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明日、切り倒されるらしいですね。
細い路地を抜けた先、少しだけ開けた場所に一本だけ植る小さな桜の木。人通りの少ないせいもあってか誰が世話をしているのかも分からないそれは、栄養も日光も足りないのかいつ見ても元気がありませんでした。それでも、一応毎年花をつけます。木の高さも、花も他より小さいけれど、下向きに淡いピンクの花弁が開くんです。私は案外この桜が好きでした。
何より、どこに行っても笑顔を取り繕う私の休憩所だったわけですから、切られてしまうのは寂しいものがあります。どうすることもできませんが。
数年前から病気を患っていることは分かっていました。咲く花の個数も減りましたし、幹の色もどんどん燻んでいくのが分かりました。後何年保つか、少しだけ心配していました。
かく言う私も、同じようなものなんですけどね。最近、ずっと部屋の中にいましたので、切られる前に一眼見れて良かったです。
そういえば、桜の樹の下には死体が埋まっているらしいですね。貴方の下にも埋まっているんですか?埋まっていないのなら、初めてになれたかもしれませんのに…残念です。貴方が私よりも早く逝ってしまうなんて思っても見ませんでした。
私は桜の樹の下に座って、幹にもたれ掛かれます。
重いですか?失礼ですね。これでも痩せた方なんです。やつれたと痩せたは違うらしいんですが、体重が落ちることには変わりありません。
ソメイヨシノは散りかけています。後一ヶ月もすると、梅雨が来ますね。散る前に死ぬ気持ちはどうですか?
改めて話すことなんて、もうありません。貴方が生きた時間の最期に、私と話せて楽しかったですか?私ももうすぐそちらに逝きますんで、その時また会いましょう。
「さっきから黙って聞いてれば、随分弱ってるんじゃないか」
居たんですね。淡い桃色の浴衣に、桜の簪を緩く括った色素の薄い茶色の髪に一つだけ刺した女性は、枝の上から私を見下ろしていました。
桜の妖精なんて可愛いものではないでしょう。幽霊なんてものでもきっとありません。ただ彼女がその桜自身だということ以外、私が知ることはありませんでした。
「弱ってませんよ。強いて言うなら貴方の見送りをしようとしているんですから、感謝してください」
「そりゃあ失敬。まぁ、元気におやりよ」
別れというのは、長引くほど辛くなるものです。そろそろ潮時かもしれません。私はスカートについた土を払い、立ち上がります。
「もう行くのかい?」
「えぇ、淡白な方が逝きやすいでしょ?」
私の言葉に対し、彼女はふっと笑い、枝から地上へ飛び降りました。そして目の前に立つ私をマジマジと見つめ
「やっぱりやつれたね。愛する人の体に骨が浮いてるのは悲しいもんだよ、ちゃんと肉付けな」
と言います。
「愛する人なんて、出来る前に…」
そう反論しかけた私の口を人差し指で止めて、彼女は何も言わずに眉を下げました。何を言わんとしているかは気付いています。ですが、死というものは避けられるものではありません。それは人間の私でも桜である彼女でも同じです。
「私があんたの分も全部持ってってあげるから」
彼女は私の頬を甘やかすように撫でました。その指は冷たくて、微かに死の匂いがするようでした。
彼女は昔にポツリと溢したことがあります。私は去るべきものだと。輪廻の理に一度歯向かってしまったのだと。だけど歯向かって良かったと。
「あんたは生きてね」
彼女が一方的なのはいつものことです。励ますのが下手なのも。だけど、それに黙って頷くのがお約束でもありました。なので、私は口の中を少しだけ噛みながら頷きます。
ほら、お別れは淡白な方がいいでしょう?滲む視界で、彼女が優しく笑うのが見えました。ただそれだけです。逝かないでと縋りそうになる手を後ろで組んで、バレないように背を向けます。
次に後ろを振り返れば縋らない自信は無いので、下を向いて「さよなら」と呟きました。
その瞬間、トンっと押された背の勢いで私は止まることなく歩き出します。
きっと、もう会うことは無いでしょう。私があっちへ逝ったとしても、彼女には会えない気がします。
散る桜の花びらが、彼女の涙のように見えました。
私は桜の甘い残り香を忘れないように胸一杯に吸い込んで、病院へ帰ります。心なしか、身体が軽いような気がしました。彼女が持って逝った分、私は生きねばなりません。
輪廻に歯向かって、あんたに出会えてよかったと笑った彼女のためにも。
次の日、切り株になった桜から新芽が顔を覗かしていたのを見つけることになるとは、まだこの時の私は知る由もありませんでした。
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