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二人で年越し蕎麦を食べて、初詣にいった。神社は靖国や明治はおろか町にある神社さえ焼き払うべきだ、と固く信じていたのに。テキ屋の口上に合いの手をいれながら。冷たい一月の空気は去年の解放区の熱気は一欠けらも残っていなかった。学生運動は、もう啓輔にとって他人事に思えた。
ある朝、いつものように水鳥が塒にしている倉庫へと足を運んだ。道端の霜柱がザクザクと踏めるほど凍り生えていた。渡された鍵を使っていつものドアから入る。まさに汗牛充棟、屋根まで積みあがっていた古書は一冊もなかった。全部売ったのかとも思ったが軽トラもない。倉庫の契約会社に電話したら、一週間後できれていた。
古い木の切り株をそのまま転用したテーブル。電話や彼女が使っている注文票などの事務用品。そこに分厚い封筒があった。村田啓輔様、といつも水鳥が注文書や配送の宛名で書いている達筆でしたためられていた。手紙も何もなかった。給料、という形はとらなかったが、金が入るたび、水鳥は明るく「とっとけ、分け前だ!」と必ずいくらかはよこした。涙が滲む。
捨てたのだ。いや売り払ったというべきか。水鳥は50万で自分と手切れにしたのだ。手切れ金は薄汚い中年男が若い情人に払うと相場が決まっている。惨めというのはこういうものだった。一緒に旅をし、恋人、夫婦気取りで有頂天だった。自分は水鳥にとってなんでもなかった。通り過ぎる男の一人。売り買いする一冊の本に過ぎなかった。
天窓から差し込む冬の陽が埃舞う何も無い空間を照らしていた。
神保町の古書店をすみずみまで回ったが、水鳥の姿は無かった。古書店街を行き来し顔なじみになった書痴たちにもたずねたが、その行方は杳としてしれなかった。
一年休学してしまった。なんとか生活を立て直さなければならない。復学の手続きをとり、どうにかこうにか大学に復帰する手筈を整えた。
四畳半の下宿には父親がきていた。いかにも田舎、田舎の地主というようなもさい四角い顔。まさに垢抜けない芋そのものだった。自身がこれの金玉から出てきたかと思うとゲンナリする。
顔に似合わず、社会党支持の進歩派風だった。啓輔の学生運動にさえ理解を示していた。だが啓輔はどうも尊敬できなかった。朝日新聞さえ取り寄せて読んでいれば進歩的文化人だ、とおもいこんでいるように思えた。所詮、田舎の地主だ。一年も休学し怪しげな女と日本中をほっつき歩いているのだ、説教の一つもあるだろう。予想した言葉とは全く違った。
「お前、秋口に実家に帰って来たろう。蔵の中の本はどうした!」
本を焼いていて炎に照らされた顔だった。
「ああ、あのダンボール箱に突っ込んであったのだろう。売ったよ」
「売った!?」
「だって大した価値はないって言っていたじゃないか」
「あ、あれは、兄貴が遺した……」
「だいたい、本は焼いてしまったじゃないか」
「あ、あれは焼いてしかるべき本だ」
父親は狭い四畳半で憤然と立ち上がった。
「本を焼くものは人間を焼くようになるだろうって」
気圧されながらも反論する。
「焼いていい本、焼かなきゃならない人間もいるんだ。父の本だ。軍国主義の本だ。北一輝だとか西田税だとか、右翼の奴らの本だ。父は愚かにも戦争を起こしたあの右翼どもの協力者、いや、ただのファンだった。狂ったように支持していた。本を何冊も買っては配りまくり、奴らに揮毫された本や書を貰っては喜んでいた。大金と引き換えに!」
ほとんど会ったことがなく、亡くなった知らない祖父の一面だった。山の向うまで家の土地だった……そう父親がひとり何度もつぶやいていたことを啓輔は覚えていた。
「だが、あの本は、あれは良一兄貴の本だった。戦死した。兄貴の。あの洋書なんだか知っているのか?!」
あの日記は軍隊でつけていたものだ。啓輔はそう直感した。
「だけど、価値のない本だって」
「そう言わなきゃ、お前とか良三が持ち出すと思ったからだ」
本などあまり読まないはずなのに。戦死した叔父を尊敬していたというのは意外だった。息子もコインと切手収集が趣味の道楽弟も信じない。疑り深く土地にしがみつき、端から誰も信用していない。
「なんの本だったんだ」
「マクシム・ゴーリキーの『どん底』だ! ソ連の作家の初版サイン本だ! それだけじゃない。レーニンやトロツキー、ソ連の幹部たちのサインもある。戦争で死んだ兄貴が命をかけて守った本だ。特高に引っ張られたさる共産党の幹部が持っていた本だ。共産党じゃない兄貴なら大丈夫だろうと託された。買い戻す。金はどこにある!」
尊敬する兄の形見として持っていたのだ。しかも歴史的著名人のサイン本。父親が社会党を支持し、大して分かっているでもないのに左派風なのは、戦死した兄をなぞっていたのだった。水鳥のことは黙っているしかなかった。水鳥が泥棒のように扱われるのは耐えられなかった。水鳥のくれた50万を返す気にはならなかった。
「使っちまった」
「お前は勘当だ! お前なんかより兄貴の本が大事なんだ、俺は!」
大学復学の望みもこうして断たれた。
大学中退が幸いした。現実というものをやっと思い知らされたのだった。水鳥の50万も当座の生活費にはなった。海のものとも山のものともしれず、好事家の玩具だったコンピューター、マイコンの小さな会社に入社した。その日は三島由紀夫が割腹自殺した日だった。
営業だったが、次第に技術面にも興味を持つようになった。コンピューターの仕事は好きだった。データはいくらでもコピーできて誰にでも配布できる。これこそ真の平等のように感じた。
1995年のWINDOWS95バブルの時、思い切って今までつとめていた会社をやめて起業した。コンピューター会社は神保町のすぐ近く秋葉原だ。コンピューターの修理、インターネットを引いたりホームページを作ったりすることから、自社の自作パソコンやゲームの製作までなんでもした。会社は繁盛して人手に渡ったが、引き際もよかったのだろう。
電気街からコンピューター、アニメやゲーム、そして海外観光客の街へ。若者たちがまるで中近東のザナドゥ、蜃気楼の都市のように「アキバ」と呼ぶ秋葉原は自分は止まっていても時間や時代は容赦なく過ぎていくことを思い知らされるかのような街だった。
仕事は引退したし子供も巣立った。妻は習い事に忙しく啓輔は手持ち無沙汰であちこちの町を散歩するのが趣味になった。これが結構面白いのだ。
東京、といってもいかない街はなかったが、神保町は避けていた。妙に威圧的になった母校の前と、御茶ノ水の医科歯科大には時折通ったが。彼女と過ごした甘苦い日々が消えてしまうような気がした。まるで幻のような女だった。ふと図書館で手に取った泉鏡花の『草迷宮』。
本は図書館かAMAZONで買うようになっていた。彼女が好きだといった本。幻の女の物語。夢幻の境地に誘うような物語だった。神保町に不意に行きたくなった。
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