ソフィアの祝福されし架空園

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 重々しく扉が開かれる。警備用ゴーレム、銃を持った警備の屈強な若者たちが憧憬をこめて二人を迎える。セツルメントは自衛と自給を旨とした共同体の連合をなしていた。  月の兎セツルメントは農業を主産業としている。農作業を助けるゴーレムたちが日暮れの光の中、その丈高い影を落とし、ゆっくりと格納庫へと帰っていく。収穫間近の重たげな黄金色の小麦が日没の最後の光に輝き、遅れてきた風にそよぐ。乾いた心地のいい空気。  馬車が近づくと農夫たちが手を振りながら駆け寄ってくる。 「ようこそ、創師様! 図書師様! 文芸の夕べへ!」    二人は熱狂的歓迎を受けた。  早速、先月貸し出したした本に関しての読書会が開かれた。本は貴重品であり、図書師が貸し出すことを主とした。  金持ちの中には本を所有する者もおり、また素晴らしい蔵書を持ち、図書師の指導もと貸し出す篤志家もいたが、やはり各言語を拠点とする「アレクサンドリア希望記念図書館」の圧倒的な蔵書を持つ図書師会ならではだ。  谷崎潤一郎、川端康成の日本的美。ガルシア・マルケスなど南米のマジックリアリズムが村上春樹に与えたであろう影響、トルストイの「戦争と平和」のロシア的人生観、セルバンテスの「ドン・キホーテ」とスペインの衰亡、「イリアス」と「平家物語」の叙情詩としての比較。ドストエフスキイの「罪と罰」の救い、「カラーマゾフの兄弟」の悪について。シェイクスピアの「マクベス」と「リア王」における人間の弱さについての普遍性。ジョイスの「ユリシーズ」のサイクロプスの章の「おれ」は「犬」ではないか、という議論。サマセット・モームの「月と六ペンス」バルガス・リョサの「楽園の道」のゴーギャンについての描写の差。コンラッドの「闇の奥」と映画文化に与えた影響、チェスタトンの「新ナポレオン物語」と民主制の限界。また読んだ本を人に薦めるため、プレゼンする会も開かれていた。  様々な読書会が、屋外の松明と星の下、家々の暖かな電気ランプの下で開かれていた。一つ一つの灯りが一人一人の求める叡智の仄かな光にさえみえる。  図書師は大きく心動かされた。今の時代ほど、人々が本を求め、文芸を愛する時代はない。かの古代ギリシアにも匹敵する。だが古代ギリシアは奴隷や字さえ読めない者も少なくはなかった。哲学や文学を愛好したのは社会上位の数%だけだろう。今、この時代、識字率は100%だ。人は人として有りのまま生きることが出来る。  この辺境のセツルメントさえも大都市となんら遜色のない、20世紀ならば大学院の講義並みの議論が戦わされている。    図書師は思った。    これこそが文明ではないか? 人類は偉大なる御目、上帝なるソフィア様の庇護の下、全ての人々が教養を求めるようになったのだ。そう、教養とは居間に飾って見せびらかす置物でない。置物にしている限りそれは虚飾だ。贋金だ。求めるものだ。教養を求める読書は旅にも似ている。苦しい悪路もあるが見晴らしのよい山頂や美しい谷、広々とした平野、心踊る大河や、果てしない海を見ることが出来る。人を豊かにしてくれる。頭を良くするのではなく、魂を豊潤で品格の或るものとし、心を偉大さへの道に歩ませる。  自分たちの言葉で一冊の本を、作品を味わい、他でもない、自身の作品としていくこと。作品とは作者だけでなく、読者のものでもある。読むとは作ることでもある。自分自身の読み方、なにがうつくしく、なにがみにくいかという美意識や価値観を作り上げていく能動的な行為だ。  この小さな農業セツルメントで交わされる一つ一つの議論は月並みかもしれない。平凡かもしれない。だが、そうした遅々とした歩みそのものこそ、教養であり、教養こそ悪魔の支配に対抗する唯一無二の人類の武器なのだ。  食事が出された。素晴らしい御馳走だった。素敵なオムレツに楽しいサラダ、美しいスープ、夏の香りを閉じ込めた杏と桃のパイ、飲み物やデザートもレモネードやアイスティー、そしてライムのアイスクリームなど、各種取り揃えられた。ブラッドベリの著作のメニューを再現したものだった。夏の終わり、秋の始まりに相応しい饗宴だった。すばらしい陶然とさせる豊かな食の香りが渦巻く。