  やっとこさF15Jのパイロットになったとき、先輩たちにTACネームをケツァルコアトルス・ノルトロピにしたいって言ったら、長すぎる、漫画か何かかそれは、ケツかロピにしろって言われたんで結局、ロピにした。  この間の航空祭では無理を言って整備員に超カッコいいケツァルコアトルスの絵を描かせた。航空雑誌にババンと掲載された。娘は嬉しそうに「パパの飛行機、恐竜」と言った。 「ゲンミツに言うとだな、翼竜というんだぜ。ケツァルコアトルス・ノルトロピだ!」とオレは叫んだ。  訓練空域まで飛ぶ。もうすぐ星空な高度12000mの成層圏を飛んでいる。白亜の言ったとおり、そう、きっと7000万年前とかわらない。俺は白亜に言ってやるんだ。  いよお、やっとこさ、ここまできたぜ、お前の言うとおり翼竜は絶滅してないぜって。ケツァルコアトルス・ノルトロピは此処にいるんだって。
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