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第一章 1
お鈴の音色は、今まで聞いたどんな楽器とも異なる澄み具合だった。
線香の香りやろうそくの燃える匂いにも慣れてきたが、音だけはなかなか耳に馴染まない。リビングの一角に三十万円はするという仏壇が置かれてから一ヶ月余りが経つ。沢田幸雄は遺影に収まる母親と一瞬目を合わせてから静かに手を合わせた。
立ち上がる時腰が痛んだ。痛めたのは十年近く前、肉体労働の現場だが、未だに尾を引いている。
梅雨入り間もない時期だけに、朝から天気はぐずついている。築四十年の家は、外で滞留する湿気を防ぎきれず、リビングも何となく蒸し暑かった。
除湿のおかげで腰が楽になった。昨日から朝にかけてのニュースを読み上げる女子アナの声を聞きながら、幸雄はパンを焼いてバナナの皮を剥き、適当な大きさに切り分けて、冷蔵庫からヨーグルトを出す。
少し前にゴキブリが二匹も見つかった台所は臭いが溜まり、小バエ取りの容器にはいくつかの黒いものがとらわれている。次の休みの日には掃除をしようと思いながら、結局やらずに終わるだろうとぼんやり考えた。
準備が終わる頃には天気予報が始まっていて、降水確率三十パーセントという予報を別の男性キャスターが読み上げていた。
空模様と降水確率を比べて雨合羽を持っていくかどうか考えながら食卓に朝食を並べた幸雄は、どたどたという無遠慮な足音が降りてくるのに顔をしかめた。
「うるせえ……」
恨み言を一つ呟いたのと同時にリビングのドアが開かれる。父親の明弘が顔を出した。
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