神保町の女

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 街が叫んでいた。暗闇にインターナショナルが響く。ドラム缶で火が焚かれる。人波が黒く渦巻く。既に御茶ノ水交番は破壊され、機動隊は後退を重ねていた。投石がジェラルミンの盾に当たり、バンとカンの中間の音が響く。 「おーい、そっちやってくれ」 「危ないぞ、よっと」  学生だけではない。労働者や勤め人が警察の装甲車やパトカーも横倒しにされバリゲードにされていた。誰ともなく叫ぶ。 「解放区!」 「解放区!」 「神田解放区!」   ハンガリー動乱、パリのカルチェラタン。外国ではおなじみだが、日本では有り得ない光景が目の前に現出している。  異様な呪術の儀式のように炎が焚かれ、火が群れ集った人々を陶酔させる。揺らぐ炎、舞い上がる火の粉。学生も労働者も只の野次馬も、面白がって便乗しているだけの騒動屋も街中で燃える炎に煽られて、ゲバ棒を振りかざし、敷石を剥がして投石する「革命的大衆」へと溶け込んでいく。  観客が舞台と一体化していった。  靖国通りも封鎖された。若者を戦争に狩りたてた口にするにもおぞましい名。おお、若者は愚かな老人たちを許すことはないだろう。 「燃えるものなら、なんでも放り込め!」  改造拳銃を自慢気に見せびらかしていた革命家気取りの学生が古い独語辞典を、炎の燃え盛るドラム缶に放り込む。 「古本なら山とあるぜ!」  諸派に分類される、二流ところの大学の寄せ集め。東大安田講堂に立て篭もる全共闘を支援するために明大や日大の部隊と共に展開していた。啓輔は盛り上がっている仲間の学生たちを、やや引いた目で見ていた。闘争のための闘争というのは、何となく興ざめする。火照りが煩わしい。    ドラム缶の中で本が燃えている。  庭で父親が本を焼いている。炎に照らされた悪鬼のような顔だった。なんの本かは知らない。ただ、そのあと、オヤツのドラ焼きを食べながら、子供向けの歴史の本に出てきたバクダッドを破壊し尽くして、図書館を燃やしたモンゴルの大軍のくだりを読んだ。父親の顔が蛮族に重なった。 「おい、我々は放火犯ではない。だいたい燃やすなら木切れや新聞紙でいいだろう」 「本があるんだから本を燃やして何が悪い」  白ヘルの男はダンボールを放り投げた。潰れ、『ヴォルテール全集』という本が路上に溢れる。 「本を焼くものは人間を焼くようになるというぞ!」  とくに本が好きであるとか、大事にしているわけではなく、浅薄な知識で大物革命家ぶっている白ヘル男たちが気に食わなかった。本を焼くものは人間を焼く、はハイネの戯曲だったが知らなかった。高校のとき読んだ。岩波のナチドイツの本で知ったフレーズだった。 「お前、見ない面だな」 「民青か」 「代々木だ。誰かが言っていたぞ。代々木からスパイにきているって」  全共闘は代々木系と言われる日本共産党系の組織を学生たちはひどく嫌っていた。日共系は東大籠城に反対しており裏切り者とされている。 彼ら全共闘系主流が啓輔を知らないのも当然だった。啓輔のいる大学は、右派キリスト教の中高一貫大学で、学生運動に加わっている者などほとんどいない。それでも、少数いる同じ大学の仲間たちは、普段そういった話は好きな癖に、いざ、機動隊との殴り合いとなると、何やかんや理屈をつけて帰ってしまった。 「私服じゃねえのか。老け顔だ!」  スパイという言葉が刺激した。誰かが喚いた。学生に紛れこんでいる私服刑事、体制の犬は見つけ次第、私刑にかける。当然の了解だった。  まずい。啓輔は後ずさった。    解放区の熱狂に水を差した、それだけで充分に反革命的であり、民青だろうが私服だろうが関係ない。革命の予感、空気だけ、雰囲気だけに呑まれている。本を焼くなという優等生じみた物言いは、街頭で奏でられる叛乱の革命のメロディーにとって雑音に他ならない。転覆され、捨てられるべき、くだらない日常生活の価値観に他ならなかった。 「お前たちはバカ騒ぎをして本を燃やすためにここにいるのか。やるべきは、東大の支援だろ!」 「神田解放区を死守することがひいては東大支援になるんだ。お前のようなトロツキストは解放区から叩き出してやる」    さきほど改造拳銃を掲げていた男が喚く。 「ナンセンス!」  ゲバ棒が繰り出され、啓輔は滅多打ちにされた。口の中に広がる血の味。  これが、闘争か。こんなものが……群集心理に飲み込まれているだけじゃないか。 「ヴォルテールなんて黴が生えているぜ」  ヴォルテール全集のうちの一冊をとり、燃え盛るドラム缶に抛る。 「行動無き思想は無意味なり!」  男たちは啓輔を引きずって古本屋の倉庫へと閉じ込めた。 「そこで自己批判してろ」  誰かが嘲るように叫んだ。 「おーい、セイガク。起きろ。寝てんじゃないよ」  啓輔は目を覚ました。目の前には臙脂の色無地、紺の帯、いやに時代がかった女がいた。学生ではない。年の頃は30代くらいかもっと若く見える。髪はショートボブカットにまとめていた。少し前のアメリカの映画でみるような東洋美人だった。ひどく白い顔と切れ長の瞳。女にしては背が高かった。 「まさか酒かっくらって寝ているんじゃないだろうね。昨晩の騒ぎかい」 「ああ」 「革命家、名誉の負傷、ということかねえ」  味方に殴られたなどとは部外者の女に口が裂けてもいえない。 「もう革命ごっこは終わりだろ。あたしの神保町を滅茶苦茶にしないで欲しいねえ」 「う……」  頬が腫れている。