人々は御馳走に舌鼓を打ちながら、文学について雑談や議論を楽しんだ。 「しかし、昔は手鏡一つで、世界中の人々と手紙を瞬時にやりとりしたり、一日中映画をやっておったり、みなが作った物語を読んだり、絵を見たりしできたそうな。ほんで水師様や、農師様が操っておるあのカチャカチャやる盤で、ゴーレムを操って仕事をしていたそうな」 「それは便利だのう」 「しかし、そんなことをしていたら、本を読む暇がないじゃないか」 「そりゃ、昔の人間は享楽的で阿呆だったそうじゃから」 「みなの意見を聞いて、それを引用して知ったかぶっているガキの集団となっちまったそうだ」 「全知全能、何も出来ないペチャクチャ、カンピーターの中で書き散らす神々さ。ペチャクチャやっているだけで頭がよくなっていると思い上がっている」 「だんだん長文も書けなくなっていったらしいぞ。思いつきに任せた短文ばかりで」 「挙句の果ては自分の人生から逃げ出してカンピーターという無限の夢を見せてくれる箱の中で過ごすのよ。お莫迦な神さま坊やたち!」 「無知の知がない。知らないということを知ってこそ智慧じゃ」 「恐ろしい悪しき時代よ」 「悪魔だ。悪魔が世界を作り出し、人間を置き去りにしたのだ」 「ソフィア様は、そこから我々を救い出された」    そうだ、そのとおりだ。図書師は少し冷めたスープを味わった。  この世界は悪魔たるデミウルゴスが創った。  愚かでいるべきだ、人より優れていてはいけない、みなと同じ程度の頭でよく、みなに逆らわず、みなのやっていることにならえばよい。みなが支持する数の多い者に拍手喝采すればいい。同じ考えの者や同じ特徴や言語の者たち同士で結束し憎しみ合い、争いを繰り広げていればよい。そしてあわよくば、その愚かな自身を最大限、この世にむかってアピールし皆に讃えられることが人生の目的である……デミウルゴスの送り出した偽の神、ヤルダバオドはそう人々を惑わした。  人々が、凡庸を恥じず死ぬまで凡庸であり続けることを堂々と主張し、そこに甘んじていられるのがデミウルゴスのもっとも気に入ることである。教養や叡智に目を向ける者を「ほらほら、出過ぎたことをするな、意識高いふりするな。こじらせるな」「何が真実かなど専門家にはわからない」と腐して嘲笑し、古の賢人たちを小莫迦にし、幻の新しさをひたすら求めさせるのがデミウルゴスの技だ。オアシスの幻像で旅人を欺く蜃気楼の時代、虚ろなデミウルゴスの時代。その時代を破壊し、我らに叡智の光を下さった。偉大なる御目、上帝ソフィア様。 「そういや、そういう時代、本は読まれていたのかな?」 「そりゃあ、たくさん、ありすぎるくらいたくさんさ!」 「百万冊くらいかね」 「もっともっとさ! くだらないのが毎月、毎月!」 「それどころじゃない。どんな素人でも、誰でも書けて数億の物語がカンピータなる箱の中で読めたそうじゃ」 「はー、信じられんのう」 「そんなに読めないじゃろ、一週間かかって仕事のあと、楽しみにソフィア様の選んでくださった一冊の本を読む方がええ」 「だいたい、皆が勝手に作ったものが面白いんかのう。人気投票で決めておったらしいが」 「読み手がしようもない連中ならば、よい本など選ばれんなあ」 「その前は本の売り上げじゃ。金儲けのため、本を売るために頭を絞っとった連中がおって、作者は狭い部屋に押し込められて書かされる奴隷だったそうじゃ」 「なんて恐ろしい」 「そもそも本を売るなんておかしい。 売る! 本を売る。 馬鹿げている。 本が商売!」 「お前の野菜とはわけが違うぞ」 「売り上げ競争なんつうのはセツルメント同士のお遊びだ。カボチャの大きさ比べか何かなのか」 「そもそも、人気投票にしろ、売り上げ競争にしろ、本なんかたくさんある必要は無いんじゃ」 「そうそう、先人たちの古の叡智の結晶、歴史の荒波をくぐった作品、そして、新たな時代の作品と作者はソフィア様が選んでくださる! 今晩いらっしゃる創師様のように!」  アリスが讃えられる。アリスは真っ赤になって俯いた。 「え、えーと」  ソーダ水が空になったアリスの杯に注がれる。 「創師、アリス・アップルシード様に! ダブルエーに!」 「ソフィア様に!」  ソーダ水に松明が煌く。
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