夢の館

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夢の館

 家々から漏れる光が頼りの薄暗い裏道を、男は勝手知ったる庭のように進む。入り組んだその道を行く間も、どうにか逃れようとソォソは抵抗を続けていた。 「やめろ! なにをするんだっ」  しかし、狭い道沿いの家の壁を蹴り上げて体を浮かせたり、サンダルのかかとでブレーキをかけてみても男にはなんのダメージも与えられない。それどころか前で一つにくくられた腕を関節がきしむほどねじ上げられる。 「っ、いたっ、いたたたた! 離してっ、はなしてッ」  涙声で許しを請うソォソを男は鼻で笑う。 「暴れても無駄だ。骨を折っても何も良いことなどないぞ。そう案じるな、お館様が悪いようにはしない」  ――……おやかたさま。一体何者だ? なぜ僕を連れて行く?  ふくれあがる不安で血の気を失いながら、何もわからないソォソは引きずられて行くしかなかった。  目を閉じれば、呼吸荒く苦しむあの方の顔が浮かぶ。四肢の先から緑色に変わり果て、毒に蝕まれていく姿がはっきりと想像できる。幸い即死はしない毒だが、三日と経たず命を落とすだろう――。 「……うっ、うぅ、アンソニー様……アンソニー様、おゆるしください……」  とうとう泣き出したソォソにも一瞥をくれたきりで、男の足取りは乱れなかった。そして何度目かの角を曲がると、突然、眩しい光の洪水が目を刺し、ソォソは思わず足を止めた。  容赦なく引かれしかたなく顔を上げる。すると、きらびやかな宮殿のごとき建物が目に飛び込んできた。  街灯や立ち並ぶ店の灯りは変わらず過剰に辺りを照らしている。しかしその街並みを従えるようにひときわ明るく、その建物は輝いていた。  通りの端を歩かされながらソォソは、泣いていたことさえ忘れ、魂を抜かれたように見とれる。  緩く上り坂になっている目抜き通りのどん詰まりに堂々と建つそれは、見たこともないほど大きく、小さな山ほどもあるように感じられた。柱や壁には精緻な彫刻がびっしりとほどこされ、所々黄金の装飾で鈍く光っている。張り出した二階のバルコニーの上にもさらに窓が連なり、どの窓も炯々と明かりを灯していた。室内で奏でられるいくつもの音楽が風に乗って喧噪の向こうから微かに聞こえてくる。  前には何台もの馬車が停められ順番待ちをしている。使用人が扉を開けるたび身なりの良い紳士淑女が中に吸い込まれていった。 「足を止めるな行くぞ」 「いたっ……」  よそ見をして足元のおぼつかないソォソの手を、男はぐっと強く引く。  急かされ再び裏通りの暗がりに入りこんでもあの光景が目に焼き付いたまま、ソォソは夢でも見たような心地でいた。  この街にあんな場所があったなんて。まるで夜の闇の中に太陽を持ってきてしまったかのようで――。 「美しかったなぁ」  つぶやいてから、子供じみた感想に小さく笑った。  しかしすぐに「いけない」と小声で自分を戒める。 『身の丈に合わないものは身を滅ぼす』  それは小さいころから何度も諭されてきたことだ。外には人も多いし物もたくさんある。だが自分の住む場所とは違う世界なのだ。誘惑や危険も多い。もう関わることは無い外での出来事になど無駄な感慨は持たず、忘れてしまうのがいいのだ。  黙々と下だけを見ながら足を動かしていると、男がやっと止まった。  こわばる手の痛みから解放されるとほっとしながら、再び緊張して周囲を見回す。しかし意外な場所だと気づいて目を見張った。  注意深く確認しながら男が影のようにするっと入りこんだのは、あのきらびやかな建物の裏口だったのだ。表ほどに周囲を圧するほどの光量は無くとも壁は高くそびえたち、窓からは光が漏れ、微かに上品な音楽が聞こえてくる。  男はあっけにとられたソォソの腕を引く。
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