左肩、右足が痛む。ゲバ棒で滅多打ちにされた。 「折れてないかい」  額に湿布が貼られている。どうやらこの女がやってくれたらしい。 「ほれ」  盆の上に巨大な握り飯と茶碗。茶碗に汲まれた水を貪るように水を飲み、握り飯に齧り付いた。 「さあて、人手がたらんからね。手伝っておくれ」  女は細い眼を一層細くして口の端を吊り上げた。 「水一杯、握り飯一個でこき使われるとは」  啓輔は目覚めてから夕方まで、延々古本の詰まった箱を軽トラックから降ろさせられたのだった。 「女の細腕にそんなことをやらせるのかい? あたしゃあ、煙草より重いもの持たないんでね」  女は楽しそうに笑って煙草を吹かす。  共栄堂、というカレーショップだった。半地下の店内には何種類もの香辛料の香りが漂っていた。空きっ腹には素晴らしく効く、芳しい香り。 「まあ、カレー奢るから勘弁しておくれ」  真っ黒いカレーが運ばれてくる。 「これはインドネシアはスマトラのカレー、だそうでね。大正からあるよ。関東大震災の頃からね」  啓輔は早速掻き込んだ。芳香の中、熱く辛く旨かった。 「美味しいかい。だろうねえ。まあ、ゆっくりお食べよ」  いかにも年上の女、といった風だった。 母親でもないのに押し付けがましく親切で子供に対するような態度を堂々ととる。そういえば、大学紛争に加わらないで欲しいとキャラメルを配る母親たち、キャラメルママに対して高倉健のヤクザ映画、「止めてくれるなおっかさん」と返した。結局親がかりの戦争ごっこに過ぎなかった。 「ねえ、学生さんや。なんであんたたちは荒れているのさ。勉強しなさいよ。教養をね。身につける」 「いかにもプチブル的な考えだ。大学にもいけない人だって多くいる。大学の在り方自体が問題なんだ。だから、それを変えなければいけないんだ。古臭い教授会が全てを牛耳っていて、その権威に唯々諾々と従っている。とても自由な学問の府とはいえない」 「勉強っつうのは学校だけでするもんじゃないだろ。先生の言うことが間違っていると思えば、どこが間違っているか自分で考えて、さらに本を読んで考えを深めていけばいい」 「そんな悠長なことをやっている時代じゃない。いかにもノンポリの考えだよ。ベトナムではアメリカ帝国主義によって今、この瞬間にも人民が虐殺されている。我々学生は特権階級じゃない。そうした立場をこそ自己否定しなければならない。社会の前衛として立たなきゃいけない。実践だ」 「あんたは、いやさ、あんたたちは一人で世の中背負っているような顔しているねえ。みんな同じ面だよ」  女は呆れたような顔をした。 「あなたは古本屋だろ」 「まあ、そういっちゃあ、そうだけど。それが?」 「あなたみたいに、黴臭い古本を読み耽って、したり顔をして、今の時代から逃げている場合じゃないんだ」  あはは……と、女はまたもや呵呵大笑した。水を一口飲んで、熱が喪われると共に香りが少々威力を減じた、半分ほど残ったカレーを掬い、いい音を立てて、ラッキョウをカリカリと齧った。 「君、古本屋は本が好きなんじゃない。売れる本が好きなんだ。金が好きなのさ」   目を猫のように細める女。 「なんでも金、金か」  金と力。それだけを無反省に崇拝したこの国、この社会が嫌で運動に身を投じた。 「あのね、君に奢ってやったカレーだって金が無きゃ食えないんですよ。君も親のお金で大学にいっているんじゃないか」  スプーンで黒いカレーをかき混ぜる。 「まあ、あれだ。古書は書画骨董に近いんだ。読まない奴の方が多い。ただ溜め込むのが好きな奴が多くてね。なかなか出回らないのもある」 「切手やコインのコレクターみたいなものか」  父の弟、良三叔父さんがコレクターだった。小学生の時はコレクションを見せてくれる凄い叔父さんだった。しかし、中学にもなると切手やコインに異様に入れあげているのが、かえって幼稚に思えた。高校に入るとアパートの上がりと地代、本家の父に小遣いをせびって、のらくら暮らしている叔父は軽蔑の見本となった。ああいう人間だけにはなってはいけない。 「中身より装丁が好きって奴もいるよ。中世の古本でね、人の皮の本を探しているのとか。まあ、金持ちの道楽さね」  金持ちの道楽。貧困に沈み、戦火に苦しんでいる人たちがいる中、金持ちたちは道楽でくだらない古書を集めたりしている。 「でも、あたしも本好きやね。凝った特装版や初版本とかはどうだっていいんだ。岩波緑で充分。文学とか読むよ。そうだねえ。泉鏡花かな。なんかふわっと幻みたいな話が好きなんだよ」  文学、明治期の日本文学も価値はない。小林多喜二のプロレタリア文学や革命的な要素がある大衆文学は必要だが、基本的には芸術のための芸術、無目的な目的であり、小市民的でお上品な教養か、象牙の塔に籠もる学者向けのそれこそ、骨董品だ。 「で、あんたどうすんだ。まだやるかい」 「東大は……」 「とっくに落城したよ。知らないのかい。ほれ」  店の奥のTVではあの赤門に機動隊の装甲車が止められ、機動隊が学内のそこここに立って威圧している光景が写っていた。紛れもなく東大陥落だった。祭りは終わった。あれほどいた革命的大衆は融けた雪のように影も形もなくなり、日常という大河へとおとなしく流れていった。バリゲードというより路上の障害物、ゴミはさっさと片付けられた。解放区は雲散霧消した。
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