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読書会の夜は更けていく。
「みな、素晴らしい議論をしています。ああ、どの会にも参加したい。体が一つしかないのが残念です」
アリスが頬を紅潮させて図書師に語りかけた。
本は繋がっている。そう、それは名こそ違えど太平洋も大西洋も地中海もインド洋も繋がっているように。
シェイクスピアの「ハムレット」に感激して「モンテクリスト伯」を書いたアレクサンドル・デュマは冒険小説の祖、彼の作品はあらゆる後進作家が学んだ。ジュール・ヴェルヌはデュマに影響を受けて「アドリア海の復讐」や「海底二万海里」を書いた。
ホルヘ・ルイス・ボルヘスはセルバンテスのドン・キホーテにインスパイアされて数々の作品を創った。歴史に名を残す作家でドストエフスキイに影響されない方が、そもそも、どうかしている。
「やはり、古の人々が記した古典に学ばねば、とても文芸創作なんてできませんからね。私がここにいるのも図書師様方のおかげです」
「全ての本は繋がっている。そうですね」
「ええ、その通りです!」
「アリス様! むこうで文芸創作の会をはじめたいと思います。御臨席を!」
「アリス様!」
読むこと書くことを望む人々の、文芸を求める熱き眼差し。嗚呼、物語や叡智、教養を求める滾る心に、人種や宗教、どこにすんでいるか、性別、年齢は関係ない。16歳で私が認められたように、この中から創師が生まれるのだろう。創師に歳も性別も位階も関係ない。16の私がなることもあれば、80の老人がなることさえある。みなから平等に上帝なるソフィア様が選んでくださる。
創師はなりたくてなれるものではない。新しい文化の担い手として重層な今までの作品、古典を学び、かつ紛れもない独自性、輝く芸術のアウラがあり、作品はギルドとソフィアに認められなければならない。送られてきた作品についてソフィアは全て目を通し平等に誠意ある論評を行った。
「お前ん話は毎度、ワンパターンじゃなあ」
笑い声が起きる。パチパチと松明の火が爆ぜる。
「んー、創師様は如何でしょうか」
「ま、まあ、その類型化、ということに関しては止むを得ない部分もあるんですが……」
無論、創師になれないまでも文芸を楽しんだり、創作を行う者も少なくない。金のある者の中には自費出版をするものもいた。
だが好事家の作品は製本され図書師が馬車に積んで人々に読まれることは無い。あくまで内輪のお楽しみだった。彼らもわかっていた。ソフィアの認めた創師の作品こそが、真に読むに値し歴史的な存在になり後世に遺される作品であると。
人々は波打ち際で舟の玩具で遊びつつ、大海に漕ぎ出す大船に憧れるという在り方を認めていた。創作の会に呼ばれる創師はそんな彼らのための意義ある催しなのだ。如何にソフィアが完璧な評者であっても車座になって、自作について話す楽しみも必要だった。アマチュアの作者がいないとよい読み手が育たないということもまた真実である。
「私ならば、結末は悲劇的なものにするかもしれません」
「あー、ならば、そういう風にしようかなあ」
「あ、だ、駄目です。それはよくないです。作品は人に言われて変えるものではありません。己と向き合ってこそ」
「わかりました。創師様」
「あ、あの、わ、すみません……偉そうに」
「ねえ、アリス創師は?」
「アリス創師、次回作はどんな話なんですか。あたし、知りたい!」
「えーと、それはまだ秘密です」
読書会と文芸創作の会は夜も更けてやっとお開きとなった。
図書師は満足した。セツルメントの住民は間違いなく叡智とそれを育む教養を求めている。そして何より、今日は素晴らしい若き才能と出会えた。紛れもない彼女の才能もソフィア様に見出された。ソフィア様に感謝を。
文明の頂点とは巨大建築物を作り上げたり、全地の表を一つの帝国が支配したり、月に行くことでも長命でもない。辺境の隅々にまで知的好奇心を持ち、教養を愛する人々が住まうことだ。
無知蒙昧や煽り立てられた憎悪に従わず、礼儀篤く振舞うのをよしとし、残酷と粗暴を憎み、叡智と芸術を愛し、人の生を愛する。今を生きることを、現世を愛して肯定する。そうした価値に危機が迫れば立ち上がり戦うことを選ぶ。
今、ここに人類の真なる願いが果たされたのだ。人類は、ソフィア様の御目のもと、いついかなる時代より偉大になったといえる。しかし、偉大になってどうするのだ……一瞬、夕暮れに嘲笑うような鳴き声をあげて飛ぶ鴉が上空を通り過ぎたような気がした。
そうだ、ローマも唐も大英帝国も、ここが歴史の終焉、我々こそが頂点だ、と信じた途端に滅んだ。
いや、いや、私たちはとっくの昔に滅亡し、滅亡した文明の穏やかな夕凪の中にいるだけなのではないか?
まことにおそれ多いが人類はソフィア様の庭園の可愛らしい花、樹木に過ぎない。それどころか、夢の中の存在ではないのか。図書師はぞくり、と身を震わせた。
なんと不遜な。こういう考えは誰にも語るまい。許すまい。己自身にも。
次回は歴史と哲学、その次は科学と技術についての夕べだ。それに相応しい本を選び抜こう。
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