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壺を抱えた両腕は使えない。石畳に肩を強く打ちつけて痛みにうめく。
「うっ……、っ……」
道行く人が土に汚れた彼を、眉をひそめてあからさまに避けていく。
「……っつう……」
誰も彼に手を差し伸べてはくれない。ここは、慣れ親しんだあの”家”とは違うんだ、そう思ったら泣きそうになった。
清潔で整えられた寝床が恋しい。質素だが新鮮な野菜のスープが食べたい。……帰りたい。ここは僕には賑やかすぎる。冷たすぎる。
言いつけを破りこの場所に足を踏み入れたから天罰が下ったのだろうか? ”家”から出ることを許さなかったあの方に背いたからこんな事になるのか。我慢していたぶん、一気に後悔が押し寄せる。しかし……。
――いや、今は一刻を争うのだ。心を強く持たなくてどうする?
ジャリと手のひらに食い込む小石の痛みを鞭にして、ソォソはゆらりと立ち上がった。
そうして顔を上げたとき、表通りの明かりにかき消されて目につきにくい裏道の奥に、彼は薬屋の看板を見つけたのだ。
安堵で力の抜けた体を扉にあずけるようにして、ソォソは店の中に転がりこむ。
背中を向けて何か薬の調合でもしていたのだろうか、ベルの音で客が来たことを察した店主は、いつも通りの口上で迎えた。
「いらっしゃいませ、夜も眠らないマーチン製薬所へようこそ。今宵は何をご入用で? 堕胎薬から眠り薬まで幅広くご用意……」と、そこまで言ってソォソに向き合った店主は大きく顔を歪ませた。
「こりゃまた、きったないガキが入り込んだもんだ。ちょっとあんた、うちには安い薬は置いてないよ」
しっしっと追い払う仕草で仕事に戻ろうとした店主に、ソォソは必死で食い下がった。
「いえ、待ってください! 安い薬じゃないんです、解毒薬が必要なのです。僕はどうしても縞花白蛇の毒消しが必要なのです。時期外れなのはわかっています、ですが、こちらに置いてはいないでしょうか? どうか!」
頭を深く下げる彼の汚れた身なりをうさんくさそうに見ながら、太った店主は嫌々言う。
「そんなあんた、白蛇のことなんて知ってんのかい? 北の山脈でもめったに見かけない蛇の毒消しなんざ、あったとしても目の玉が飛び出る値段だよ。あんたみたいな子供に払えるわけがない」
「お金はありません……」
「はぁ? お話にならない」手を振ってソォソを追い払おうとした店主は、ドンッとカウンターに音を立てて置かれた壺に驚いて言葉を切った。
「お金はありませんが、お金に替えられない価値のものを持っています……お確かめください」
壺を持った手を離さないまま、ざんばらの髪の隙間からこちらを見るソォソには、やけに迫力があった。
「……なんだい。変なもんじゃないだろうね?」
店主はふくよかな手を恐る恐る伸ばして、壺に封をしている麻布を外す。途端に木の蓋の隙間から漂い出したえもいわれぬ香りに、不審そうに顔をしかめた。次の瞬間はっと思いついたように口元を袖で覆うと慌てて封を結びなおす。
「あんたこりゃ! これがこの壺いっぱいに入っていると言うのかね」
興奮で顔を赤らめる店主を、ソォソは緊張のあまり強張った無表情で見つめると、ゆっくりとうなずく。
零れ落ちそうに目を見開いた店主はずいぶんと慌てた様子で店の奥へと走っていった。どうしたんだ? あっけにとられたソォソは、だが必死にカウンターの上に乗り出して店主に訴えた。
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